2013年01月07日23時45分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(84)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った作品を読む(14) 福島・松川短歌会合同歌集『思い草』の作品から   山崎芳彦

 『角川 短歌年鑑 平成25年版』(平成24年12月刊 角川学芸出版)は、昨年の同24年版に続いて、原発と短歌にかかわる企画を組んでいる。同年鑑については、掲載されている作品も含めてこの連載のなかで読んでいくつもりだが、今回は「論考 震災・原発と短歌」の中の歌人・吉川宏志氏の「言葉と原発」と題する評論の内容の一部を見ておきたい。吉川氏は同24年版で「当事者と少数者」で原発問題について貴重な問題提起をしていた(この連載の42回、43回で氏の見解について触れた。)が、今回の評論も大切な論点を提示している。 
 
 ◇『角川 短歌年鑑 平成25年版』所載の吉川宏志氏の「言葉と原発」について◇ 
 
 吉川氏は、「言葉と原発」の中で、自らの立ち位置について「学生のころチェルノブイリ原発事故が起きた。当時はかなり関心をもっていたのだが、現実の行動は何もできず、そしていつか忘却していった。その反省もあり、この一年半ほど、雑誌やインターネットなどの場で、脱原発の立場から文章を書いたり、デモや集会に参加したりしてきた。ただ、私は専門家ではないので、明確なことを言えるわけではない。臆病なので、政府や推進派の人びとを、激しく非難することもできなかった。よく言えば穏当、悪く言えば中途半端な脱原発派にすぎない。」と、きわめて謙抑的に語っているが、「おそらく私以外にもそのような鬱屈した思いで生きている人は多いのではないだろうか。」としつつ、その論点は論理的かつ明快である。脱原発を「語る」ことだけですむほど単純な現実ではない。氏は、大変重要な問題にまで踏み込んで言及している。 
 
 吉川氏の評論については、同年鑑の他の歌人の評論も含めて、別稿で検討したいと考えているので、ここでは氏が、「最後に最も重い問題に触れざるを得ない。」として言及している点について触れるにとどめたい。氏は 
 
「福島第一原発の事故について、現在非常に言いづらく、論じにくいのは、低線量被曝の問題が存在しているからである。放射能の被害がわかってくるのは、五年後または十年後だと言われている。時間がかかり広範囲にもなるので、チェルノブイリの事故でも、どれだけの被害があったのか今でもよくわかっていない。三十数人という説から、数十万人という説まであるのである。」 
 
「そして、現在でも福島にはたくさんの人が生活している。そのため、危険性について発言することは、不安を煽るとして、マスコミ等では忌避される傾向がある。被災者に対する差別を生み出す恐れがあることも事実だ。しかし、逆に安全だと言ってしまうことは、万が一のことが起きた場合、重い罪になるかもしれない。(刑罰を問われることはないだろうが、人間としての罪は生じると思う)。専門家によっても意見は大きく異なり、まったく被害は出ないと主張する人もいれば、このままでは非常に多くの犠牲者が出ると予測している人もいる。専門家でない私たちは、なにが正しいのか、判断することが難しい。」 
 
「デモをしている人々のあいだでも、原発の危険性をもっとアピールしていくべきだという考え方の人たちと、傷つく人がいるからあまり言わないでおこうとする人たちの対立があるようだ。 
 こうしたジレンマがあることで、原発について一般人は明確な発言をしにくいという状況が生まれている。・・・それで一種のタブーになり、多くの人々が沈黙に追い込まれているのである。」 
 
 という現状から、吉川氏は次のように問題提起、提言をする。 
「まず<これからどのようなことがおきるのか、誰にもまったく分からない>という事実を認めることが重要であるように思う。危険か安全か、それは数年後の未来にならなければ分からない、ということを、(どちらの立場の人も不満だろうが)認めることが必要なのだ。そして、その共通認識のもとで、対話をしていくしかないのではないか。少なくとも、そのような前提であれば、多少は発言をしやすいはずである。」 
 
 筆者は、この吉川氏の論について、いささかの不満を持たざるを得ないひとりであり、これまで読んできた短歌作品から考えても、長崎・広島の原爆投下による放射能被爆、二次被曝について、低線量被曝も含めて、多くの経験が詠われてきていること、チェルノブイリだけでなく、原発を持つ各国の原発周辺地域における住民の健康調査の結果明らかになっている放射能被曝による健康被害の実態などが示されていること、日本の原発作業員の被曝被害など、核放射能の危険は否定しようのないことと考えているから、福島の原発事故によって放出された放射能による被曝が、低線量であったとしても「安全」であるはずはないとする立場に立つ。もちろん、専門家ではないから、科学的、医学的に証明しろと迫られて、的確に応じることはできないことは十分承知の上である。 
 
