2013年10月26日13時40分掲載
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文化
【核を詠う】(129)『朝日歌壇2013」から原発詠を読む(三) 「炎天に我もとぼとぼ蟻のごと脱原発を唱えて歩く」 山崎芳彦
二度目になるが、『放射性廃棄物―原子力の悪夢』(ロール・ヌアラ著、及川美枝訳 緑風出版刊 2012年4月)を読んでいる。著者のロール・ヌアラはフランスの日刊紙『リベラシオン』の原子力、環境問題を専門にしている記者だが、同書は彼女が積み重ねてきた放射能汚染・放射能廃棄物に関する調査の結果を、私たちに示してくれている。同書は、彼女がドキュメント映画「放射性廃棄物―終わらない悪夢」制作(2009年)のために八ケ月にわたって「放射性廃棄物についての調査で世界中のゴミ捨て場を回ってきた」記録をまとめた貴重な一冊である。
彼女がチームとともに実際に身を運び調査し、これまでに蓄積してきた知見、現実認識、そして明確なジャーナリストとしての真実追求の姿勢に裏打ちされた記述は筆者を原子力問題の本質へ、多面的な視野と考察によって導いてくれている。同書については、『朝日歌壇2012』を読んだ際に少し触れた記憶があるが、いま同じ『朝日歌壇』を読みながら、改めて同書を読み返しているのである。本稿で、同書の内容を詳しく紹介することは困難だし、また、適当な場でもないので、同書の帯に記されている紹介の文章全文と、著者による「日本語版へのまえがき―フクシマを経験しつつある日本の友人たちへ」から少し長くなるが、一部を引用しておきたい。すでに多くの人が同書を読まれているとは思いながらも、記しておきたい。
▼「チェルノブイリが一つだけではなく、いくつもあることをあなたは知っているだろうか? また、過去に汚染された地域が何千年もの間、汚染されたままであること、使用済み核燃料の『再処理』は事実上存在しないこと、原子力産業は放射能汚染を『浄化』できないのに、それを隠していることを知っているだろうか?
本書は私たちを、原子爆弾誕生の地=米国ハンフォードから、フランスのラ・アーク再処理工場、ビュール廃棄物埋設処理施設、シベリアの果ての露天廃棄場など、世界の核のゴミ捨て場を巡る不安な旅に誘う。この長い旅の過程で私たちが、驚きとともに発見するのは、原子力産業が常に、原子力について議論する機会を、そして廃棄物を拒否する権利を、市民たちから奪ってきたという事実である。市民の意見を聞くなら原子力は生き延びられない。原子力は民主主義と共存できるだろうか。」(帯の文章)
▼「私の国フランスは、原子力依存度が世界一高い国であり、その直後に来るのが日本である。フクシマの衝撃はフランスにまたとない貴重な教訓を与え、原子力に頼るこの国のエネルギー政策を問い直す結果になった。とはいうものの、福島第一原子力発電所の原子炉が受けた被害が、何よりも先ずフランスの世論や原発当局に爆弾的効果をもたらした一方で、この発電様式を積極的に擁護する声も急速に高まっているのも事実なのである。」
「フランスのエネルギー大臣、エリック・ベッソン・・・にとっても、彼と同じ確信的推進派の人々にとっても、フクシマは原発事故ではなく、天災なのだ。確かに、地震とそれに続く津波がなければ、発電所の原子炉が機能不全になることは決してなかったかもしれない。しかしながら、施設が完全に制御不能となり、目に見えない致命的な放射能汚染に対して人間が全く無力だった事実は、原発はコントロールが困難であるゆえに危険であると信じる脱原発派の人たちを勇気づけている。・・・脱原発はできるのか、できないのか? それこそフクシマの大きな教訓である。実物大の惨事の例証とその教訓は、私たちに、スピードを落としてよく考えるように促している。」
「・・・今、問い直されなければならないのは、二十一世紀の産業社会を特徴づけるプロメテウス的(ギリシア神話の英雄、プロメテウスが髪から日を盗んだことから、神に頼らない人間性信頼の理想主義をさす 訳注より 筆者が挿入した。)な計画そのものであり、自然を征服しようとするその意志が、人間たちを原子力発電の奴隷にしてしまうからである。・・・二十世紀後半、大量消費と大衆的陶酔はごく当たり前のことになった。原子力による電力の供給者は、電力という名の麻薬を―原発経由で―供給する役割をみごとに演じており、世界中の人々がその中毒になっているかのようだ。」
