2013年12月18日00時14分掲載
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コラム
神頼み 〜九頭龍神社に行く〜 鬼塚 忠
今月13日は金曜日だった。キリスト教を信じる国では不吉な日だ。理由は、諸説あるがキリストが磔にされた日という説が有力かもしれない。
しかし、日本ではそうではない。金曜日というのは関係ないが、13日というのは意味がある。それは箱根の九頭龍(くずりゅう)神社の月次祭が行われるからだ。ここに祈るとご利益があるらしい。
私はいままで、神頼みとかそのような類はまったく興味がなかった。あえて行くことも無かった。行くとしたら初詣くらいか。
しかしだ、このところ、あまりにもいい話ばかり聞くのだ。
「映画監督になりたいと九頭龍神社に祈ったら、そのオファーがその日にあった」とか、「婚活していて、九頭龍神社に祈ったら翌日プロ ポーズを受けた」とか。それはたまたま偶然ですよ、で済ませる許容範囲を超えるところまで来た。
そして来年から大型企画をはじめる取引先から、「今月13日に、九頭龍神社にお祈りに行くので、一緒に行きませんか」とお誘いを受けた。なんだか誰かが行くことを導いているような雰囲気。弊社の宮原を連れて行くことにした。
朝五時に起き、新宿で待ち合わせ。そこからロマンスカーに乗り、九頭龍神社まで行く。集まったのは60人くらい。その人たちと集団で祈祷。大半が女性だった。
芦ノ湖はなんだか本当に龍が舞うような雰囲気。空気が冷たく神聖だ。
引導してくれたN氏が「まず大局的なことを祈ってから個人的なことを祈ってください」と言われたので、そうす ることに。
まずは、(日本がこのまま平和でありますように。戦争など決してありませんように)と。
そして(この日本の自然が保たれ、いつまでも美しい日本でいますように)と。
するとなんだかこんな時代に、この日本に生まれただけで、自分がとてつもなく幸せであるように思えてきた。
幸とか不幸とか、神様が選んで与えている訳ではない。人が選んでいる訳でもない。ひとりひとりが幸か不幸かを勝手に決めているだけのように思えた。よく考えれば私は幸せであった。
その日帰り際、携帯からメールを見ると、K談社から、御社の企画が会議で通りました、との連絡があった。おおよそ月に平均して7冊くらいのオファーが入るから、日常茶飯事といえばそれまでだが、この小さな幸せが嬉しかった。
しかし幸せであることには変わりない。
人生は試練とか苦労を積み重ねて大きくなると思っていた。しかし四十数年も生きるとそれは違うと感じてくる。苦労や試練を過度に経験すると、それが板に付き、顔にまで出てきてつまらない人間になる可能性の方が高い。
むしろ小さなことであっても、それを幸せと認識して、積み重ねることこそがいい人生経験だと思う。
九頭龍神社に行ってまだ3日。何か大きな幸せを手にしたわけではないが、それだけ精神的な満足感を得たように思えた。
鬼塚忠 (作家・出版エージェント)
「アップルシード・エージェンシー」代表
http://www.appleseed.co.jp/
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