2013年12月12日22時43分掲載
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人権/反差別/司法
ヒトラーが作った政治犯の強制収容所ダッハウ 〜ナチスの暴力の学校〜 対抗勢力は一網打尽
1933年3月22日。首相となり権力を掌握し、野党議員を一網打尽に逮捕したヒトラーがさっそく作ったのがこの施設だった。ドイツ南部の都市ミュンヘン郊外にある「ダッハウ強制収容所」(Dachau)である。
http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/index-e.html
ここには政治犯やゲイなど、ドイツ国家に敵対すると考えられた人々が収容された。ナチの崩壊までの12年間で、ダッハウ強制収容所とその関連施設に収容された人々は全ヨーロッパからおよそ20万人、そのうち41500人が殺された。
ダッハウ強制収容所は親衛隊SSが「暴力を学ぶ学校」だった。またすべてのナチスの強制収容所のモデルとなった。1945年4月29日、米軍がこの施設に侵攻し、収容されていた人々を解放した。
ダッハウ収容所記念館の資料を参照した。
■ダッハウとミュンヘン
「ミュンヘンは再びナチの本拠地となり、1933年に国家社会主義者ドイツ労働者党がドイツの政権の座に就いた。国家社会主義者ドイツ労働者党は最初の強制収容所であるダッハウ強制収容所をミュンヘンから北西に16km離れた場所に作った。国家社会主義の台頭に重要な役割を果たしたことからミュンヘンは運動の首都 Hauptstadt der Bewegung と呼ばれた。国家社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) の本部はミュンヘンに置かれ。多くの総統の建物 (Führerbauten) がケーニヒス広場 Königsplatz 周辺に建てられ今日でも残されている。ミュンヘンはイギリスとフランスが取った第二次世界大戦を引き起こす原因にもなったドイツに対する宥和政策であるミュンヘン会談が成就した場所として知られる。」(ウィキペディアより)
■山口定著「ファシズム」2 〜全権授与法(全権委任法)と国家総動員法〜
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■焚書の光景 〜ナチはまず大学から真実を奪った〜
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