2013年01月26日13時20分掲載
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核・原子力
【たんぽぽ舎発】新安全基準が対処しない、気になる中身 規制委の「再稼働させるための安全基準」を批判する 山崎久隆
原発再稼働の前提条件となる「安全基準」作りが大詰めを迎えつつあるが、もうマスコミではほとんど報道されなくなっている。
忘れっぽいのは日本人の特性などという人もいるが、忘れさせようとしているマスコミの特性のほうが遙かに問題だろう。
福島では依然として大勢の人々が仮設住宅などで暮らす。津波災害で家を失った人ばかりでなく原発の放射能で町ごと避難している人も大勢いるのだが、やはり津波災害からの復旧に取り組む人々のニュースは「定期的に」報道されるものの、原発の放射能で帰れないまま「難民状態」にされている人々のことは「触れられない」のが実態だ。
福島第一原発の事故経過すら分かっていない中で、再稼働のための「安全基準」作りだけが進められている。しかし本当に実効性のある基準が作れるのか。それは不可能だ。事故はどのように進展していったのかが、ほとんど分かっていないのに対策など作れるはずがないからだ。
規制委員会は「やはり」というべきか、事故対策に直接関わる安全基準の作成は「放棄」した。出来るわけがないからだ。
例えば、構内に放射能が充満し、被曝覚悟で活動しなければならない事態に陥った場合誰がどのように指揮を執るのか。答えは依然としてない。
第二制御室をつくるとか、重要免震棟を作るなどは単なるハードウエアの問題であり、人を含めての「ソフトウエア」は何ら考慮されてはいない。
緊急対策で100ミリシーベルトあるいは250ミリシーベルトの被曝を覚悟して事故収束作業に当たるなどと、本当に可能だと思っているのだろうか。
そしてそれは誰が行うのか。電力社員が第一義的に、などと言っても事故の初期段階でこれを遙かに上回る被曝をしていたら活動不能になるわけだし、外部からの応援が、そう簡単に投入できる訳ではないことは福島第一原発で経験済みだ。
炉心崩壊し、使用済燃料プールも破壊されていくような事故を前に、人が対処できる限界を超える可能性を、まず論じるべきではないのだろうか。
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