2013年06月20日21時11分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

世界のベタ記事から〜98歳の男性がナチ戦犯として訴追される〜「上官の命令に従っただけ」

  ハンガリーで今月、ナチ戦犯として98歳の男性が訴追された。この男性、Lazlo Csatary被告はアウシュビッツ強制収容所にユダヤ人が送られるのを手助けした罪などに問われている。被告は「上官の命令に従っただけ」と無罪を主張している。記事はニューヨークタイムズなどによる。 
 
  遡ること65年の1948年、Csatary氏は1944年にユダヤ人を虐待していたこととアウシュビッツへの移送を手助けしていた罪で死刑を宣告された。被告の行為が行われたのは現在のスロバキア東部の町Kosiceであり、当時被告は警察の指揮官だった。 
 
  しかし、1948年の裁判は欠席裁判で、被告は逃亡し身柄を隠していた。長年、ナチ戦犯を追いかけてきたサイモン・ウィーゼンタールセンター(Simon Wiesenthal Center)の追跡者リストのトップに掲載されていた。昨年7月彼はハンガリーで身柄を拘束された。しかし、被告は一貫して罪を否定しているという。3か月後に判決が下される模様だ。第二次大戦から68年。被告はすでに98歳だが、なんとユダヤ人の証人も生存していると言う。 
 
■サイモン・ウィーゼンタールセンター 
’Wiesenthal Center Welcomes Indictment of Hungarian Nazi War Criminal Laszlo Csatary for World War II Crimes’ 
「ハンガリー人ナチ戦犯の訴追を歓迎する」 
http://www.wiesenthal.com/site/apps/nlnet/content2.aspx?c=lsKWLbPJLnF&b=4441467&ct=13181395 
  ’The former Kosice ghetto commander played a key role in the deportation of approximately 15,700 Jews to the Auschwitz death camp, where the majority were murdered. ’ 
 
  Csatary被告の居場所を突きとめ、2011年秋にハンガリー当局に通報したのはイスラエル在住のEfraim Zuroff氏だった。Zuroff氏はナチス戦犯を追跡するナチハンターのリーダーで現在、エルサレムを活動の拠点にしている。。第二次大戦中、Csatary被告はKosiceという町の警察機構の指揮官だった。この町から約15700人のユダヤ人がポーランドのアウシュビッツ強制収容所に送られたが、その大半は殺された。当時、ドイツの同盟国でファシズム国家だったハンガリーの国民だった被告はスロバキアに占領軍としてやってきた。 
 
■Kosice ghetto ゲットーの記録 
 
 ’Under the Hungarian rule from November 1938, hundreds of Jews were expelled to the Slovakian border or sent to the Garany concentration camp. Jewish population was abused by the Iron Guard units; more and more strict legal limitations were imposed. In July 1941, about 300 Jews lacking Hungarian citizenship were expelled to the German occupied Ukraine and murdered there in autumn this year. 
 
  In April 1944, 7.883 Jews from Kosice and 4.006 from the surrounding villages were confined in the ghetto. 
 
  Deportations were started on May 15th, when two transports with 6.680 Jews left for Auschwitz-Birkenau. On 19th May , another 6.524 Jews were sent to Auschwitz-Birkenau in two transports and followed by the fifth one and final transport with 2.439 Jews on June 3rd. 
 
  The post - war community numbered about 4000 people in 1948, some of them were the survivors, coming back after the war. Majority of them left in the following few years for Israel or the United States. ’(Polin Travelより) 
 
 1938年11月からスロバキアはハンガリーの支配下となった。数百人のユダヤ人が国境の町に追いやられ、Garany収容所に入れられた。そこで看守らによる虐待にさらされ、ユダヤ人の法的権利は次々と剥奪されていった。 
  1941年にはハンガリー国民の市民権を持たない300人のユダヤ人がナチ支配下のウクライナに移送され、そこで同年秋に殺された。 
 
  1944年4月にはKosiceから7883人のユダヤ人と、周辺地域から4006人のユダヤ人がゲットーに隔離された。 
  アウシュビッツ強制収容所への移送が始まったのは1944年5月15日だった。この日ゲットーのユダヤ人は2つのグループに分けられ、合計6680人がアウシュビッツに移送された。5月19日には6524人のユダヤ人が2組に分けられてアウシュビッツに送られた。さらに6月3日に2つのグループに分けられ、合計2439人が移送された。 
 
  戦後の1948年の段階でわかったところではゲットーの生存者は約4000人。そのうち何人かアウシュビツから生還した人びとが含まれる。ゲットーの生存者の大半は数年のうちにイスラエルか米国に移住した。 
http://www.jewish-guide.pl/sites/kosice 
■Csatary氏「私は無罪。上官の命令に従っただけ」 
http://www.csmonitor.com/World/Latest-News-Wires/2012/0718/Laszlo-Csatary-Hungary-arrests-97-year-old-alleged-Nazi-war-criminal-video 
  被告が逮捕されたのは2012年7月だった。弁護士によればまず最大1か月自宅に拘束されることになり、そこで取り調べが行われた。海外逃亡を封じるため、パスポートも取り上げられた。クリスチャンサイエンスモニター紙はこう報じている。 
 
  ’Tibor Ibolya, Budapest's acting chief prosecutor, said Csatary recounted his Holocaust-era activities to authorities during questioning, saying he was following orders and carrying out his duty."The suspect denied having committed the crimes," Ibolya said’ 
 
  記事によると、ブダペストの主任検察官はこう語った。「被告はホロコースト時代の自分の行為については上官の命令に従ったのみと語っており、罪は犯していないとしている」これは1961年に行われたアドルフ・アイヒマンの裁判の時の有名な言葉と同じである。ユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アレントはアイヒマンの裁判を傍聴し、それについての論考「エルサレムのアイヒマン」を書き上げた。その副題は「悪の陳腐さについて」というものだった。あれほどの悪を行ったナチズムを支えていたのは小役人のメンタリティの持ち主だったからだ。 
http://en.wikipedia.org/wiki/Eichmann_in_Jerusalem 
■Efraim Zuroff氏(1948-) 
 
  ウィキペディアによるとニューヨークに生まれ、のちにイスラエルに移住した。ナチ戦犯の追跡を手がけ、エルサレムにあるサイモン・ウィーゼンタールセンターのディレクターを務めている。 
 
■ハンガリーで極右政党が台頭  金融危機を背景に第三位の政党に 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201006040127515 
  「ハンガリーでは今春の国会議員選挙で極右政党Jobbik(ヨッビク)が全386議席中の47議席を獲得し、第三位に浮上した。党首はGabor Vona(32才)。元歴史教師でハンガリーの経済不振を背景に、グローバリズムに反対し、強固なナショナリズムを唱えている。さらにロマ(ジプシー)やユダヤ人を非難している。 
 
  1989年の東欧の共産主義の崩壊以後、Jobbik党はハンガリー国内で最も成功した右翼政党になった。またVona党首はMagyar Garda(ハンガリー警備隊)と呼ばれる結社の創設メンバーの1人であり、そこでは第二次大戦中のハンガリーの親ナチ政党を想起させる制服を着用している。この結社は昨年、違法とされたが解散していない。」(2010年6月4日付) 


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