2013年12月30日05時37分掲載
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ユルゲン・ハーバーマス著 「人間の将来とバイオエシックス」
今、欧州でもアジアでもアメリカでも大きな問題となっているのが遺伝子組み換え作物である。遺伝子組み換え作物の問題点は多くの論者が指摘済みだが、原点にあるのは命を養う種子を遺伝子操作することで世界の食を支配しようとする米企業の恐ろしさである。遺伝子組み換え反対派は遺伝子組み換え作物と、そうでない作物の間に境界線を引き両者が交じり合わないように試みている。
一方、人類は同時にまた遺伝子組み替えによって人間自身をも改良しようとしている。ストレスや病気に耐性のある赤ちゃんや知能指数の高い赤ちゃんなどを遺伝子操作によってデザインしようとしているのだ。このことのもたらす倫理的な意味をドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが思索したのが「人間の将来とバイオエシックス」(法政大学出版局)である。
ハーバーマスは今世紀中に人類の類概念が変わる可能性があると指摘している。人類が2種類に分裂してしまうかもしれないと言うのである。遺伝子操作を受けた人類と、遺伝子操作を受けていない生の人類である。デザインされた工業生産的な生まれ方をした人間は自己をいかに受け止めるのだろうか。どこか製品番号が記されたロボットに近づいていないのだろうか。自分の心身の1つ1つの特徴が親や科学者による功利的な選択の結果だということがわかったとしたら。つまり遺伝子操作を受けた人類群はその肉体がそれを選んだ人々によってあらかじめ選択的にプログラムされていると言う事でもある。この違いは人類にどんな未来をもたらすのだろうか。車を作るように人間を遺伝子のパーツごとに組み立ててしまう日が来はしないか。そこには期待される人間像が設計図として出来上がっているだろう。だが、このような未来を誰が望んでいるのだろう。生まれてきた子供は親たちの選択に同意できるだろうか。
ナチスは強制収容所で殺したユダヤ人の遺体から石鹸などの製品を生産していた。人間自身が工業原料になってしまったのである。倫理を見失った科学技術の無制限の発達はいつしか人間自身をモノに変えてしまう危険性をはらんでいる。人間とは何なのか?近代の問いかけは未だに有効なのである。
■ユルゲン・ハーバーマス著 「人間の将来とバイオエシックス」 その2
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■ユルゲン・ハーバーマス著 「人間の将来とバイオエシックス」 その3
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■ユルゲン・ハーバーマス著「人間の将来とバイオエシックス」(三島憲一訳)
http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-09954-0.html
■ユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas,1929-)
「公共性の構造転換」「コミュニケーション的行為の理論」「イデオロギーとしての技術と科学」「討議倫理」ほか。
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