2013年07月25日00時03分掲載
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地域
【安房海より】安房・布良崎神社例祭 女装する男たち 田中 洋一
神輿は漁港に出ると夕日に照らされ、黄金色に輝いた。50人近い担ぎ手の中には若い女性もいる。担ぎ手が大勢なのは、神輿が約800kgと格段に重いからだ。担ぎ棒は4本ある。館山市布良(めら)の布良崎神社の例祭が先週末あり、私も出かけた。安房の祭りの特徴は、海とのつながりが色濃いこと。布良崎神社の場合も、長い石段を下って境内を出た神輿は、狭い道をくねりながら漁港に向かう。担ぎ手が神輿を揉んで気勢を上げ、スポンサーの家々の前では神輿を高々と差し上げた。
洋画家の青木繁(1882〜1911)の作品は、西洋画で初めて重要文化財に指定された。その作品「海の幸」は、彼が東京美術学校を卒業した夏に、布良の船主・小谷家に逗留して制作した。裸の漁師が大きなサメを担いで浜を進む力強い作品だ。
そのイメージを、青木はどこから得たのか。記録はないが、布良崎神社の神輿行列を見たのではないかという説がある。
青木が逗留した小谷家の住宅は今も残り、「《海の幸》誕生の家」として保存運動が盛り上がっている。神輿のお浜入りを見守った後、私も小谷家にお邪魔して、話の輪に加わった。その夜遅く神輿は神社に戻ってきた。驚いたことに、境内の石段をあえぎながら一段一段登る様子が、部屋の中から浮かび上がって見えた。
さて、布良崎神社の神輿行列には面白い伝統がある。男衆が女物の衣装を身につけて担ぐことだ。男衆のうち10数人が赤や色ものの肌襦袢をまとい、白粉の顔も見える。なぜか女装は年配ばかり。「若い者にも声を掛けたが、恥ずかしがって……」。そう教えてくれた島田吉廣さんは63歳の神輿世話人、つまり仕切り役だ。
「じいさんもそう話していたし、親父が女装して担ぐのを私は子どものころ見ている。昔はそうやって楽しんだんだ」と島田さん。廃れていた作法で、過疎地の祭りを盛り上げられないかと考え、女装の伝統が昨年よみがえった。
女装は男女が接近する知恵でもあったという。「私のおじは、肌襦袢を借りた女性と結婚した。襦袢で神輿を担げば、擦り切れる。呉服屋で新しい服を買って上げて、いい仲になる。言ってみれば、昔のバレンタインデーかな」。味のあることを言う。
世話人が独特の節回しで、「あ〜布良の港は巾着港。惜しいことには紐がない」と盛り上げる神輿歌。これも、長老に聞き取りをして復活させた伝統だ。布良は明治半ばにマグロはえ縄漁で最盛期を迎えた。水揚げ5日後に現金が入る《5日勘定》で、漁師のカネ離れはよかった。そんな様を面白く詠み込んでいる。
伝統って、昔からの習わしをただ墨守するのではなく、時代の要請で呼び戻したり改めたり出来るのか。そんなことを考えながら、マグロ漁で華やかなりし頃の漁師町に思いを馳せた。
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