2013年06月16日12時23分掲載  無料記事
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コラム

映画とテレビ

  昨日、映画「日本国憲法」の上映会場で監督のジャン・ユンカーマンさんにお会いすることができました。ユンカーマン監督と言えば僕の場合、与那国島の漁師を撮影した「老人と海」をまず連想しますが、この映画も見そびれており、昨日が初めてみるユンカーマン作品でした。 
 
  ドキュメンタリー映画「日本国憲法」を見ていると、普段僕らがTVの報道系番組で放送しているものと編集方法の違いを一番感じるところでした。映画のテーマの関係からでしょうが、インタビューがメインでしたが、たとえばAさんの話とBさんの話がカットつなぎですぐに直結されているくだりがありました。 
 
  A→B→Aというように、Aさんの話を理解する上でBさんの一言が欲しいと思ったからAさんの話の間にそのコメントだけをはさんだのだと推察します。具体的に言えば社会学者・日高六郎氏の話の間に短く、歴史学者ジョン・ダワー氏の話をはさんでいるのです。そしてまた日高氏の話に戻ります。こうすると形の上では日高氏とダワー氏が会話しているかの印象ですが、二人は別々の場所で撮影されています。 
 
  こういう手法は欧米で普通にあるのですが、最近の日本のテレビ番組では特に民放ではまずやりません。やらない理由がなぜか、というのは「行ったり来たりするから」と言われています。確かにそうではありますが、しかし、実を言うと最初に話し手にどんな人がいるのかと先に紹介されていて観客の頭に認知されているから、話者が行ったり来たりしても観客の側からすると、どうってことはないのです。 
 
  以前、英国とアルゼンチンが戦ったフォークランド紛争の双方の生き残り兵士たちのインタビューで構成された番組をNHKで見たことがありますが(海外制作番組をNHKで放送したもの)、数人の証言をカットで直結して編集して積み重ねていったものでした。通常、インタビュー番組は面白くないと言われているテレビ界のセントラルドグマに反して、このドキュメンタリーは真実を立体的に描いた名作でした。 
 
  一般に今、TVの世界ではかっちり出来上がった編集の方法に疑問をもたなくなっているのです。そうした表現方法の規制が実は番組作りの基本的な方法についても言えるのではないかと思っています。テレビ放送が始まって50年以上たっていますが、その間に様々な手法が実験され、うまくいったものが残って来たはずですが、現在になるとそうして構築されたものが制度と化して制作する者を縛っている側面もあると思います。 
 
■テレビ制作者シリーズ11 「報道のお春」吉永春子ディレクター 
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  「TBSテレビで「魔の731部隊」「天皇と未復員」など数々の話題作を作った吉永春子ディレクターは「報道のお春」と呼ばれていました。帝銀事件、下山事件、松川事件などGHQ統治下に起きた一連の謎の取材を原点に、放送人生は55年に及びます。この20年近くは毎週、深夜のドキュメント番組「ドキュメント・ナウ」(旧「ドキュメントDD」)をプロデュースしてきました。ディレクターが一人で現場を駆け回ってビデオカメラを回し、原稿・音楽・編集まで手がけるものです。こうした作り方に「カメラが安定しない」とか、「技術がない」などと批判する人も業界に大勢いました。しかし、吉永さんは信念をもっていました。「報道とは自分の目で発見したことを報じることである」現場で取材した人間が一番現場を知っている。その発見を伝える事がニュースである。そんな吉永さんの原点はラジオ時代にありました。」 


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