2012年11月09日13時57分掲載
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福島から
「福島・三春の“収穫祭”2012に参加して」・・・S・H(茨城・取手)さんからの手紙「この地から見る日本の姿の原風景に心を揺さぶられた・・・」 山崎芳彦
去る10月20日〜21日に福島県三春町で「福島・三春の“収穫祭”2012」が開かれた。昨年に続いて2度目の収穫祭だが、現地の芹沢、農産加工グループ、福島「農と食」再生ネット、滝桜花見祭実行委員会の3団体が主催、三春町、JAたむらが協賛している。三春の収穫祭の呼びかけには「土の放射能を計り、耕し、種をまき、取り入れ、収穫物の放射能を計る。放射能を計ることが日常となった営みが三春では続いています。芹澤農産加工グループの加工所には、多くの方々の協力を得て、太陽光発電所が完成・・・ささやかですが、原発に頼らない生産とくらしを作り上げる足元からの実践です。今年の収穫祭はこの太陽光発電の稼働を記念するシンポジウム(車座座談会)を織り込み、地域との交流を一層深める」として、魅力的な企画内容が示されていた。
筆者は春の花見祭・交流会に参加し、原発に頼らない生産と暮らしをめざす太陽光農民発電による農産加工への取り組み・「農と食」再生ネットワークを、つまり人間の「生きる」根源への自覚的な力の構築を目指すためのひとつの根拠地を多くの人々の共感と協働の力でつくりあげる、理念と実践に感動したひとりで、今回も参加を申し込んでいた。
しかし、自分の住んでいる市の理不尽な小学校統廃合計画による地元小学校(母校でもある)の廃校を阻止する取り組みの強化のための集会と重なってしまったため、欠席を余儀なくされ、迷惑をかけてしまったのだった。
現地での昼食、野菜収穫、収穫した野菜の放射能検査、宿泊、そして2日目は「エネルギー自給と農・食・地域の自立」をテーマとしてのシンポジウム(三春町/JAたむら/三春の女たち/宮城・石巻、千葉・成田、山形・置賜からの報告と質疑討論)その他の企画は、営々と続けられている生活のなかでの未来を切り拓く実践とその到達点を踏まえたものであるのだから、本当に参加したかった。
プログラムのシンポジウムに関する記述の、
「3・11から1年半が経ちました。放射能に対する人々の不安は強まりこそすれ、薄まることはなく、被災地での人びとの暮しも揺れ動いています。それでも人びとは生きなければならず、田んぼや畑を、家を、お墓を、何より家族を守るための日常を過ごしています。私たちは2011年4月以来、三春町の女性グループとの交流を続け、大勢の皆様のお力を得て、足元から“原発いらない”を発信するために「太陽光発電で農産加工」を行なう一歩を踏み出しました。・・・」
の文章には、書いた人の顔が見え、共に取り組んだ人びとの心があると、感動した。スローガンを唱えるだけの人には書くことのできない、短いけれど、現在と未来に真摯に生きる人間の宣言ではないだろうか。
参加できなかった筆者にも感動を与えてくれる三春の収穫祭2012だったのだから、参加した人々の得たものの大きさをうらやましいと思う。
そんな私に、参加した友人のS・Оさんから、手紙が届いた。ご本人の承諾を得てほぼ全文を紹介させていただく。次のとおりだが、Sさんは、「参加出来なかったあなたへの、感想のつもりで書いたものだから、全容ではないし、不正確な部分もあるかもしれない。」というが、私にはしっかり伝わった。このようにして、地道な、しかし壮大な一歩一歩が広がり続くのだと思う。そのなかに自分もいなければならない。
▼「福島・三春の“収穫祭”2012」に参加して S・Оさんからの手紙
2012年10月20日(土)、私は3度目の三春へのバスに乗った。
2011年3月11日の東日本大震災を受けて少なくとも私のなかには焦燥に似たものが芽生えた。これまでの生き方、これからの国。少しは自覚的にくらしてきたように思っていたが、くらしの利便性に埋もれいつか原発のことも視覚の隅に置いたままにしていた私。
三春町のJA女性部との交流は、最初はよくわけもわからず、古くからの友人である農業ジャーナリストの西沢江美子さんの誘いで、昨年の秋の収穫祭に参加したのが出発点。次いで今年4月の滝桜花見交流会へ。そして今回の収穫祭へとやってきた。芹沢農産加工所という、女性部の小さな作業場に太陽光パネルを設置し、その発電式でもあった。
西沢さんや福島の女性たちの福島「農と食」再生ネットの地道な活動の上に滝桜花見実行委員会への広がりができ、そしてまた私にも声がかかった。
まったくのお邪魔ムシの私が訪ねるたびに、この地に、この地を通してみえてくる日本の原風景ともいうべきものに心ひかれていく。福島は美しい山並み、田畑の風景はそのままに放射線に汚染され、風評被害にさらされ、頼りにならない政治に翻弄され町村ぐるみの避難地域、耕作禁止、自主避難区域その他の線引きで家族間もバラバラにされている。