「一九五七年九月二十九日、マヤーク(旧ソ連)、一九七九年三月二十八日、スリーマイル島(アメリカ)、一九八六年四月二十六日、チェルノブイリ。そして二〇一一年三月十一日、フクシマ(日本)。その場所が軍事基地であろうと商業用原発であろうと、原因が天災であろうと、人為的ミス、あるいは技術的ミスであろうと、これらの日付はすでに原子力事故の歴史となっている。しかし、世界の電力のたった十六%を供給するにすぎない民生原子力エネルギーを問い直すためには、惨事も事故も全く必要ない。いっとき足を止めて考えてみるだけで、このエネルギーは実に多くの疑問を提起するのだから。」
「・・・例えば、原子力は果たして本当に必要かつ割にあうものなのだろうか? 原子力は温暖化など気候変動に対抗する助けになりうるのか? 安全な原子力は存在するのか? 原子力は最大多数の人々に低価格のエネルギーを供給できるのか? 経済危機になった時、いったいどこの国が原子力発電の建設に踏み切れるのか? 原子力産業は、原発を正しく運転させるために必要な能力を持つ人員を十分に確保できるのか? 原子力を安全なものにする方法はあるのか? 原子力は民主主義と共存できるのか? 民主主義は原子力への依存度の高い国々で成立しうるのか? 原子力は一国のエネルギーの自立に貢献するのか? 何世紀、いやそれどころか何千年もの間危険であり続ける放射性廃棄物をどのように管理するのか? 未来の世代にどのような遺産をのこすというのか? 等々である。」
「二〇〇二年、フランスの哲学者、ジャン=ピエール・デュピィは予言的な言葉を書いている。『技術の進歩は、抜け出すことがますます困難になるような好ましからざる狭い道に閉じこもる傾向が大変強い。警戒信号がともる時はもう遅すぎるのだ。不幸は我々の運命だというが、そうなるのは、人間が自分たちの行為の結果を認めないからにほかならない。そしてそれは、我々がみずから遠ざけることを選択することもできる運命なのだ。
選択が迫られている、今日、そして今。」(「日本語版へのまえがき」より)
福島原発壊滅事故は継続中というべき現実にもかかわらず、原子力発電の維持、原子力エネルギー依存社会を選択する道に直結する現政権とその追随政治勢力は、開会中の国会で何をなそうとし、何を語っているか。原子力問題の根幹にかかわっての議論はなく、原発維持・再稼働を前提にした無責任で場当たり的な、皮相な、飾り言葉が撒き散らされるだけである。
一方で秘密保護法をはじめ武器輸出三原則の「見直し」、TPP、「経済成長」本位主義による大企業優先の諸政策を具体的に、「着実」に進めようとしている。福島をはじめとするこの国の人々の原発事故被災の現実と、これからについての、原発維持勢力の振る舞いようは犯罪であろう。だとすれば・・・。
ロール・ヌアラさんの著書を読み返しながら、思うことは多い。『朝日歌壇2013』の作品の読みようにも、ひびくものがある。
○平成24年7月○
<第一回>
高野公彦選
▼「メ」か「ハ」か貴方はどちらと思います?―原子力は人類カイ○ツ装置 (金沢邦臣)
永田和宏選
▼発酵のモルトのやうに梅雨はあり静かに深く福島に降る (松井 恵)
馬場あき子選
▼逃走する人間にみな親兄弟ありて心情思い切なし (草田礼子)
▼アユ・ウグヒ阿武隈川にセシウムの検出されて瀬音さびしき
(谷口修作)
▼再開を告げるニュースのこの朝(あした)がれき山には梅雨の雨降る
(須田冨士子)
佐佐木幸綱選
▼この国はもっと小さくなってゆく誰も棲めない地域が増えて
(渡辺玲子)
<第二回>
永田選
▼3・11の原発避難のわれの短歌(うた)ニューヨークの大聖堂に声あげて読む (半杭螢子)
馬場選
▼除染せし柔肌の土の公園にはやタンポポの小さき黄の花 (齋藤一郎)
高野選
▼幸いと辛いという字がこんなにも似ていて茱萸(ぐみ)に茱萸の花咲く (美原凍子)
▼山は荒れ田畑に何も作れぬを知らずに出たクマ民家をのぞく
(澤 正宏)
<第三回>
高野選
▼福島と福井に「福」の字がついて再稼働とう不幸始まる (下向良子)
馬場選
▼校庭に木のささやきを聴いてゐた百葉箱はセシウムを嗅ぐ(松井 恵)
永田選
▼若狭から原発の灯の消ゆる日のもしやと思ひもしやは消ゆる
(大谷静子)
<第四回>
佐佐木選
▼置き去りの牛ゐて人は哀れめど駆け込みで食ふ生のレバーを
(松井 恵)
高野選
▼現代の赤紙ならむ関電の計画停電予告のハガキ (有田里枝)
