2013年10月09日13時37分掲載
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文化
【核を詠う】(126) 鴫原愛子歌集『光を握る』から原発詠を読む「七ケ月余の避難生活より帰り来て里の荒廃を悲しむわれは」 山崎芳彦
福島県南相馬市の歌人・鴫原愛子さんの第一歌集『光を握る』(北炎社 2012年12月刊)には福島第一原発の壊滅事故による被災にかかわって詠われた作品が収載されている。原発事故によって南相馬市は大きな打撃を受け、各地への避難を余儀なくされた市民が多かったが、鴫原さんは娘さんが住む横浜に退避し七ケ月を過ごし帰郷したという。
鴫原さんについては、所属する「北炎短歌会」の主宰者である菊池謙氏が『光を握る』の巻頭に「リウマチと戦う歌人」と題する詳しい解説を書かれている。鴫原さんは平成九年ごろからリウマチを発症、さまざまな合併症もあり、厳しく苦しい闘病の生活の中にあって短歌を詠みつづけているという。鴫原さんご自身も「あとがき」で「私は、平成九年以降、リウマチのため、あいついで膝人工骨置換、股関節人工骨置換手術などを受けたほか、肺炎、帯状疱疹、転倒骨折、胆石、緑内障などの治療が続き、・・・現在も入院が絶えず、車椅子と松葉杖での生活が続いておりますが、今年八十歳になりましたのを機に、この辺で生きた証として」歌集の上梓を決断したと、率直に記し、作歌にかかわった師や歌友、家族、知友に感謝の思いを述べている。1983年に福島市公民館主催の短歌講座に参加してから数えれば三十年に及ぶ作歌歴があり、その作品からまとめられた歌集である『光を握る』には、「常に艱難を傍らに生きてこられた愛子さんの、それゆえに人なみ深い愛情と不屈のこころ」(菊池謙氏)が生み出した作品が収められている。
鴫原さんの作品は、長期に及ぶ容易ではない闘病と、それに打ち負かされはしない生活の中での悲しみやよろこび、人との交友、学び、かけがえのない家族に支えられ生きる感動、社会に眼を向けた思いの表出、まさに病に苦しむだけでなく「光を握る」(嘉集名)ための意志と希望を踏まえた生きている証の歌であり、生が抱きかかえる人間の感性の発露だと思う。
その作品を読みながら、筆者は、病とたたかい、懸命に、真摯に生き、「光を握る」意志を持つ人々にさらなる苦悩と困難を押し付ける原発の許しがたい本質とその人間に与える苦難を、鴫原さんの、歌集の中では決して数多いとはいえないけれども原発事故により病身の避難を強いられ、心を痛め、故郷を思う作品によって、読み取った。人間は、さまざまに生き、痛みや苦しみを背負わされることは稀ではない。その上に降りかかる核の放射能や、その危険ゆえに苦難、不安、現実的な被災の影響を抱えなければならなかった、いや、現に先行きの見えない状況が続いていることのまぎれもない実態が、鴫原さんの作品を通じて明かされているのだと思う。
いま、福島第一原発について、放射能汚染水の問題が大きく取り上げられている。もちろんこの問題に対する対策に東京電力はもとより政府が偽りや見せ掛けではなく真剣に取り組まなければならないが、このような事態が深刻な様相でつづいていることは、原発事故がなおも続いているし、さらに何が起こるか、あるいは起きているかはかり知れない状況であることを示していることであるという認識を持たなければならないであろう。事故がもたらしている事態の実相は、分からないことだらけであり、根本的な処理が為され得ない原発が、いまどのような危険をはらんであの姿で存在しているのか、これからどのようなことが起るのか。ひとたび原発を持ち、原子力に依存する社会を作り上げてしまった、それを国策として推進し、今なお続けようとしている政治・経済の支配勢力は、どのような美辞麗句、巧言を並べて、ことをつくろおうとしても、許してはならない存在として、否定されるべきだと思う。
原発の存在自体が最大のリスクであり、原子力依存社会からの脱却を根本的に達成するまでには多くの難課題があるとしても、それをめざす明確な社会の意志、それを実現する政治・経済・社会的な合意の形成を、これはこの国に生きる人々の、なんとしても成し遂げなければならない課題として確認することが、今こそ求められているのだと思う。そのことを思いながら鴫原さんの作品を読んだ。
○原発事故・避難せる身○
わが里の思ひもかけぬ原発の事故あり追はるるごとく都市(まち)に住む
原発事故のニュース日毎に悪化せり聞きもらさずと日々身構ふる
作らざる田畑なれども見廻るとふ農ひと筋に生き来し従妹は
作れざる田畑に立ちて涙する荒れゆくさまを悲しむ従妹
予期せざる災難なれど命ある限り生きてと孫の言葉は
帰れるのは何時になるらむ胸ふかく思ひ沈めて点滴みつむ
降るごとく競ふが如く鳴く蝉を聴きつつ泣きたし恋し故郷
猛暑のま昼カンカンカンと鳴く蝉に避難せる身を癒やされてをり
避難先でなほ入院をくり返す長病みの我に重し歳月
