2014年01月27日05時35分掲載
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コラム
西サハラと東京 〜1975年から難民生活〜
アフリカで今もなお独立を達成できないまま、難民キャンプで暮らし続けている人びとがいる。西サハラの人々である。1975年からそうなのだ。宗主国スペインが去った後、今度はモロッコに占領され、故郷に帰れないまま、砂に囲まれた苛酷な地に新たな世代が生まれ続けている。
西サハラを訪ねたのはおよそ2年前の12月。難民キャンプの人々と同じ施設に寝泊まりした。冬でも風呂はないし、あるのはシャワーだが温水などない。冷たい水である。西サハラも冬は冬、とても冷たい。ゆっくり風呂に入って1日の疲れをいやすというようなことはありえない。そして、キャンプでは風邪が大流行しており、筆者も風邪にかかってしまった。みんな咳をしている。難民キャンプの亡命政府の大統領ですら、そうなのだ。ごほごほ咳をしている。薬は不足している。日本から持参した風邪薬は全部、食事などで毎日お世話になっているおばさんにあげた。
さらにトイレには小さな穴が1つあるだけ。紙もそこでは穴に入れてはいけないしきたりらしい。トイレにはひしゃくと水の入ったタンクが置かれている。日本に帰国して放送局のトイレに入ると、便座が暖かいし、暖かいお湯がウォシュレットから噴射される。この物質の違いは圧倒的なものに思われた。
それでも難民たちが日本人より精神的に貧しいかというと、それはまた違う。毎日、朝に昼に夕に茶が出される。茶の周りに人々が集まってきて、菓子を食べながら雑談に花を咲かせる。豊かな物質に囲まれて暮らしていると、その暖かさがわからない。人を受け入れるそのもてなしがとても暖かいのだ。心は貧しくない。むしろとても豊かだと言える。お世辞ではない。本当にそう感じたのだ。
外ではサハラの砂吹雪がひっきりなしに吹いている。だから被り物を頭に巻いて砂をよける。彼らが不幸だとすればそれはただただ故郷に帰れないことなのである。過激な政治思想を持った人々ではない。それは国会の場に元気な女性の代議員たちが大挙して参加していたことからもうかがえる。女性の活躍は国会中継にやって来た西サハラの衛星放送局員に女性が少なくないことからもわかる。その場の空気は抑圧的ではまったくなかった。国会の幕間には歌手たちによるステージもところどころに組み込まれていた。親和的で、ごく普通に暮らしたい人々である。この人たちがもし祖国に帰れる日が来たら、この国は大きく伸びるだろうと思われた。
■西サハラを撮影したメキシコの写真家、フリオ・アダムス(2012年の記事から)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201203290017064
「昨年暮れ、平田伊都子氏ら日本の取材班が西サハラに入った。その模様は日刊ベリタの平田氏のレポートにくわしく記されているが、モロッコが占領したために国を追われた西サハラの難民やモロッコの占領下に生きる西サハラの人々が4年に一度集まり、4年間の総括と新たな大統領などの選挙を行うのである。特に去年は西サハラの非占領地区までチンドゥーフからみんながコンボイで出かけて開催するという記念的な年だった。もともと西サハラの宗主国だったスペインはもちろんのこと、フランスやロシア、メキシコ、東欧など世界中から記者や写真家が集まってきた。メキシコの写真家、フリオ・アダムス(Julio Adams)氏もその一人である。」
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