永田選
▼生きるのに生きてゆくのに必死です採っても捕っても売れぬみちのく
(山田洋子)
▼除染後の道具の河馬のかなしさよ砂場にすなのひかりはあるも
(篠原廣己)
馬場選
▼我が母は五キロ圏内原発の近くに住みて風車を仰ぐ (夏目たかし)
▼除染後の遊具の河馬のかなしさよ砂場にすなのひかりはあるも
(篠原廣己)
▼謝罪ニュースの絶えぬ日々なり庭の木賊(とくさ)百本が百本直ぐ立ちて涼しも (棚橋久子)
<第五回>
高野選
▼齢(よわい)とは失いし歳月の数 生きているから失えるもの
(美原凍子)
▼原発というおごそかな機器を抱き滅びへ向かう青き球体 (南真理子)
永田選
▼あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
(大竹幾久子)
馬場選
▼原発の温廃水に太りいし刈羽の海のメジナを思う (前田良一)
佐佐木選
▼ふくしまはめげずに生きるフクシマに背を向けないで目を見開いて
(伊藤 緑)
○平成24年8月○
<第一回>
永田選
▼炎天に我もとぼとぼ蟻のごと脱原発を唱えて歩く (岡崎正安)
馬場選
▼ドクダミの葉の天ぷらを頂けば身の内にどっとめぐる夏の気
(美原凍子)
▼たずきなき避難者われは流れきて山谷に暮らすほのかなたづき
(シンタロウ)
佐佐木選
▼炎天の「さらば原発集会」に出たき八十路の思いよ届け (根岸愛子)
▼お互いのリュックの重さ確かめて父母ら明日から東北旅行
(五十部麻)
高野選
▼大江さん、寂聴さん、龍一さん十万超ゆるノーのどよめき(諏訪謙位)
▼載せようか飛騨の小さな家の屋根に太陽光の発電パネル
(杉原美知子)
馬場選
▼ベン・シャーンの視線を避けて原発は憑かれしごとく再稼働する
(久瀬昭雄)
佐佐木選
▼汚染土を植木屋さんは持ち帰るこれも自分の仕事だからと
(澤 正宏)
▼鎮魂のサイレンを合図に黙禱す裁ち台の上は縫いかけのシャツ
(岡野里子)
▼気がつけば原発列島戦争もさうだつたのだいつか来た道 (津田洋行)
▼産卵は無事にすぎしや汚染の地平伏(へぶす)沼のモリアオガエル
(中野笙子)
高野選
▼彼岸花咲くふる里の盆近し倒れしままの墓に父母眠る (半杭螢子)
▼輸血するごとく原発稼働せり救はんとしてほふるや未来 (井上孝行)
<第3回>
佐佐木選
▼原発の再稼働否(いな)蟻のごととにかく集ふ穴あけたくて
(井上孝行)
▼原発を残して死ねじと歩く老爺気負わずノーと夕風のごと
(森田博信)
高野選
▼国会を囲む原発NOの輪に我も入りたし病みても切に (小林淳子)
永田・佐佐木・高野共選
▼100円の帽子被って参加した脱原発デモの後のかき氷 (北野 中)
<第4回>
永田選
▼身分明かす物持たず行くデモでなく気軽でもないパレードを歩く
(植松恵樹)
▼「故郷」(ふるさと)の唄を歌いて人々は明り灯して国会包囲す
(白倉眞弓)
佐佐木選
▼「正しかった」と言う人今も過半数このアメリカに原爆忌来る
(大竹幾久子)
▼国会を包囲し気付けばお月さま明るく静かに見守っている
(北村佳珠子)
○平成24年9月○
<第1回>
永田選
▼安達太良山のほんとの空を見上げたら遠くの雲がくすりと笑った
(金澤郁代)
▼放射線に子ども神輿は三時間の制限の中ばち跳(おど)らせる
(伊藤美知子)
馬場選
▼盆前に落下の栗は虫入りで太れぬままに斜面を転がる (澤 正宏)
佐佐木選
▼原爆忌みな黙禱に福島を思ふ広島そして長崎 (岡崎正宏)
▼無恥なのか鈍感なのか日本人原爆忌もち原発忌もつ (馬目弘平)
高野選
▼ホロビユクモノ見て来しまなこ今、コワレユクモノを見つめておりぬ
(美原凍子)
<第二回>
馬場選
▼棄てられし河豚の子拾ひて逃がさんとすればぎつぎつと手のなかに啼く (馬目弘平)
佐佐木選
▼カワセミが丸太の杭の年輪に止まりて線量計はその下
<第三回>
佐佐木選
▼ふるさとを語るとき原発を言わねばならず悲しかりけり (佐藤一成)
高野選
▼ゼッケンに原発阻止と墨書して独りのデモが炎天を行く(梶田有紀子)
<第四回>
永田選
▼浜松に帰省して聞く海からの距離は六キロ津波が届く (西村忠士)
馬場選
▼ホームレス脱原発署名かきくれぬ住所のなきは無効といえり
(北野 中)
次回も「朝日歌壇2013」の作品を読む。 (つづく)
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