 しかし、吉川氏の提起について理解できないと言うことではない。「対話」をし、低線量被曝がもたらすことについて、より科学的な知見を学び、理解し、実態を知ることは核・原子力施設について多くの人々の合意を形成する上で重要であると思う。 
 
 吉川氏は<なにが起きるか分からない>から、とる対応(避難など)について政府に補助を要求することや、正確な情報を分かりやすく公開することの必要性も言い、 
「<何が起きるのかわからない>という不安を、私たちは直視すべきなのだ。政府が早々に事故収束宣言を行なったように、結論をすぐに出して安心してしまおうとする社会的な傾向がある。しかし、結論を急がず、原発が生み出す不安そのものを見つめるべきなのだ。被曝の後に、不可解な病死を遂げた例は、いくつも存在している。だが、放射能が原因だと科学的に証明することは難しい。そんな不確定性に、原発の恐ろしさは存在するのである。それを真に認識したら、私たちのとるべき道はおのずと定まってくるだろう。」と言うのである。そうだと思う。 
 
◇福島第一原発周辺の4市町村での「手抜き除染」の横行◇ 
 
 今朝の朝日新聞の一面トップに「手抜き除染横行」の大見出しの記事が載っている。福島県内の11市町村を除染特別地域に指定(環境省)し、昨夏からこれまでに福島第一原発周辺の4市町村(楢葉町、飯舘村、川内村、田村市)の本格除染事業をゼネコンの共同企業体に発注した除染作業で定められた作業ルールに反した(取り除いた土、枝葉、洗浄に使った水などの一部を現場周辺の川などに捨てるなど)「手抜き除染」が横行しているというのである。ゼネコンの中には、原発の建設を行なった企業も少なくないのだが、活断層の上や周辺に原発を建設した企業が、原発事故による放射能汚染の除染を請負って莫大な受注金額(4市町村の除染受注で約450億円)を手に入れ、組織的に「手抜き」行為をして恥じないというのだから、原発・核放射能の危険性などまともに考えようとしていないのであることは明白だ。 
 
 安倍内閣の原発政策は再稼働・新設推進であるが、このようなとうてい許せない「原発ムラ」の所業の中での原発維持・推進は、福島原発事故の被災の下、苦難の日々を生きる人々の短歌作品に対する冒涜、挑戦もである。 
 
 今回は、福島市松川町の「松川短歌会」(鈴木益二郎会長、会員25名)が昨年六月に刊行した合同歌集『思い草』の作品を読む。原発にかかわるといえばほとんどの作品がそうであるのだが、その中からの抄出である。 
 
 
  ◇松川短歌会歌集『思い草』(抄)◇ 
 
▼天と地のあはひの惨に添ひながらもう散りました今年の桜 
欲望の限り知らざる愚かさの罪にぞわれらホモサピエンス 
在り狎れてしまひし心恥じながら慎しみながら生きてゆかんか 
                     3首 朝倉富士子 
 
▼花粉症の眼が痒いより十億倍も気がかりな汚染と風評 
東を睨み頼もしひまわりは放射能吸う邑の防人 
福島の米の話に哀しかり「売れよ買うよ」は他県米なり 
ははははと笑うしかなし母もはは明るき呆けの華ぞ麗し 
UFОの里に来ている宇宙人よ除染の作業を手伝ってくれ 
                     5首 安斎義雄 
 
▼襲い来し巨大な地震大津波原子炉破壊にこころつぶれり 
                     1首 岩見順子 
 
▼飯舘の村長さまの講演を時の経つのを忘れ聴き入る 
飯舘へととどけとばかり打つ太鼓、乙女の肩に汗滲みおり 
                     2首 大竹ナオ子 
 
▼原発の事故の処理にと身を挺す人等に感謝せん孫等のためにも 
災害の風評被害に踊らぬよう『鈍感力』を読み直したり 
わが耳は説明会に安心を求め安全の音を追いかける 
                     3首 荻野しげよ 
 
