2013年08月07日13時00分掲載  無料記事
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地域

【安房海より】姫田忠義さんのこと  田中洋一

 1970年の初対面で、私は足元ばかり見ていたのだろうか。陰影に富む顔立ちと共に記憶に残るのは、いかにも履き込んだチロリアンシューズだ。記録映像作家の姫田忠義さん、当時は41、2歳だった。その姫田さんが先月29日に84歳で亡くなった。 
 
 よく歩き、自分の目で見て、記録する。その手段として映像を多用し、それが一生の道になる。そんな姫田さんのユニークな仕事ぶりは、いずれ本業で紹介しなければならないが、ここでは私的な面に焦点を当てて振り返りたい。 
 
 初めてお会いした目的は、アメリカから日本に返還されて日の浅い小笠原諸島の事情について尋ねるため。沖縄に先立って返還された小笠原には、戦後も欧米系島民だけが残っていた。アメリカ支配下の英語社会が急に日本語に戻り、島民の困惑ぶりを取材して出版した姫田さんの本は、島民の生活を知る貴重な資料だった。 
  2年後の72年春、「北海道に一夏、行ってみないか」と声を掛けられた。大学で何をしたらよいのか迷っていた私は応じる。アイヌ民族の萱野茂さん(1926−2006)が独力で完成させた二風谷(にぶたに)アイヌ文化資料館が待っていた。資料館の初代アルバイトを務めながら、萱野さんが先輩の古老からアイヌ語の伝承を聞き取ったり、アイヌ同士が相談したりする場に同席させてもらった。 
 
 その前年、姫田さんは記録映像の作品「アイヌの結婚式」を完成させていた。作品は、目の前で展開される祭事や生活にそのままカメラを向けたのではない。地元の方々と信頼関係を築いた上で、本来あるべき姿をそこに再現させた−−とでも言えようか。その点が、テレビや新聞の報道とは大きく異なる。 
 
 そんな姫田さんに対して、萱野さんはこんな感想を抱いたそうだ。「たくさんシャモ(和人)の学者や映画の人に会ったことあるけど、どうもあんたはちがうと思った。話の聞きかたがちがう。こいつはいったい何者だ。学者じゃない、青白い物書きじゃない……」(姫田さんの著作「忘れられた日本の文化」) 
 
 物事の上っ面の変化をニュースとして追う私には、いつも考えさせられる考え方がある。それが基層文化だ。例えば、和人文化の抑圧で今はほとんど行われなくなったアイヌ民族本来の結婚式や、高度経済成長を支えるダムの底に沈んだ自然村の生活。姫田さんはそれらの記録を丸ごと残し、今に伝えようとした。表には消えたように見えるが、奥深い奔流を、庶民の暮らしの足元に見てきた。 
 
 活動の形式もユニークだった。自治体から委嘱を受けて取り組んだ作品もあるが、母体の民族文化映像研究所は行政や企業から独立を貫いた。経営は決して楽ではなかったろう。そんな高い志を私達はどう受け継いでいけるのか。姫田さんの影響を受けた一人として、他人事ならず気にかかる。 


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