2013年11月02日10時09分掲載
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「忍耐と我慢」は今も続いている 21世紀版映画「おしん」を観て 安原和雄
最近(2013年10月下旬)、21世紀版映画「おしん」を観る機会があった。どこにこれほどの涙が隠れていたのかと思えるほど涙が止まらなかった。私にとって30年前の連続テレビドラマ「おしん」物語には断ちがたい想い出がある。「忍耐と我慢のシンボル」ともうたわれたこのドラマは、当時も涙なしには観ることができなかった。
今指摘すべきことは、「おしん」は単なる昔話ではなく、現在進行形の「忍耐と我慢」の物語にほかならない。世に言う多数の非正規労働者の存在は見逃せない。非正規労働者に限らない。必要にして正当な自己主張もままならぬサラリーマン、労働者が多すぎるのではないか。いつになったら、この望ましくない非正常な現実から抜け出せるのか。
NHK連続テレビ小説「おしん」は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放映された。全国に「おしんブーム」を巻き起こし、前代未聞の平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%を記録した。国内に限らず、現在までに世界68の国と地域でも放映された。
「おしん」に関する当時の毎日新聞社説(昭和59年=1984年4月1日付、つまり「おしん」が終わった日の翌日。筆者は現役の論説委員だった私・安原)を紹介する。その見出しは<いつまで「おしん」なのか>である。当時他紙の社説は「おしん」問題をほとんど論じなかったように記憶している。その意味では「おしん」問題をわざわざ論じた社説は、当時としてはひと味異なった性質のものだった。
▽ 当時の毎日新聞社説<いつまで「おしん」なのか>
社説の大要は以下の通り。
人気テレビドラマ「おしん」が終わった。何度も頬をぬらした人たちにとっても、このドラマはそのうち忘却のかなたへと消えていくことになるのだろう。しかし忍耐と我慢のシンボルとさえいわれた「おしん」は本当にドラマの世界での主役でしかなかったのだろうか。
身近な生活を見回してみても、心なごむ話は意外に少ない。昭和58(1983)年末現在の貯蓄・負債動向調査によると、サラリーマン世帯のうち住宅・土地の負債をかかえている世帯が34.0%と初めて3分の1を超えた。国民生活実態調査によると、所得格差は広がる一方であり、しかも生活実感として「大変苦しい」と「やや苦しい」を合わせて38.6%の世帯が家計の苦しさを訴えている。妻の3分の1は「家計の補助、維持」を理由にパートなどで稼ぐのに精を出している。住宅ローンの負担にあえぎながら、ついついサラ金に手を出し、自殺にまで追い込まれるケースも珍しくない。
最近次々と発表された政府の公式統計や調査からうかがうことのできる私たちの生活の素顔がこれである。たしか、国民のほとんどが中流意識を身につけ、暖衣飽食に首まで浸っていると喧(けん)伝する向きもあったが、これはいったいどこでどうすれ違いを起こしたのだろうか。
税金など非消費支出がふえつづけ、消費生活の足を引っ張っているのは、いうまでもなく、所得減税を見送り、サラリーマンにとって実質増税となっているためである。昨年暮れの総選挙で中曽根政権が公約した1兆円減税も、酒税など間接税の増税と抱き合わせで帳消しとなったことはいまさら指摘するまでもない。
財界首脳が「我慢の哲学」を国民に説くのに大いに活用したのがおしんブームであった。そこには春闘による賃上げをできるだけ抑制しようという意図が働いている。収入が増えず、それでいて、その収入に占める税負担など非消費支出がふえれば、否応なしに私たちが「おしん」の生活をしいられることは小学生でもわかる単純な算術の問題である。「おしん」を拡大再生産していくメカニズムが定着してしまったのか。
ドラマ「おしん」は終わっても、現実のおしんが日本列島のあちこちで、きょうも頑張っていることを忘れないでもらいたい。
▽ 21世紀版「おしん物語」を終わらせるには
30年前の当時の毎日新聞社説は次のように締めくくっている。<ドラマ「おしん」は終わっても、現実のおしんが日本列島のあちこちで、きょうも頑張っていることを忘れないでもらいたい>と。
この指摘は21世紀の現在もなおほぼそのまま当てはまるのではないか。周知のように働く人達のうち4割近い非正規労働者が低賃金など不適正な労働条件を強いられている。まさに現代版「おしん物語」というほかないだろう。
特に安倍政権の登場とともに「大資本優遇、労働者冷遇」の傾向が強まっている。言い換えれば、安倍政権は今、「おしんの拡大再生産」に熱心であり、励んでいるのである。21世紀版「おしん物語」を打破するためには何が必要か。「労働者の団結と反撃」という古典的でありながらパワーあふれる戦法に学び、実践する以外に妙手はない。つまり「労働者諸君、立ち上がれ」の一言に尽きる。
ところが現状は独りで閉じこもって悩んでいる働き手、サラリーマンが多いように想うが、いかがだろうか。これでは現代版「おしん」にさようなら! を告げるのはむずかしいだろう。
*「安原和雄の仏教経済塾」からの転載
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