2013年05月12日11時06分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201305121106510
国際
【北沢洋子の世界の底流】スロベニアの金融危機と反緊縮デモ
今年4月27日土曜日、スロベニアの首都リュブリャナの中心地で、政府の腐敗と緊縮政策に反対する大規模なデモが行われた。国の人口が200万人という小さな国で、リュブリャナ人口が28万人のところに、なんと25、000人が集まった。デモは他の都市にもおよび、まるでスロベニア全土が蜂起した様相を呈した。このデモの名は「全スロベニア人の蜂起」と名付けられた。
これは今年3月にアレンカ・プラトゥシェク(女性)が率いる中道左派の内閣が誕生してはじめてのデモであった。デモ参加者は、これからさらに推し進められる緊縮政策と、それにともなうさらなる失業の増加という危機感を訴えた。
スロベニアには、EC、ECB、IMFのトロイカの緊縮政策はまだ導入されていない。しかし、新内閣がこれを受け入れることは明白である。デモでは、「人民に力を」や「人民ではなく、やつけるのはトロイカだ」などといったプラカードが多く見られた。デモの参加者は、「これまで、20年間の政治が間違っていた」と口々に叫んでいた。そして、今年中に内閣を総辞職して、再度総選挙を行うことを要求した。
人びとをデモにかきたてたのには、政治の腐敗というもう一つの要素があった。とくに右派のヤンシャ元首相、Zohan Jankovicリュブリャナ市長(中道左派の「積極的なスロベニア党」の委員長を兼任)などの腐敗ぶりが人びとの怒りのターゲットになった。これは公的な「腐敗調査委員会」の報告書が公表されたためである。
デモは、割られたショーウインドウ、催涙弾、警官の弾圧など、暴力のシーンが繰り返され、スロベニアが、旧社会主義国の中では、市場経済への移行に最も成功した国という神話が、かき消されてしまった。新しいスロベニアには、「ヨーロッパの顔をした」ネオーリベラリズムが最もリアルに、最も残酷な形で導入された。そればかりか、人びとは、泥棒たちが、社会の富を奪い、社会主義時代の福祉国家を解体するのを見てきた。
プラトゥシェク首相は、GDP比の財政赤字を去年の6.4%から今年は4%にするために、より一層の増税と、公務員のより一層の賃金引下げを計画している。
スロベニアの3大銀行は、社会主義時代の名残りで政府のシェアが大きい。それが今、不良債権を抱えて倒産の崖淵に立っている。そこで、政府は、これら銀行を救うために、6月に、「不良債権銀行」という特殊な銀行を新設して、そこに不良債権(サブプライム・ローンなどの毒入り)を吸収させようとしている。また、国内の資本を外国の投資会社に売るための「専門家機構」の新設、これまでに結ばれたすべての労使間の協定の廃止、社会予算のドラスチックな削減などを計画している。その結果、大学の研究費は10〜20%削られることになった。文化予算は50%削られた。これには、さすが緊縮政策の推進役であるIMFも批判した。
スロベニアが金融危機に見舞われたのは、最近のことだ。その上、輸出が不振で、予算を削減したために、国内消費が冷えてしまった。経済不況のために、失業率が14年ぶりの高い水準になり、今後、さらに増える見込みだ。
スロベニアでは、昨年12月に20,000人の大デモがあっ
た。最初は、Mariborなど地方都市で始まった。その結果、Franc Kangler市長は辞任した。この成功を見て、ついにデモは、首都リュブリャナ、そして全土に広がった。
そして、デモは保守派のヤンス・ヤンシャ前内閣を退陣に追い込んだ。そこで、総選挙が行われ、現在の中道左派のアレンカ・プラトゥシェク内閣が誕生した。
スロベニアは旧ユーゴスラビアの西に位置し、ある時はベネチア、ある時はハプスブルグ家の一部であったこと、そしてカトリックでることもあり、ユーゴスラビア連邦の崩壊の際には、1991年、真っ先に独立宣言をした。04年、旧社会主義国としては、最初にNATOに加盟し、07年には旧社会主義国では最初にユーロ圏に加盟した。
スロベニアは、北はアルプスに位置し、南はアドリア海に面する有数の観光国であった。ユーロ圏に入ってから、金融センターとして、台頭し始めた。しかし、アイスランド、キプロス、ルクセンブルグなどと同様、銀行が不良債権を抱えて金融危機が始まった。
スロベニア政府は、トロイカの軍門に下るだろうが、人びとはトロイカを絶対に受け入れないだろう。人びとは急進的で、市民社会は成熟しているからである。これは、アイスランド、キプロス、ルクセンブルグなどと異なる点である。
社会主義時代はもとより、その後も考えられなかった「直接民主主義」や「民主社会主義」といった言葉がマスメディアに登場するようになった。またデモの路上から、「直接民主主義委員会」「スロベニア文化調整委員会」、「スロベニア人蜂起総会」「正義と連帯委員会」などが誕生した。さらに「Delo Revolt in Sobotna」、「Dnevnik」「Mladina」などのオルターナティブなウィークリーが発行された。
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。