低放射能地域の三春には仮設住宅に他町村の人たちが住んでいる。道路の角に葛尾村仮設住宅などの表示があり、ちょうど21日(日)は村長選挙の日であったことを帰宅してから報道で知った。
わたしが原風景と感じたのは自然の美しさばかりではない。この、田舎といわれる地にくらす人々の農や漁に食を支えられ、グローバリズムという名でそれらの生業もおびやかされながら、黙々と、淡々と続ける一次産業の地が都会のキラビヤカさを保障する原発立地の地であること。まさに日本の姿の原風景が、今回、私の心のなかを揺さぶる。それは福島からの帰途のバスが東北道を抜け首都高速に入った時の東京の明るさ、スカイツリーのすみれ色のライトアップ、東京駅前の並木道のピンクのイルミネーションの華やかさ。数時間のバスの旅での落差に私のなかの揺らぎが形をもった。
今回は私も少しは能動的でよい体験もできた。20日に「ベクレルしらべるセンター」に行き、実際に収穫したネギとサトイモの茎を機械にかけてもらった。この機械での測定下限値は20ベクレル/10g未満。土のついている部分は切りおとす。5ミリ以下のサイコロ状に切って、フードプロセッサーなどは使用してほしくないとのこと。JA三春の会沢さんは、玉ネギ、ショウガ、トウガラシを切るのがつらい、また固いものも大変と言う。
野菜は500gの検体を30分かける。円筒の容器に入れスイッチオン、パソコンに波動が表われる。急ぎのときは15分のときもあるという。ここで自家栽培した野菜を検査し、自己消費し、また直売所にも出すのが日課になっているという。人口16000人ぐらいの三春町は1台250万〜300万円のこの機械を9台買い、JA田村が4台、他に富岡町も1台あるので、この周辺では去年の9月13日から10台が稼働している。
翌日のシンポジウム(車座座談会)では各地からの報告がそれぞれ印象的だった。
▼「JA田村」の営農経済部長さんは、県外のスーパーなどで産直コーナーの売場に立つが、つらい経験もする。産物はもとより宣伝用のうちわも受け取ってくれなかったなどの経験談もあった。学校給食も地元産を使っていない。米の全袋検査機は7基あり、1基2000万円した、農産物価格は従来の半額・・・などの話もされた。
▼石巻から参加の佐立さんの話。水産業・漁民たちにとって復興の見通しもたたないなかで、株式会社に「漁業権」を持たせる「特区事業」を持ちこもうしている知事。仮設住宅の劣悪さの中で心身が大変、住みたいところに住むことと自然との向き合い方、住居とは何か、ただ雨風をよけるだけのものか・・・重い課題に挑戦しようとしている。
▼山形からの菊池さんの話。山形で米沢牛を大切に飼育し、飼料も宮城の大崎のワラを使っていた。福島の浅川町でワラからセシウムが出たという報道があったが、まさか大崎のワラもとは思っていなかったのに、すでに出荷してしまった牛4頭中3頭の販売は中止に。山形県内で同じワラを買った4人、A、B、C、Dさんと報道された。すべての原因と責任は東電と国にあるのに大崎のワラの販売者、買った菊地さんたち、基準値以下だったが消費者に売ってしまった肉屋さんが苦しみ続けた。誰にも責められていないが、みんなに責められている気持ちと、菊地さんは表現している。
もっと多くのことが話し合われたが、シンポジウムの後、帰途のバスは三春町の隣の田村市「都路地区」に向かった。ここは収穫祭で私たちの食事の世話などエネルギッシュにしてくれる松本さんの家のある所。田畑はつくれないので、三春の会沢さんの畑を借りている。いうまでもないが耕作されない田畑は荒れている。最近は見ることが少なくなったセイタカアワダチ草がここぞとばかりに伸びに伸びている。その一画に黄金色に輝く稲穂の田が。「稲試験栽培第11号ほ場」の看板が立ち黄色いテープで囲われていた。
女性部の加工品を購入し1日、2日の訪問で何か役にたつのだろうか、いちまつの後ろめたさがいつもある。この集いのうしろには、主催者の再生ネットをはじめとする方々の長いつきあいと信頼の絆があることをいつも思う。その一端をちょっと握りつつ、計りしれない学びをいただいている。
福島から遠くはなれたこの取手市でも、いつもどこかに放射能汚染の不安をかかえ、思考を重ねて暮らしているのだから。
以上がS・Оさんからの手紙だが、彼女は私同様に参加希望していながらできなかったほかの人にも同じように報告、感想を書いているという。
私のように参加申込みしながら不参加となった人は少なくないと聞いた。東京からの参加者のためにはバスを借りたのだから、主催者はそのぶん赤字を負うことになったに違いない。カンパをしなければと、私は考えている。それも行動のひとつだろう。
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