2013年07月07日23時05分掲載
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クロード・レヴィ=ストロース著 「野生の思考」
僕が助手だった頃、本当か冗談かわからないが、こんな話を聞いたことがある。アジアのある裸族を取材した時、取材を終えたディレクターが記念に放送局のTシャツをプレゼントしたというのである。こうした話は最近ではほとんど聞かなくなった。というのは文化人類学的なテレビ番組が1970年代あたりに比べるとすっかりすたれてしまったからである。その代わりに最近は世界の果てまでグローバル化が進もうとしており、市場の可能性を見つめるために旅立つ番組が増えている。
今、グローバリズムの先端では「小分け」ビジネスというものが流行している。たとえばシャンプーでも容器を1つ丸ごとでは高くて買えなくても何十分の一に小分けした分量であれば買える。そんな途上国の人々に商品をまず体験してもらって将来もっとリッチになった時には丸ごと買ってもらおう、という戦略性を含んでいる。小分けビジネスによって、未来の消費者を育成しようというのである。
経済的に豊かになること、効率化すること、進歩することに人類は弱い。それは経済成長の思想でもある。今、「民主化」と「市場主義」が手を携えて世界を席巻しつつある。これに対して人類は抵抗しがたい。そして、これに抵抗しているか、あるいは条件をつけて全面受け入れを渋っているイスラム世界を西欧は遅れた社会と見なし、改革すべきだと考えている。デジタル機器が、そして銃が送り込まれている。我が国もそうした西欧の価値観に漬かっている。アフリカや中東の国々の人々を無条件に「遅れた人びと」と見る目線を持っているし、その自分の眼差しを当たり前のこととして疑うことがなくなってしまっている。
そんな今、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが書いた「野生の思考」を読んでみた。この本は1962年に出版されるや、サルトルをはじめとする西欧知識人に衝撃を与えたとされる。自分たちが信奉して疑うことがなかった歴史の発展という考え方自体が民族学的な調査の対象となりうる西欧人特有の思考方法として、距離を置いて見据えられていたからだ。サルトルが当時、身を寄せていたのはマルクス主義だったのだが、冷戦が終わった今、むしろそれに該当するのは市場民主主義というものだろう。「野生の思考」はこの流行に対しても有効であると思える。
レヴィ=ストロースは本書の中で世界には「冷たい社会」と「熱い社会」の2つがあると述べている。
「熱い社会」とは歴史的に発展を遂げていく世界であり、西欧や日本もそこに含まれる。封建制社会から近代国家が生まれ、さらに市民革命が起き、民主化が進められる・・・という風に歴史が段階を追って進化すると考えられている。その果てがフランシス・フクマヤが冷戦終結の頃、論文で説いた「歴史の終焉?」というキーワードだろう。市場民主主義の段階をもって歴史は完成されるのか、という問題提起である。
一方、「冷たい社会」とは歴史的な発展を拒む社会である。レヴィ=ストロースが本書で紹介している新石器時代からあまり変わっていない未開の種族である。彼らは進歩しないことを彼らなりに制度化している、と本書で述べられている。
そこには創世記の神話があり、「冷たい社会」の住人たちは定期的にお祭りを行って、それぞれ神話の主人公たちの役割を割り振りながら、創世記の神話を追体験する。そうすることで何年、何百年たとうと、住民は同じ創世記の神話的ドラマを生きることができる。ここには社会が発展していく歴史というものがなく、四季が繰り返されるように宇宙は円環のように繰り返されるものである。もし進歩につながるような出来事が起こると、それを「意味がない事柄」と受け止めることで排除してきたという。
「冷たい社会」に何のメリットがあって留まるのか、と現代人なら思っても不思議ではなかろう。しかし、現代人の生活を可能にしている科学的思考は決して、未開人が依拠する「野生の思考」より上とは言えないばかりか、「野生の思考」は現代人にあってもその思考の基盤ともなっているとレヴィ=ストロースは説明している。彼らは身の回りの自然物を使って生活の糧としながら、それらを象徴的に活用して集落の掟を作る。その掟によって近親婚が回避されたり、動植物の捕りすぎが回避されたりする。これらの掟は近隣の集落とも共有され、地域全体に一定の均衡が生まれる。だから大きな災害や旱魃あるいは伝染病でもない限り、人口も大きく変動することはなかっただろう。
現代人から見れば裸族には早く服を着せるべきだ、と考えがちである。もし、そうでなかったとしても博物誌的な興味の対象として、あるいは歴史的遺物として珍重されるにとどまっている。
「野生の思考」が出版されたのは1962年であり、すでに50年が過ぎた。今では文化人類学という言葉自体すっかり死語になった気配すらある。現代人は自分が属している社会のあり方を絶対視して疑うことがなくなっている。アフリカでも、中東でも、アジアでも、1つの価値観が推し進められている。その価値観に抵抗することが難しくなっている。しかし、現代の先にあるものは何だろうか。経済発展が進めば人口が増える。この50年近くで世界の人口は約40億人から70億人へと増大した。さらに2050年には93億人になると国連人口基金で推測されている。
そのためのエネルギーは気候を変えつつあるし、原子力発電で生じた廃棄物は生態系に影響を与えるだろう。それ以上に、この進歩の先にある未来社会が本当に豊かな社会なのか、誰も確信を持つことができないでいる。
■「野生の思考」(みすず書房)
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■ニュースの三角測量
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