2013年04月26日09時57分掲載
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反戦・平和
「ドレスデン空襲の意味、国境と世代を超え継承を」訪日のノイツナーさんが対話を強調<下>
ドイツからドレスデン空襲の記憶継承活動を行っている「1945年2月13日」協会のマティアス・ノイツナーさんが、日本で行った講演のつづきを紹介する。ノイツナーさんは、「世界の平和を達成し、人権をより強固なものにするために、国を超えて、共に過去に対して取り組んでいくことが必要だ」と訴えた。(加藤〈karibu〉宣子)
▽ プロパガンダに利用された空襲被災都市ドレスデン
破壊された都市から人々は避難していき、その避難の波がドレスデンにとっての敗戦を象徴するイメージとなった。破壊と消失によるどうしようもない状態と死への恐怖は人々の個人史と都市の記憶に刻まれた。しかし、都市がまだ燃えている間にドレスデン空襲がプロパガンダの中心テーマとすることをナチス指導部は決め、連合軍を非難する利用しやすい道具と位置付けられた。「ドレスデンは戦争史上最大の民間人に対する攻撃である」と。
そして死者数は何十倍にも膨れ上がって喧伝され、戦争の作戦上無意味であり、唯一無比の無実である文化都市ドレスデンに対する爆撃だと語りがなされた。それによってドレスデンが持っていた他の意味合いを覆い隠し、世界中の注目を集めることに役立った。
ドレスデンは2月の空襲後2回大きな空爆にあっており、欧州大戦最後の日にとうとうソ連軍がやってきて占領された。終戦後、ドレスデンの語り、誇張や歪曲は修正されるかと思ったけれども、敗戦後のソ連占領地区では社会主義国家東ドイツが成立し、西側、特にアメリカを非難するために空爆の記憶を利用した。冷戦下においてドレスデンの破壊を対立に利用するために想起され、そこに毎年何十万の人々が動員された。
しかし、シンボルとしてのドレスデンは国際的に意味を持ち始め、持ち続け、1960年代終わりには、ゲルニカ・コベントリー・ヒロシマなどと名を連ねるようになった。その後1980年以降東ドイツでは政府とは独立した市民の平和民主化運動が起き、空爆の記念日を自らの立場を表明するために利用、慰霊し、東ドイツ政府に対する運動の一部に組み入れられた。
1989年秋、東ドイツ体制が崩壊し、翌年ドイツが再統一されるとドレスデンの意味は、2月13日は国民の記念日として、さらに力を持った。と同時に公共の場での議論が巻き起こった。ドイツ人のナチ犯罪、虐殺と戦争の罪責を考慮しながら、再統一したドイツ、ドイツ人が受けた被害、空襲被害について思い起こすこと、記憶することができるのか、できるとすればどのように可能なのか。
連合軍の空襲について示すことでドイツ人の罪を無害化するような議論は、1990年代終わりに極右グループが姿を現した時に先鋭化した。彼らはナチスのイデオロギーを再び公の場において利用できるかもしれないと考えたが、その試みは成功しなかった。極右に抵抗する運動が、極右の反対の意を示す「白いバラ」をつける新たな運動が登場した。それが、一万人以上が参加して都市の中心部を取り囲む「人間の鎖」である。
このような都市の公共的な空間における民主主義的な活動が成功を収めているにもかかわらず、ドレスデンは未来に対する様々な挑戦を受けている論争的な記憶の場であることには変わりない。このような対立・衝突に満ちた経過は、空襲体験者にとっては苦々しいもので、彼らにとっては1945年の体験は焼き付けられているものである。彼らが精神的な傷といかに向き合ってきたか、それは70年前に受けた経験によって規定されているが、その体験者世代は国の再建の途方もない義務・責務を負わざるを得なかった。物理的な意味だけでなく精神的な意味においても、高く積まれたがれきをどかさなければならなかった。この偉業が今日社会的にあまり認知されていないと彼らが思っても不思議ではない。体験した自らの苦難が呼び覚まされるとき、痛みもまた呼び覚まされる。
空襲体験者の中心的な気持ちには倫理的な要求がある。戦争を生き延びた世代は、彼らの人生そのものに関心を向けてほしい、つまり世界のどこであっても戦争を二度と繰り返してほしくないということだ。
▽「ドレスデンの記憶を保存したい」から始まって
1987年初めて「1945年2月13日」協会を作った時は、第2次世界大戦の体験者の記憶を、ドレスデンの記憶を保存したいということが目的だった。その直後に歴史研究プロジェクトに取り掛かり、空襲の公的な記憶を形作っていくことに対してもイニシアチブをとってきた。加えて高齢者の世代と若い世代がともに集まって共同の作業をすることもしている。自発的な世代間の対話を行おうと尽力してきた。ともに人権を尊重するような世界を望んでいる点において共通の関心を持っていることがはっきりしている。
この数年間、平和や人権について活動している世界中の人々との活発な交流を行ってきた。この経験を自分たちの街ドレスデンに還元する活動をしている。平和を達成するために、人権をより強固なものにするために、ともに過去に対して取り組んでいくことが必要とされている。私たちの過去の中に重要な考えるための材料や資源、社会参加の経験を見出すことができると信じている。そのために国境を越えて、国を超えて協力し合うことが欠かせない。日本に呼んでいただき、感謝している。日本で経験したことや友好的な気持ちをドレスデンに持って帰りたいと思う。
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