2013年06月22日01時51分掲載  無料記事
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アフリカ

アフリカの動乱 ・マリ暫定政府とトゥアレグ族の分離独立派が停戦合意〜来月には大統領選挙〜

  2012年春のクーデター以来、マリ北部はトゥアレグ族の分離独立派とイスラム原理主義勢力によって占拠されてきた。しかし、今年1月のフランス軍の介入とその後のイスラム原理主義勢力の撤退によって、状況に変化が生まれている。その結果として今月18日、マリ暫定政府軍が北東部のkidalを占拠しているトゥアレグ族の分離独立派と停戦に合意したとフランスの週刊誌ヌーベルオプセルバトゥールが報じた。 
 
  さらに来月28日には大統領選の1回目の選挙を予定している。2012年春のクーデターで当時のトゥーレ大統領がセネガルに亡命し、以後はトラオレ国民議会議長が暫定大統領となっている。来月ようやく正規の大統領選挙に立ち戻ることになる。 
http://tempsreel.nouvelobs.com/guerre-au-mali/20130619.OBS3793/mali-bamako-et-les-touareg-trouvent-un-accord-sur-kidal.html 
  サハラ周辺地域で遊牧や行商で長年暮らしてきたトゥアレグ族にとっては欧米列強が敷いた国境線はむしろ迷惑なものだった。アフリカ諸国が独立を経たのちも国境線は維持されており、地域を回遊して暮らしてきたトゥアレグ族は国境に分断されることを強いられている。これは中近東に国境を越えて広がるクルド人と同様の状況であり、双方ともに地域の不安定要因となっており、ことあるごとに分離独立を目指す動きが必ず蘇る。 
 
  2012年春の軍部によるクーデターに乗じたトゥアレグ族のマリ北部占拠もトゥアレグ族の数十年にわたる独立闘争の延長線上にある行動であった。ただ、より強力な武器と軍事力を持つイスラム原理主義勢力と組んだのが災いして、トゥアレグ族の独立の夢はイスラム原理主義勢力に乗っ取られる事態になった。フランス軍の介入でイスラム原理主義勢力が撤退したのち、今回マリ暫定政府と停戦合意にこぎつけたトゥアレグ族だが、長期的に見ればこれで独立の夢が収まったと見るのは誤りだろう。トゥアレグ族の生活にあった行政機構をニジェールなどの周辺国と提携して構築できるかどうかが将来同地域の安定にとって不可欠になるに違いない。その時、問題はニジェール北部にあるウラン鉱山などの資源がネックになることだ。資源がある限り国境線は動かしにくい。 
 
■トゥアレグ族(ウィキペディア) 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B0 
  トゥアレグ族はアフリカ北部に古来から生息しているベルベル人に属する。「現在では、トゥアレグ族は主にアルジェリア、マリ、ニジェール、リビアのフェザーンを中心に生活しており、その数は100万から350万人の間のといわれる。」これは彼らの活動域が国境で分断された結果である。 
 
○トウアレグ族の独立闘争について 
 
 「特に1992年頃から、ニジェール北部を中心に反政府武装闘争の活動が活発化、外国人観光客を襲撃するなどの武装闘争を展開した。ただし、大規模な拡大には至らず政府と和平協定を締結。2002年には武装解除されたと伝えられた。 
 
  2007年、再び武装闘争を再開し、活動範囲はニジェールだけでは無く、マリ、チャド、モーリタニアにまで及んでいる。 
 
  2011年リビア内戦に参加し軍事力を蓄え、2012年1月に開始した独立紛争はマリ軍事クーデターを引き起こした。4月6日にマリにおける北部支配地域アザワドの独立を宣言。」 
 
■アラブの春、トゥアレグ族、マリ政変 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201204211713466 
■カプシチンスキ「黒檀」より 
 
  「トゥアレグの人口は、およそ50万とも、100万ともいわれる。無頼放浪の民、世間との接触を持たず、秘密に満ちた暮らし。そのせいで、これまで人口調査の行われたためしがない。彼らは、人の近づけぬサハラで、物理的ばかりでなく、精神的にも、閉ざされた世界に孤立して生きる。外部の世界には無関心である。ヴァイキングのように外洋に乗り出そうとも思わねば、ヨーロッパやアメリカへの観光旅行も論外だ。トゥアレグに誘拐されたあるヨーロッパ人旅行者が、「わたしはニジェールに行きたいんだ」と言った。すると、相手は納得せず、「なぜニジェール川へ?お前の国には川がないのか」と訊き返された。半世紀以上に及ぶフランス人によるサハラ支配にもかかわらず、トゥアレグはフランス語習得の気をまったく持たなかった。デカルト、ルソー、バルザック、プルースト、そんなものには見向きもしない」 


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