2013年02月12日13時19分掲載
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目の前にある故郷 帰れない故郷 戻れない故郷 それは福島 映画『故郷よ』を観る 笠原真弓
故郷は、いつまでも変わらずにある、いつでも帰ることができる、と人は思っている。石もて追われた故郷でさえも、人は帰りたいと願う。しかし世の中には、失う故郷もある。
それは25年前のことだった。チェルノブイリから3キロのプリピャチ。村人は川で洗濯をし、魚を漁り、明日式を挙げる恋人たちピョートルとアーニャは舟遊びをしている。父アレクセイと息子ヴァレリーは、「全ての動くものには名前がある。りんごにはない。動かないから」と話しながら、川岸に1本のりんごの木を植える。
それは4月25日のことだった。
故郷は、こうして穏やかな空気に包まれているものである。誰が、次の日にのどかな故郷を失うと想像できたであろうか。誰が、結婚の祝賀の最中に消防隊員として呼び出された新郎が、帰らぬ人になると知っていただろうか。原発技術者のアレクセイは、ことの重大さを悟り、いち早く家族を避難させるが、守秘義務のため誰にも告げられない苦しさと、状況の深刻さに現場周辺を徘徊するばかり。
10年の月日が経ち、鉄道の駅は封鎖され、人の住めない廃墟と化した街に、石棺で働く人などがいる。アーニャはいったんこの町から離れたものの、原発ツアーガイドとして月の半分はこの街で暮らす。放射能の影響が体に現れるなか、フランス人の恋人にパリで暮らすように誘われ、一方では、夫の親友で今では石棺で働くディミトリーに、引き止められる「ここを捨ててどこにも行かれない。必ず戻ってくる」と。
二人のあいだで大きく揺れる彼女の気持ちこそが、『故郷よ』なのである。それに父の死を信じないヴァレリーの『故郷よ』がある。
これは、劇映画である。だからこそのリアリティーがある。黒い雨が降り、「すぐに戻れる」と言われ、何も持ち出せずにバスで故郷を離れる人々。かつては人々の声のあふれた街に人声は途絶え、防御服の人々が行き交う。当局の立ち入り禁止を無視して住み続ける人。放射能の影響が現れ、子どもを産めない不安に苛まれている。
みんなどこかで聞いた話だ。いやどこかではない。今そこで、私の友人、知人、すぐとなりで起きていること。私の孫たちに起きることなのである。故郷がそこにある、手を伸ばせばあるのに、帰れない人たち。停らない駅を探して電車に乗り続ける人たち。健康に怯えながらも、吸い寄せられる故郷は、私たちみんなの心の中にもある。
2月9日に東京(シネスイッチ銀座)、大阪(梅田ガーデンシネマ)、名古屋(シネマスコーレ・ミッドランドシネマ名古屋空港)を皮切りに順次ロードショー。
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