2013年05月16日07時19分掲載
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コラム
テキサスという土地 村上良太
仕事でアメリカ南部のテキサス州を旅してきました。テキサスと言えばメキシコと国境で接しており、当然ながらメキシコ出身のヒスパニック系住民が多数暮らしています。この州で仕事で出会った人物はロドリゲスというヒスパニック系の苗字の持ち主でした。ですから、彼はヒスパニック系の移民なのかもしれないと僕は思いました。しかし、そうではなかったのです。
ロドリゲス氏は旅をしながら、僕にこんなことを教えてくれました。
「僕はアメリカ人だ。でも、ヒスパニック系の移民とは違う。何代も前から、テキサスで暮らしているんだ。もともとテキサス州はメキシコの領土だった。そこから、テキサスはいったん国として独立したんだ。「アラモ」っていう映画があっただだろう?そして独立後にアメリカ合衆国に参加した。だから、僕たちは移民なのではない」
自分たちはデラシネではない。ここは俺たちの土地、俺たちの先祖の時代から暮らしていたんだ。そんなロドリゲス氏の強い思いが感じられました。テキサスの独立についてはたとえばウィキペディアに次のような記載があります。
「奴隷制を認めないなどの、メキシコの政策に不満を感じたアメリカ合衆国人入植者たちはテキサス革命を決心し、1835年にメキシコからの分離を目指して反乱を起こし、1836年にテキサス共和国として一方的に独立を宣言した。同年メキシコ軍の進軍によりアメリカ合衆国人入植者がたてこもっていたサンアントニオのアラモ伝道所の砦が陥落し、守備隊は全滅した(アラモの戦い)。テキサス独立軍は「アラモを忘れるな」("Remember the Alamo")を合言葉に、メキシコ軍と対峙、メキシコのカウディーリョ アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍をサンジャシントの戦いで撃破した。司令官のサンタ・アナが捕らえられ、テキサス共和国の成立を認めるベラスコ条約に署名した。テキサスの独立後、アングロ・サクソンが主導権を握ったテキサス共和国ではメキシコ政府が廃止した黒人奴隷制が復活した。1845年にテキサスはアメリカ合衆国の28番目の州として併合されたため、翌1846年テキサスを併合されたメキシコがアメリカに宣戦し米墨戦争が起こった。米墨戦争はアメリカ合衆国優位に進み、1848年アメリカ合衆国はメキシコを破った。この戦争によってメキシコは領土の半分を失い、アメリカ合衆国は現カリフォルニア州、アリゾナ州などの現南西部をメキシコから得た。」(ウィキペディア)
ロドリゲス氏と細かい歴史の話までできませんでしたが、テキサスの独立には当時テキサスに住んでいたアメリカ人入植者の野望が強くあったのではないかという気がします。しかもテキサスが戦争のきっかけとなってメキシコはカリフォルニアなどもアメリカに奪われることになりました。そうした歴史があったにせよ、ロドリゲス氏はメキシコではなく、アメリカ合衆国の国民であることに自分のアイデンティティを強く持っているようです。いや、それ以上に自分は「テキサン(テキサス人)」であると感じているようです。この「テキサン」という言葉ですが、ウィキペディアによると、単なるテキサス人でなく、ヒスパニック系のテキサス人を指すそうです。
メキシコから独立した当時、テキサスの住民の中には多数のメキシコ人がおり、彼らはUSAに参加すると同時にアメリカ人になったわけです。たとえ英語がへたくそだとか、まったくしゃべれなくてもアメリカ人になったのです。そんな先祖を持つロドリゲス氏自身は子供時代はスペイン語を話せたそうですが、最早片言しか話せないと言いました。
「君の方がスペイン語ができるんじゃないか、ハハハ」
テキサスを旅すると、しばしばスペイン語で話しかけられます。他の州と違った合衆国への参入の歴史を持つテキサスは「ローンスター」と呼ばれる星が1つついた州の旗を大切にしています。今は50州の1つの「州」ではあっても、もともと1つの国家であって独立心に富み、アメリカの他の州とは違うと強く感じている人が多いそうです。そうは言われても、日本からテキサスを見ると、ブッシュ大統領の故郷でもあるように共和党の地盤であり、非常にアメリカンな州でもあるように感じられます。ですから、ロドリゲス氏のような先祖の時代からこの地で暮らしている「テキサン」の存在にほとんど気づかないのです。
四半世紀前の大学時代にアメリカ一周旅行をした時、ロサンゼルスからニューヨークまでの行きはメキシコとの国境に近いルートを通りました。テキサス州のメキシコとの国境に川が流れており、当時はフェンスもなく「ウェットバック」と呼ばれる不法越境者が多数いました。ウェットバックとは検問のある国境の橋を渡らず、川を泳ぎ越えて不法にアメリカ合衆国に密入国する者を指しています。川を渡ると背中が水で濡れるのでそんな呼び名が生まれたと聞いたことがあります。
その時、僕も国境の橋を行ったり来たりしてみました。朝、メキシコ側から労働者が橋を渡って米国側に入りそこのアパレル工場で働いたり、メードをしたりして、夕方にはまた橋を通ってメキシコ側の住まいに帰っていきます。毎日国境を渡るメキシコ人労働者がたくさんいました。日本で暮らしていると、国境を目にする機会がないため貴重な経験でした。国境のアメリカ側付近には安物の衣類が山積みされた問屋感覚のアパレル店があり、そこで客たちは1ドルでTシャツや靴下なんかをつかみ取りのように買っていました。一方、川を渡ってメキシコ側に入ってみると、生ジュースがガラスの器に入れて売られており、匂いも色も言葉も教会も何もかも感じが違っています。
この頃はアメリカ合衆国内のヒスパニック系住民は500万人くらいと言われていました。そもそも不法入国している人が多いため、正確な人口統計もなかったものと思われます。それが現在は4000万人超となっており、昨年の大統領選でもオバマ大統領再選の重要な票田になったとされます。政治的なパワーが台頭しているだけでなく、文化の面でもパワーを持ち始めています。
何年か前にカンヌ映画祭「ある視点部門」でグランプリを取った映画「彼女を見ればわかること」はロサンゼルス郊外に暮らす5人の女性の人生の転機を描いたオムニバス形式の映画です。この映画にはハリウッド映画にあまり見かけなくなったリアリズムと深みがありました。女優はキャメロン・ディアスやグレン・クローズなどハリウッドを代表するアメリカ人たちです。しかし、監督の名前をみると、アラン・ガルシアという名前。父親が文豪のガルシア・マルケスですが、コロンビアで生まれたアラン・ガルシアはアメリカで映画監督業をしているそうです。アメリカを舞台にアメリカ人の俳優を使いながら、今までのアメリカ映画にはない深みのある、面白い映画を作っています。
かつてはヒスパニックと言うと、中曽根元首相が任期中に黒人やヒスパニック系を貶める発言を行って問題になったことがあったように、米社会の中で一段格下に見られている印象がありましたが、文化の面でも台頭してきているのが感じられます。
■アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014)またはメキシコ人の力
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201906011259396
■フアン・ルルフォ著 「ペドロ・パラモ」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201108312155013
■語学に再挑戦 4 〜スペイン語とポルトガル語の間〜 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201108141106050
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