2013年02月03日12時20分掲載
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地域
【伊那谷から】飯田線で進む駅の無人化計画 田中洋一
信じられない数字が並んでいる。1日の乗車人員が3人とか5人とか7人という駅がある。豊橋(愛知県豊橋市)と辰野(長野県辰野町)を南北に結ぶJR東海の飯田線のうち、静岡・愛知との県境に近い長野県内のいくつかの駅のことだ。近年は「秘境駅」と呼んで商品価値を付け、観光ツアーに組み込んでいるが、そうでもなければほとんど人目に触れることはなかろう。
同じ飯田線の、駅の無人化計画が当地で問題になっている。JR東海は長野県内にある54駅(辰野駅はJR東日本)のうち9駅を対象に4月から無人化に踏み切る。実施後に残る県内の有人駅は伊那市、飯田、天竜峡の3駅だけになってしまう。
対象駅のある自治体は苦慮している。伊那市の場合、利用客は高校・中学生が多いので防犯が気がかりだ。一方、駒ケ根市は、中央アルプス観光の玄関口として印象の悪化を心配し、市が経費を負担して切符発売の職員を配置する方向だ。
私自身は長野や東京への出張で、このローカル線を結構使う。私用なら安い高速バスだが、遅れてはならない仕事にはやはり電車が安全だ。とはいえ飯田線のスローペースは、もどかしく思っている。駅の間隔は平均2kmで、豊橋−辰野の約200kmを6時間かけてのんびり移動する。これでは、車を使えない高校生やお年寄りの足としては必要でも、ビジネス客の利用はほとんどゼロだろう。
元々は4本の別々の私鉄だった。豊橋と豊川間に1897(明治30)年に最初の汽車が走った。三河川合と天竜峡を結ぶ三信鉄道は、険しい地形を縫う路線の測量にアイヌ民族の川村カ子トが活躍した。全通は1937(昭和12)年。戦中の43(昭和18)年に国有化される。「東海道線と中央線を結びつける国有鉄道強化策」であり、国策だった(『三遠南信を結ぶレイルロードヒストリー』)。
戦後のいつ頃から乗車人員が減ったのか、私は把握していない。だが駅員を減らし、さらに駅員を置かない停留場に格下げしてきた。前回の波はどうも国鉄分割民営化の87年前後のようだ。ある村は当時の広報に載せている。「経営再建のための合理化対策」として計画が示され、反対活動を展開してきたが、「飯田線存続のためには合理化も止むなし」と押し切られた様子が伝わってくる。
今回もJR東海は「路線を維持していくために必要」と説明し、自治体側は「経営方針は受け入れざるを得ない」と認めている。となれば、自治体側ができるのは、無人化に甘んじるか、数百万円の経費を出して切符発売の職員を置くことぐらいしかない。
JRは14年後にリニア中央新幹線の開業をにらむ。そのリニアと飯田線は交差する。1世紀以上の歴史を引っ張る飯田線と、21世紀のリニアだが、どちらを取材していても、情報を積極的に出そうとしないJRの姿勢が気にかかる。自治体側も、無人化が繰り返されると予想できたはずなのに、事前に方針を立てられなかったのか。
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