2013年12月29日20時44分掲載
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コラム
靖国参拝の蛮行を安倍政権凋落への一里塚に、主権者の怒りの結集を 山崎芳彦
一日(ひとひ)過ぎ一日がくればこれの世を戦世(いくさゆ)にはこぶ安倍晋三ぞ 山崎芳彦
安倍晋三首相の日々は、この国を戦争する国にするためにあるとしかいえない。戦争をする国にするとは、言うまでもなく国民主権を空洞化し、強権支配の対象としてひとくくりにしようと、法制度はもとより行政執行権を「戦争をする国」をより強固なものに構築することであるから、現憲法の平和主義や、基本的人権の尊重、思想、言論、表現の自由、三権分立、地方自治権、教育の自由・平等、労働者の権利・・・などを、憲法改悪をする前から実質的に無効化するために、あらゆる手法を用いて手立てを講じているということである。
事実、安倍政権成立から一年、何が行われてきているかを具体的に点検すれば明らかだろう。アベノミクスと銘打った経済政策を先行させ(内実は大企業後押し・国民圧迫の政策)て、景気のいい、しかし空疎な景気回復・経済成長お囃子を鳴らしつつ、一方で集団的自衛権行使のための憲法解釈変更を企て、国家安全保障会議設置法、国家安全保障基本法、特定秘密保護法の制定を企み、改憲の条件緩和方針(憲法96条改定)、自衛隊の軍事力増強、武器輸出三原則の骨抜き、侵略戦争を美化する歴史認識についてのみなおし策動、教育への反動的介入(社会科教科書の近現代史の記述に政府見解を明記させるなどの検定基準改定など)、原子力を柱とするエネルー基本政策の推進、原発の海外輸出促進、南スーダンでのPKО実施中の自衛隊保有の弾薬の韓国軍への無償譲渡など・・・・・順不同に数えあげてもまだまだ間に合わない。
そして、安倍政権一年目を記念し、「戦争する国」に向けてさらに一路まい進することを誓うための靖国参拝の暴挙である。国際的に大きな否定的な反応が湧き上がるのは当然であるが、この国の中で、このような安倍政権を糾弾し、一刻も早く終焉させるための声と行動を強めなければならない。冒頭に記した、拙い一首は、先の戦争で父を失った私の実感であり、安倍政権の凋落、崩壊を強く念じる思いである。わたしの父は、職業軍人であった。なぜ職業軍人になったのか。そのことを考えると、その時代の政治と人々のありようが思われて、胸が痛い。父が生きた時代の、貧農の次男が選んだ職業軍人への道を思うとき、いまの私の生きかたが問われていると考えないではいられない。安倍が参拝した靖国に父の名があると思うと、耐え難いが、それだけに安倍の行為、政治は許しがたい。
主権者とは、選挙の一票を持つだけではない。許しがたい政治を様々な方法で否定する行動、運動を構築していく権利を持つはずだ。安倍政権打倒の声をあげよう。声だけでは聞こえないというなら、姿形を見せてやろう。
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