2012年12月22日15時40分掲載  無料記事
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若松丈太郎著『福島核災棄民―町がメルトダウンしてしまった』(コールサック社刊、2012年12月9日発行)を読んで   山崎芳彦

 福島・相馬市に在住して、福島第一原発の建設当時からその危険性。原発立地地域の深刻な問題に真正面から向かい合い、詩、評論、ルポルタージュなどで、危機を警告し続け、その身を動かして反原発の闘いに参加して来た詩人・若松丈太郎さんの最新の一冊が発行された。若松さんについては、昨年、『福島原発難民』(コールサック社刊)に接して以来、筆者は、その後のまことに優れた詩作、評論による詩人の動向を追ってきたが、今この著書で「核災」「核発電」という、物事の本質を的確に表現し、核加害者・勢力を人間の生きるその真実の根拠地から糾弾する詩人の魂に、改めて深い感銘を受けている。筆者は「あとがき」で次のようにことばを燃え立たせている。 
 
 「東電関係者の間では、福島を<植民地>と言っている。」と言う、ある人から聞いた言葉にはじまり、<東北>はすべて彼らの植民地という意識なのであろう、と記してからの文章を引用させていただく。 
 
 「彼らとは、いわゆる原子力村の住人だけを指して言うのではない。彼らとは、日本という新帝国主義国家を構築した政官財を中心とする権力の枢軸でもある。政府は、米国と経団連の圧力に効しきれず、民意を斥けて大飯核発電所を再稼働し、また『革新的エネルギー・環境戦略』を有名無実なものにしてしまった。 
 いま、わたしたちは『日本国憲法』の第十一条をはじめとする条項で認められているはずの権利を保障されず、国家の主権者であるとは認められない状況のなかでいきている。」 
 
 これは、いま苦難に喘ぎ人間としての生活を生きられない<核災棄民>の状況を述べているだけではない。この国が原発列島であり、福島の核災が起るべくして起こった以上、この国に生きるすべての人々の置かれる状況について、かつて若松さんがチェルノブイリを訪れ、その実情と核の本質を胸に据えて書いた福島<核災>以前の詩の数々と評論が警告したように、この国のすべてに通底する実態についての、凝縮された言葉であろう。 
 
 いま、安倍自民党政権が、彼らなりの前へなのか、あるいは前と後ろの時間軸を組合せ接合して作り出そうとしている危ういこの国の先行きへのスタートの時、若松さんの『福島核災棄民』は、福島、核災、棄民それぞれの言葉を、読む者が自分の居る場所で、筆者で言えば、現状が変わらなければ、「茨城、核災、棄民」にならざるを得ないだろう一人として、若松さんのこの本に収載されている詩、評論、ドキュメントなどを読むことの意味は大きい。それは、この国について読むこと、わがこととして読むこと、人が生きること、たたかうこと、つながること、そして自分を主権者として捉えなおすことを、自覚的に思わされるだろうに違いない。 
 
 今回の選挙の結果で、核の本質が、核災の底なしのむごさが、核発電所が存在してはならない理由が変わったわけではない。そして人間の生きる権利、この国の主権者が変わったわけでもない。 
 そうであれば、主権者としてどう振る舞わなければならないか、主権を奪おうとする企みにどう対抗しなければならないか、考えよう、つながろう、動こう・・・その力があるのだから、と思う。 
 
