2014年01月23日00時15分掲載
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コラム
立ち見する場所 〜スタジアムと国会の違い〜
昨年暮れの12月5日と6日に国会前に出かけた。特定秘密保護法案の参議院での審議が最終段階に入り、今にも強行採決になりかねない勢いだったときだ。
シラケ世代と言われるわが世代には集団で何かを主張したり、闘争したりすることを苦手とする傾向が他の世代より強い気がする。それでも駅前に夕食の食材を買いに出かけようとして、気がついたら電車に乗って国会に向っていた。本当はいくつもりはなかったのに。これまで筆者はデモをしたことがない。
もしかするとこの日を最後に日本が変わってしまうかもしれない。だから、何年か、何十年か後のために今日の光景を目に刻んでおこうと思ったことを覚えている。
地下鉄の国会議事堂前で下車すると、路上をデモ隊が声を上げながらゆっくりと歩いていた。一方、話し合いが行われている参議院の前に来ると、歩道を二つに分けるロープが張られていた。ロープの内側をデモの人々が陣取りここでも太鼓が連打され、シュプレヒコールが行われていた。一方、歩道の中のロープの外側は通行用になっている。そして道路と歩道の境目あたりに報道陣がカメラを構えて立っていて、その近くに警察官も控えている。
通行用のエリアに立ち止まっていると、「立ち止まらないでください」と警官に誘導されるので、ロープの外側にいる限り歩き続けなくてはならない。すなわち立ち去るか、一周して戻ってくるしかない。しかし、ロープの内側に入ると、デモ隊がシュプレヒコールを行っている。そこでデモは苦手なんだが、ロープの内側に入った。するとデモ隊の人々は皆、スマートフォンを手にして何が進行しているのか、刻々と情報を集めようとしているのである。国会前に来ているのだが、中で何が起きているのか前にいるだけではさっぱりわからないのだ。そればかりか、デモ隊の前の方で何が起きているのかも見ることができない。時々、デモ隊の先頭列あたりが道路にはみ出したのか、「おーっ」という声が聞こえたりする。するとスピーカーから「気をつけて・・」と注意が寄せられる。近くの男がぼやくのが聞こえた。
「こんなことで乱闘になったら、当局の思うつぼだよ」
筆者は特定秘密保護法に反対なのだが、先述の通り、デモに個人的に抵抗があり、シュプレヒコールも苦手だ。だからと言って自分に考えがないわけでもない。その時、国会周辺は意外と狭いのだ、と思った。ここは日本の中心で、国民が話し合う場所である。しかし、このエリアでは選択がデモをするか、立ち去るかの二者択一しかないのだ。ただ、気になってとにかく来た、という人をそのままに受け入れるスペースがない。国会関係の建物の外側には経済大国とは裏腹に、じめじめした狭苦しい場所しか残されていない。そして警察官の厳しい監視の眼差しの下に置かれるのである。国会前はいったい誰が主権者なのか、と思える場所なのだ。
サッカーのスタジアムみたいに、国会議事堂の外側に特大のスクリーンを設置して、審議の中継を気になった国民が集まってともに見れるような場所はできないものか。国会議事堂前の道路を閉鎖すればその広さを確保できるのである。コーヒー屋とか、ワイン屋台とか、焼き鳥屋とか、サンドイッチ屋とか、屋台の寿司屋やラーメン屋やおでん屋とかも脇に置いて。仕事帰りの人は腹を空かせているだろうから。もちろん、その中継はノーカットであるべきだ。
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