二十年も身体に棲みつくリウマチよもうそこそこにさよならしてよ
在るべき家居るべき人の無きを告ぐたつた五行の友よりの文
老いゆくは寂しきものと語りゐし病友(とも)が津波に浚はれしとふ
立ち直る力をためて帰り来よ屋内避難の友が電話に
放射能汚染拡散のニュースあり故郷はさらに遠のくばかり
原発に人生がボロボロとなりしとぞ農に生き来し従妹の悲嘆
七ヶ月余の避難生活より帰り来て里の荒廃を悲しむわれは
○落日の彩(抄)○
落日の彩うつりゆく空の下 原発に汚れし里の悲しき
午後の日差し深く射すなり避難せし娘の家に積みたる日数を数ふ
亡父の言葉に思ひ当たりぬ「人間の作りしものに完全はなし」
「百姓は当分休職で困ります」従妹の手紙ににじむ口惜しさ
潮の香を運ぶ春風に癒やされてゐき避難せる去年の今頃
セシウムに今年も米は作れずと訪ね来し兄は憮然とひと言
早苗田もじやがいも畑の白花も見られぬ五月の里はかなしも
それぞれに薬の袋を下げながら七ヵ月居し避難地より戻る
脱皮せよ「政治は数・数は力・力は金」の哲学からは
両眼の手術の日なり朝明けを虫すだく声にこころほぐるも
真夜覚めてしみじみ家を思ふなり都忘れの花咲けるころ
毎日をテレビに映るわが市長苦悩を浮かべ言葉重しも
繰り返す想ひ出の色はどんな色みな懐しきセピア色なり
重き荷よもうおりてくれよそこそこの健やかな身が欲し八十なれば
郭公の声を聴かざるこの夏はセシウムの故か蜩も鳴かぬ
鴫原愛子歌集『光を握る』の中から、福島原発事故とかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を抄出させていただいたが、作者の意に添わぬところがあれば、お許しを請うしかない。鴫原さんの作品を読みながら原発事故、核放射能がもたらした災厄の許しがたい無慚さを改めて思わないではいられない。
歌集の巻頭に「リウマチと戦う歌人」と題する菊池謙氏の、鴫原さんについての紹介と、作品を抽いて論評をする、温かくていねいかつ詳細な文章があるが、そこに抄出されている作品の一部を、原発にかかわる作品ではないが紹介しておきたい。鴫原さんの厳しい闘病の一端を知ることは、その鴫原さんに一層の苦難を強いた原発事故、放射能苦の、人間に対する無慚な本質を明かすことにもなると考えるからである。
癒ゆるなき病と宣告されしより七年目に入る歌を支へに
七十路は嶮しからむと身を支ふ松葉杖拭くこころをこめて
明けて雨 暮れても雨の続きゐて病む身は辛し雨の音さへ
この躰には泣きごと言はぬと誓ひしも四回目なる手術なさけなし
人工骨入れし手術の跡のこる手を曲らざる手をもて洗ふ
老ゆるとは沈むにあらずの歌想ひひたすらリハビリに励むわれかも
「リウマチがおとなしい日」と看護師はやさしく言ひてカーテンあける
叶はざる旅行も地図をたどりつつ世界遺産のマチュピチ目指す
「ちちははの夢を見しか」と麻酔解けし吾に娘は聞く涙ぐみつつ
菊池氏は「このように苦しい日々を送られている愛子さんに、追い打ちをかけるように震災・原発事故が起きました。平成二十三年、愛子さんの住む南相馬は大きな打撃を受け、そして愛子さんも急遽娘さんの住む横浜に困難な待避を余儀なくされたのです。」と記している。
菊池氏はこのほかにも多くの歌を抽いて、「この歌集は随所に秀作がちりばめられていて思わず感嘆させられます。それは優れて写実的であったり、あるときは暖かい浪漫詠であったり、時には鋭く切り込む社会詠であったりします。」と述べている。
さらに、歌集名の「光を握る」のもとになった一首
◇ひとりじめしたき青空歩を止めて両手をひろげ光を握る
について、菊池氏は、「己を拘束し続ける病からつかの間、開放されたいという叶うことのない願いをこのような表現で詠みました。なんと力強く、そしてまた何という儚さでしょうか。」と深い共感、感動の感想を記している。そのとおりだと思う。
このようにして生きる人をも原発、放射能は苦しめるのである。おそらく、福島県はもとより東日本各地に原発事故の被災は及び、高齢者や病者幼い子ども達をはじめ、さまざまな状況にある人々に苦難を与えた。そして、それは福島、東日本だけのことではなく、原発列島に生きるこの国のすべての人々にとって、何時あるかはかり知れないことでもあることを思わなければならない。日本の電力企業と原発にかかわる大企業、原子力エネルギーを国策として導入し推進してきた国は、いま脱原発を目指すどころか、さらに海外への輸出にまで踏み出している。まことに許しがたい態度である。鴫原さんは声高に原発批判を直接言わないが、詠われている作品は、原発事故に苦しむ、自らを含む人々の苦悩である。闘病生活の厳しさのなかにあっても、なお「光を握る」作品を詠み続けることを願う。
次回からも、原子力にかかわる短歌作品を読み続けたい。 (つづく)
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