 若松さんの『福島核災棄民』の六章からなる構成は、まことに見事なものである。多くの人々の知恵が結集されてなった一冊なのだろう。順を追って、内容を見ていきたい。 
 
 「一章 町がメルトダウンしてしまった」は、二〇一二年三月一日の若松さんの詩「町がメルトダウンしてしまった」と「原発難民ノート」(二〇一一年三月十五日から四月三十日までの日録でこの間のさまざまな動きが記録されているが、驚くほど具体的で、目配りが聞いていて、政府の動きから自身を含めた人びとの暮らしまでを若松さんの直視と思索によって記録している。) 
 詩は、人々の生活のありようがもつ本来的な豊かさや文化を生み出す仕組みが戦争で、戦争をすすめた国の一億総動員体制による仕掛けで壊され、そして戦後のアメリカ流の経済のあり方が東北の町や地方にまで進出して町や地方を壊し、ついにはアメリカ渡来の<核発電>(原発)の暴発、メルトダウンによって地方のどこにでもあるようないくつもの町がメルトダウンしてしまった、ことを表現している。そこにあるのは、若松さんが自らをも含めた、見つめた人の暮らしへの深く優しいまなざしと、それを壊し、メルトダウンさせてしまう権力者達の人々の生活を歯牙にもかけない暴挙、利益追求経済主義の人間が人間を食う弱肉強食の社会の常態化、そしてそれが行き着いた核発電の非道への限りない怒りを込めた告発であると、筆者は読んだ。貴重な証言である。 
 
 この、実態を見つめた先に、「二章 キエフ モスクワ 一九四四年」があり、若松さんがチェルノブイリの原発事故の八年後に現地を訪れた時の記録が記されている。長期間の滞在ではなくさまざまなら制約があった中での訪問だが、若松さんの観察と研究とも言える実地での人びとや施設での交流、取材体験、そのルポ形式の文章の精確で豊かな人間味あふれる表現は、チェルノブイリの実相をリアルに捉えることで、チェルノブイリをを超えて、核のもつ本質的な危険性と底知れない、人間だけではなくすべての命あるもの、生きる環境に対する破壊を伝え、それはつまりのところ、その核を利用するもの、しようとするものたちに対する徹底した糾弾となる。核発電所の近くに生活し、その危険性を警告し続けてきた若松さんならではのルポルタージュ文学である。 
 
 「三章 福島核災棄民」では、「福島から見える大飯」「広島で。<核災地>福島から。」が書かれている。「広島で。・・・」では、<核発電>、<核災>と言う言葉を使うことについて書いている。 
 
「広島・長崎と、同列に福島を語ることができるのか、あるいは、同列に扱うことに意味があるのかという疑問を抱いている人が少なからずいるのではないかと感じています。/核兵器は核エネルギーの悪用であり、核の軍治利用の副産物である<核発電>は核エネルギーの誤用といわれている。 
そこで、わたしは原発を<核発電>、原発事故を<核災>と言うことにしている。その理由は、同じ核エネルギーなのにあたかも別物であるかのように<原子力発電>と称して人びとを偽っていることをあきらかにするため、<核発電>という表現をもちいて、<核爆弾>と<核発電>とは同根のものであることを認識するためである。 
さらに、<原発事故>は、単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす<核による構造的な人災>であるとの認識から<核災>と言っている。チェルノブイリ核災から二十六年だが、まだ<終熄>してはいない。福島核災は始まったばかりで、二十六年後に<終熄>していることはないだろう。まったく先が見えない災害なのである。」 
と述べているが、事の本質を明らかにできる言葉を使い、「広島の皆さんといっしょに考えることによって、共有可能なものを見いだすことができるのではないかと、考えています。」というのである。 
 
 この章では以上の1.はじめに、に続いて、2.<各施設>の危険性を認識しながら国策として推進した問題、3.<各施設>の危険性を認識しながら、十分な対策を講じなかった問題、4.<核災>発生後の指示、住民への対処の問題、5.<核災>発生後の事実の伝達などの問題、6.<核災地>の現状、7.労働者被曝の問題、8.負の遺産の問題など、9.<核災>原因者に対する思いの項立てで、若松さんの3・11以後の状況の認識に基づく思索的な、しかも論理的な論述となっているが、この文章は「8・6ヒロシマ国際対話集会―反核の夕べ 2012」(2012年8月6日、広島市民ふれあい交流プラザ)での発言のために用意した文章であるという。その中の結びにあたる部分で 
 