▼この風に如何ほどある放射能見えざるがゆえ恐怖つのり来 
山裾を紅にそめて咲くつつじ大気の汚染知らぬげに咲く 
放射能に怯えるかはた諦めか夕べの庭に虎落笛泣く 
                     3首 加藤次男 
 
▼煙噴く原子炉の空を渡りゆく月よ金色の涙流すか 
冥々と風を従え雨しぶく燃ゆる原子炉の冷ゆるまで降れ 
                     2首 菊地イネ 
 
▼チェリノブイリ他山の石と思いしに今わが里も放射能の中 
絶対の安全安心崩されて原発の収束今にわかたず 
原子の火いとも安易に使いたる人類に神の戒めかとも 
伝来の田畑も汚染されにけり作付不安に除染急かるる 
セシウムの零なる新米新嘗に供えて原発の収束祈る 
放射能に汚染されたる熟れ柿の捥がれぬままに晩秋の彩 
                     6首 桐生 誠 
 
▼黄の色に染まりし稲穂まぶしかり嬉しさのなか放射能よぎる 
「食べるかい」採りたての野菜持ちくれぬ友人がそっと低き声にて 
放射能の話題が常となりてきぬ友迷いおり味噌を搗くにも 
                     3首 國嶋利子 
 
▼原発の怒り何処に放ちやらん生活奪われし人々の群 
眼に見えぬかの放射能に怯えつつ六十六回目の原爆忌むかう 
                    2首 小林千恵子 
 
▼北風よ吹けよ吹け吹け強く吹いて見えぬ魔物を飛ばして欲しい 
さりげなく暮らす日々にも放射能に怯えておりぬ心の隅で 
                    2首 佐々木廣子 
 
▼春めきて畑に何をつくるかと放射能汚染の土壌を愛しむ 
荒びゆく世の混乱を見るおもい原発事故で農はこわさる 
放射能汚染で遅い田植えせし青田となれば心やすらぐ 
                    3首 佐藤トキ子 
 
▼列島を揺るがし止まぬ日々にしてアカシヤの花白じらと散る 
じわじわと見えぬ恐怖が迫り来る記事を切抜きスクラップする 
みどり児の生れしというに母乳さえ与えられずにかなしかるらん 
かの地より吹かれ来るらん放射能 南東の空まじまじと見る 
避難所から幾山越ゆれば吾が里ぞ放射能汚染の薄きを祈る 
花も見ず遠出もせずに籠りいて放射能汚染に戦くくらし 
孫子らと連休の日を汚染せる庭池うめて空地となさむ 
黄金色に稲穂眩しくなびくみゆ地元の稲の汚染なくあれ 
                    8首 塩谷ミチ 
 
▼放射能避けてわが町に避難せし人らよ祭り太鼓に古郷思うや 
悲しみを乗り越え生き居る被災者を襲う放射能形あらずて 
                    2首 田中二三子 
 
▼取り入れを終えて農夫ら日暮れまで放射能セシウム熱く語りぬ 
登園の孫は肩より線量計と黄色いカバンを交差に掛けて 
原発の被害に稲作諦めず代田に水引く今日のよろこび 
穂孕みの茎にそっと手を添える放射汚物を吸いしか否かと 
                    4首 中村英二 
 
▼原子力発電の偉力の裏腹や事故にて右往左往す 
放射能汚染に廃棄処分とう青菜畑に農夫がひとり 
放射線の数値告げられ迷いつつ大根の種まく少し深めに 
風評を消さんと胡瓜をかじる知事地元の野菜あまた並べて 
お裾分けしたキャベツ莢豆もどされたわが菜園の風評被害 
                    5首 古内恵代子 
 
▼目に見えぬものに遠吠えしたくなる原発事故にさまようかわれら 
ストレスを感じるこの頃再びの政府、東電の誤報に戸惑う 
                    2首 本田マサ子 
 
▼糠漬けがうまい時期だと出されたり漬け茄子美味いが被曝は怖し 
原発から五十三キロを吹く南東風(いなさ)、虎楽笛とも法華聲明とも 
                    2首 矢吹泰英 
 
▼原発に郷を追われし人々の遣る瀬なき思い如何にせんかな 
子供らの遊ぶ声なき校庭は五月の空にしんと広ごる 
「一時間」と制限付きの公園に孫かろがろと紙飛機追う 
                    3首 和合征子 
 
 次回も福島県内の短歌会の歌集の作品を読み続ける。 
 
 (つづく) 


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