2013年08月22日12時28分掲載
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文化
【核を詠う】(119)大口玲子歌集『トリサンナイタ』から3・11以後の作品を読む③ 「なぜ避難したかと問はれ『子が大事』と答へてまた誰かを傷つけて」 山崎芳彦
大口玲子歌集『トリサンナイタ』から、第三部に収録されている作品、2011年3月11日の東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故以後の短歌作品を読んでいるが、今回がその最後になる。同歌集に収録されている作品は2005年末から2012年1月までに発表された作品だから,作者が「晩春の自主避難、疎開、移動、移住、言ひ換へながら真旅になりぬ」と詠っている「真旅」はなお進行中であり、宮崎市での母と子の生活が続いている。さらに多くの短歌作品が、その生活における真実、生きているなかで作者が詠わずにはいられない作品が、仙台に残り新聞記者としての仕事をしている夫が、月に一回宮崎を訪れ、家族三人のときを持つ場面も含めて、詠い重ねられているし、積み重ねられていくことになるだろう。
原子力に依存する社会の破綻が、福島県にとどまらない、日本原発列島の現在と将来に明かされているにもかかわらず、なおそれを続けようとしているこの国の政治・経済支配勢力の下で生きることを強いられる状況を大転換しない限り、大口さんの「真旅」の行方は、誰にも想像できない。もちろん、この国の人びと誰にでもかかわることだ。
『大口玲子集』という一冊がある。邑書林が企画出版した「セレクション歌人シリーズ」の⑤として2008年11月に刊行されたものだが、同書には大口玲子歌集『海量』、『東北』(抄)、『ひたかみ』(抄)の作品が編まれていて、その短歌作品とともに、4つの大口さんの評論を含む散文が収録され、さらに歌人・谷岡亜紀氏の大口玲子論「われ、世界、言葉」が書かれていて、貴重な一冊である。
谷岡氏の大口玲子論は、3歌集の作品を抽きながら大口作品を論じ、大口短歌について踏み込んだ論究をしているが、第一歌集『海量』から第三歌集『ひたかみ』までの作品に即しての論であるだけに、大口玲子を知るうえで教えられる所が多い。視点が明晰な論で参考になった。その内容を詳しく述べることはできないが、大口作品の特徴として「<われ>を唯一の砦として世界と対峙する姿勢、・・・『心するどく』、『心つくして』、『心』を励まし<われ>の全身全霊をもって、世界とわたり合おうとする体当たりの希求、<われ>を拒み<われ>を疎外する現実と、<われ>の存在それ自体をもって向かい合おうとする姿勢」の存在を指摘していることに、筆者は共感を覚える。
また、この<われ>は、他者との個々の関係の、距離感や疎外感、葛藤の対象としてある他者との関係性において「さびしさ」、ナィーブな魂を深部に置いた作品を生み出してもいる、そのようなことも谷岡氏の論は示唆する。示唆というより、視点に据えている。
もうひとつ、谷岡氏の、「時代・歴史・戦争といったわれわれを取り巻く大きな社会的状況と<われ>との関係を見たい。大口は、現代の同世代の歌人の中では大変積極的に大状況に目を向けて居り、作品数も多い。」として、具体的に作品を挙げて論究していることにも共感する。
「<われ>の実感や経験を接点として大状況を捉える姿勢・・・<われ>にこだわることが世界に繋がってゆく、その接点を模索し、具体的な現場で自らの本音を見据えている。歌で嘘をつかない、ポーズだけで歌わない、安易な括り方をしない、実感できる範囲内のみを歌う、それを自らに戒めていることがよくわかる。」
「それは、いわば歌への節度であるが、そうした作者の態度には『心の花』の先輩歌人である竹山広の影響が強いと思う。例えば『ひたかみ』に<竹山広われの何かを許さざらむ許されぬままわれは生くべし>という歌がある。述べられているのは竹山への畏敬であり畏怖だろう。」
この谷岡氏の論述にも、筆者はほぼ全面的に同意したい。大口さんは、竹山さんと同じ『心の花』に拠っているが、対面されたことは少なかったようだが、出会った竹山さんの印象について書いた親愛感と尊敬の思いを偲ばせる文章を読んだことがある。竹山さんを歌った作品も『ひたかみ』その他で読んだが、心のこもった作品であった。