 「この集会のスローガンに『福島から広島が学ぶこと』とありますが、むしろ、広島・長崎の人びとの六十七年に及ぶ長い闘いの蓄積から福島のわたしたちが学ぶべきことが多いはずです。広島・長崎と福島をいっしょに語ることによって、共有可能なものを見いだして将来に生かすことができるはずだと考えています。」 
 として、核兵器・核発電の廃絶に向かう展望を語っていることの意義は大きいと思う。この章の一連の文章は<核災>によって何が人間を苦しめたのか、それを起した原因者達が行ってきたことは何か、いま被災者がどのような状況下で生き、どのような困難に直面しているのか、原因者達はどのように裁かれなければならないのか、貴重な指摘、問題提起がなされている。 
 
 「四章 戦後民主主義について」には、3・11後に多くの媒体に買いてきたエッセイや評論などを纏めていて、いろいろな論点の展開、戦後民主主義についての論考が魅力的で、筆者はうれしい共感を持てた。多くの人々との交流、国語教師としての経験、多彩な読書歴など、若松さんを知る上でも貴重である。 
 
 「五章 ここから踏みだすためには」ではコールサック社刊の『命が危ない 311人詩集』、『脱原発・自然エネルギー218人詩集』の作品について論じていて、この詩集を読んだ筆者にとって、改めて興味深く読むことができた。詩人の個性的な感性と社会との切り結びなど、短歌を読む筆者にとって刺激的でもあった。また「<被災地>福島の、いま。」の「神隠しされた街 チェルノブイリ、ここに再び」「子どもたちのまなざし 来て、現実を直視してほしい」にうたれた。 
 
 「六章 海辺からのたより」には、若松さんの詩二編が収録されているが、「海辺からのたより一,二」「記憶と想像」に、若松さんの時間的、空間的な広さと深さを持つ詩人としての感性、その表現、人間としての大きなやさしさと鋭さと、打ちひしがれない強靭さを感じた。 
 
 同書のために書かれた、詩人でありコールサック社の代表である鈴木比佐雄氏の解説は、詩友である若松さんについて、同書の編集・発行人にふさわしく、心のこもって行き届いた内容であり、読者にとってはありがたいものだった。そのなかで 
「3・11以後に世界の文明の在り方をもう一度根本から見直し、他者の人権、生きとし生けるものの生存権、地球環境の保全などを未来の子どもたちに手渡していくために、自分の暮らしを変えていこうと考えている人々にぜひ、この評論集を読んでほしいと願っている。若松さんの問いかけは、市民文化を育てるような生きていく場所から、自らの生き方を通して、他者の人権や生存権など民主主義の根本を自分の頭で考え、自分の言葉で語り、責任ある思いやりのある行動をしてほしいと言う、心からの願いだろう。」 
 と評しているのは、まさにその通りであると思うとともに、鈴木さんの意思を語っているのだろうと読んだ。 
 
 さらに、鈴木さんは解説の中で、次のことを記している。 
『今後の若松さんの実際の行動の一つを紹介しておきたい。十一月十六日付の東京新聞の社会面で第二次の『福島原発告訴団』が東電の勝俣恒久前会長ら事故当時の経営陣三十三人を業務上過失致傷などの疑いで福島地検に告訴したことを大きく報道していた。この第二次の『福島原発告訴団』は、一万三千二百六十二人で避難途中の死亡、避難生活に絶望した自殺、甲状腺異常の被害の子ども達の親御さんなど四十七都道府県の人びとだ。若松さんは今年六月に福島県民だけで結成した第一次『福島原発告訴団』の千三百二十四人の一人だ。私はこの二つの裁判を通じて、原発を推進してきた東電幹部と政府・行政、政治家たち、原発メーカー、原発を肯定してきた学者・外郭団体たちなどの『原子力村』の利権の構造や無責任体制や『棄民政策』が徹底して暴かれることを期待している。若松さんの本書が、これらの裁判の関係者たちや福島のことを決して忘れてはならないことと考えている多くの人びとに読まれ、彼らを勇気付け励まし続けることを願っている。」 
 
 筆者も同感だ。 
 
 なお、付属CD「神隠しされた街」は、稲塚秀孝監督・ドキュメンタリー映画『フクシマ2011〜被曝にさらされた人びとの記録』(詩・若松丈太郎 曲・歌:加藤登紀子)である。筆者はしばしばこれを聴く。 


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