谷岡氏はこの文章の最後を「大口作品の一番根底にあるのは、自ら吐いた言葉に責任を取る。また責任を取ることができる言葉だけを吐く、という意志であり覚悟である。」と締めている。(引用や要約の不十分であることを、谷岡氏にお詫びする。 筆者)
『トリサンナイタ』に収録された作品のなかに、「桜雨―悼・竹山広さん」7首がある。3・11以前の作品だが抄しておきたい。
◇桜雨―悼・竹山広さん◇
▼端正なる死を遂げしひと花に埋もれ眼鏡をかけてネクタイしめて
ああ少し乱れくつろぎたまへなどと愚かなる思ひに立ち尽くしたり
一日に八時間酸素吸ふ日々の二時間をわれに与へたまひき
としどしの長崎の桜その胸にたたまれにけむ今年はいかに
聖歌うたひ終へまた次の聖歌うたふ間のしづけさのごとき一生
葬儀ミサのあひだをこらへゐたる雨が桜ぬらして降りはじめたり
浄き死を死なむと詠みしひとは逝き桜雨ふる真昼の寒さ
2011年3・11以後の大口作品を前回に続いて読んでいく
◇宮崎なまり◇
▼東京を目指さぬといふコンセプト『宮崎美少女図鑑』めくれば
原発を離るれば夫も遠くなりSkype(スカイプ)の画面に小さく欠伸す
仙台市震災復興本部より転出者われに書類が届く
橘橋渡りつつ子は広瀬川と大淀川の違ひを問へり
すずむしの気配濃き部屋に帰り来てビール飲みつつ灯さずにをり
この夜のよろこびは子が選びたりJA尾鈴のデラウェア買ふ
日曜日「電気は足りてる」と叫べども人通りなき橘通り
市役所から九州電力(きうでん)までを歩き通し「デモ楽しかった」息
子が笑ふ
貯金使ひはたして逃げたと額を言へば素早くメモをとる気配あり
原発事故収束前に復興を語るなと言へば記者は怯みぬ
なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて
団栗を拾って食べて栗鼠になりやはらかき草の湿り嗅ぎたり
帰らうと息子を呼べばはにわ園の埴輪を真似てまるく口開く
いたましきもののごとくに夫は言へどかはゆし息子の宮崎なまり
椋鳥の声が激しく落ち続く橘通りの灯ともし頃は
幼稚園の庭暮れなづみ泣きさうなマリア像小さきイエスを抱きて
マグダラのマリア絵本の中にゐてつね俯くを子の指が撫づ
園長に肩車されやすやすと息子は園舎の奥へ消えたり
園長と子の爆笑を遠く聞きボールペンで書く入園願
イタリア人シルバノ神父が園長として母われに問ひしいくつか
おさがりの制服の名前書き直しいくつ書き直す入園前夜
すみれ組の教室前で涙ぐむ息子をわれは振り返らざる
◇おめぐみつてなんでせう◇
▼団栗の沈黙持ちて聖堂に入り来ぬ園児ひとりひとりは
胸の前に両手を合はせ目をつむり歌ひをり「おめぐみつてなんでせう」
七五三の祝福受けむと席を立つ息子のベレー帽が傾く
全園児一人一人がもらひたる「神様の祝福と恵み」とふ言葉
しろがねのシルバノ園長が聖水をふりかけ千歳飴を祝福す
千歳飴の長き袋を引きずりて三歳の息子着席したり
◇大風呂敷◇
▼Skype(スカイプ)の画面に呼び出し神妙に日々聴き澄ますきみ
の言葉を
ウェブニュースにきみの見出しを確かめてそののちSkypeにログインし
たり
ウェブカメラの画面が揺れてきみの卓 日向木挽の古秘が映れり
「死者」と書くことをためらひ「犠牲」とふ言葉を選びし判断を言ふ
停電の夜の本来の夜の暗さ分かちて夫と黙し星見き
瓦礫のなかにあまたの硯ありしこと電話に告げ来し夜を忘れず
ゆつくりとノートパソコン閉ぢながら内耳にきみの声をしまへり
さびしき時つねに思ひ出づ苛立ちて遮二無二爪を噛むきみの癖
月にいちど夫は宮崎へ会ひに来てそのたび淡く出会ひなほせり
キープする霧島のボトルにきみが書く文字白く「馬上少年過」
黄昏のこの東北をともに生きたしと書きよこすいかなる風を聞きしか
仙台をすぐに離れて戻らざる妻をかばひてきみ生きをらむ
お互ひの記憶に触れて手さぐりで確かめてゐる岬のかたち
われのみが泣きて別れき仙台駅バスターミナルがテレビに映る
休刊日前夜の安息にきみは居てわれも眠ければ呼び出さず過ぐ
雪降らばかなふ願ひと思ふとき大風呂敷を広げよ夫よ
『トリサンナイタ』は今回で終るが、次回は大口さんが昨年の月刊歌誌『短歌』(角川学芸出版発行)六月号に発表した「さくらあんぱん」と題した一連28首を記録したい。『トリサンナイタ』に収録した作品以後の作品である。 (つづく)
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