2014年01月30日20時32分掲載
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文化
【核を詠う】(140)『角川短歌年鑑平成26年版』の「自選作品集」から原子力詠を読む(2)「阿武隈川くねり流るる流域の中通りとぞ苦しむ大地」 山崎芳彦
前回に続いて『角川短歌年鑑平成26年版』に所収の「平成25年度自選作品集675名」から、原子力にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を読ませていただく。角川短歌年鑑の自選作品集を読み始めたのは、平成23年度から数えて3回目になるが、自選作品集(作者各5首)のなかから原発詠として読み、抄出させていただいた作者と作品の数は、平成23年度が107人、208首(自選作品集全体は688人、3440首)、24年度が73人、138首(全体679人、3395首)、25年度が53人、109首(全体675人、3375首)であった。筆者の読みによるものであるし、作者各5首に限定して自選された作品集なのだから、この3年間の数字によってなにごとかを推論したり、原子力を詠う短歌についての傾向を考えるベースにするつもりはない。『角川短歌年鑑』の「自選作品集」の3年間の「推移」をあげたに過ぎない。
ただ、その限りでは、自選作品集に寄せられた原子力詠の数量が、作者、作品ともに、かなり減少しているということが言える。しかし、2011年3・11以後現在までに福島県内はもとより全国各地で詠う人々が作品化した原発詠・原子力詠は膨大な数になっているし、その内容もそれぞれの作者の置かれた状況、現実の生きる営みの中での感受する心、感性から生まれた表現として貴重だと思う。
さらに、詠うこと自体を原発、原子力問題と向かい合う行為とし、さらに脱原発のためのさまざまな行動に立ち上がっている歌人が現われている。
原子力詠は、この原発列島に生きることから、原子力エネルギーを必要としない社会、文化、生活のありようを目指す、短歌を詠う人にも、詠わない人にも、貴重な果実たりうることをめざして、さらに豊かに、力強く歌い継がれていくに違いないと、筆者は考えている。
いま、東京都知事選が重要な局面に入っていることにも思いを馳せないではいられない。都民ではない筆者は一票を持たないのだが、この都知事選挙が「脱原発・原発ゼロ」を最重要争点としてたたかわれていることは、わがこととして思う。この争点を曖昧にすることは、原発をこの国の欠かせない基盤的エネルギー源として位置付け、欺瞞的な言い回しを見苦しく操りながら争点隠しをする現政権と与党、その追随勢力が押し立てている候補者に利をもたらすだけである。
日に日に、危険で、野蛮な、人々を苦難に追い込もうとする政治政策を打ち出し、原発の維持・再稼働を実行しつつある政権の横暴に、この都知事選で「脱原発・原発ゼロ」を求める候補者を勝たせることで、「ノー」、不信任を突きつけることが出来る事を考えよう。さまざまな政策課題、政治方針が、それぞれの候補者にはあることは承知のうえで、あえていま、「脱原発・原発ゼロ」を最優先課題として掲げる候補の勝利が、東京都だけでなく全国各地の現政権に対する大きな批判の声、運動として広がっていく、そのような主権者の意志の集約、そして今後の運動をより確かにして行く決意と取り組みへの確信こそが、いま求められている。原子力を詠う短歌作品を読み続けてきた筆者の心からの思いである。
ところで、前回に挙げたように、この年鑑に「歌壇展望」として、篠弘氏が「震災詠が喚起するもの」と題する一文を寄せ、「2011年の3・11に東日本大震災が起こったことで、何が変わり、さらに何が変わろうとしているのであろうか。」について、氏の見解を述べている。
氏は、今年度(平成25年度)の短歌界を回顧するに当たり、歌壇の各賞の受賞作について、大口玲子『トリサンナイタ』(若山牧水賞)、高木佳子『青雨記』(現代短歌新人賞)、吉川宏志『燕麦』(前川佐美雄賞)、米川千嘉子『あやはべる』(迢空賞)などをあげ、「被災直後に現地で読まれたものばかりではない。歌集にはその後のものも含まれていて、機会詩としての短歌の性格を超えようとする。」との評価、位置付けをしている。(以上の受賞作のうち、『あやはべる』のほかの歌集はこの連載の中で読んだ。 筆者)
筆者は、「震災詠」と言うとき、東日本大震災については大地震、大津波、そして福島第一原発の壊滅的な破壊事故が、それぞれ深く関連していながらも、原発事故をめぐるさまざまな事象をひとくくりにするのは無理があると考えている。前掲の歌集の大きな特徴は、原発事故とそれが被災地域のみならずこの国、さらには外国にまで深刻な災害と捉えきれない多様な問題を孕んでいることを意識して詠われている作品として読まれるということだと思っている。
また、篠氏は自身が「拡張される震災詠」(「角川短歌年鑑』平成24年版)を書き、さらに「持続したい被災詠―臨場感と詩性と」(月刊「短歌」平成25年3月号)を書いたことを記し、
「自らの直感や体感を信じて、言葉を自在に解き放ち、被災詠を多作して欲しい。類歌を恐れないで詠みたい。口を鎖することのほうが怖い。独創性の捻出に拘泥すれば、おそらく枯渇する。(中略)時代と共に生きた自分の心璃の起伏を感じられることが大切なのではないか。」と論じたことを引用し、それに賛意を表した加藤英彦氏の短歌時評「詠い続けよう」(朝日新聞平成25年3月18日)も引用、紹介している。
篠氏はこの文章の中で、「ここで、放射能にもっとも苦しめられている福島の動き」として、福島県歌人会の平成23年版『福島県短歌選集―震災・原発事故の年に詠まれた歌』(平成24年2月)について、5首を引用(遠藤たか子、佐藤祐禎、高木佳子、波汐国芳、本田一弘各誌の作品を1首ずつ)して、ていねいに紹介、論評をし、「このように実体験の重みをかみしめながら、個としての判断や認識が変化するものもあれば、詠まざるを得ない強迫観念や責務から放たれた、詩性に満ちた着想が見られる。さらに自然と人間との関わりを喚起するような、大柄な作品も生まれようとしている」との評価をしている。(同歌集は、この連載の中で読んだ。 筆者)
そのほか現代歌人協会による「現代短歌フォーラムイン福島」の開催とアンソロジー『東日本大震災歌集』(平成25年3月)の刊行(この連載で作品を抄出、記録した。 筆者)、その他、短歌界、歌人の震災・原発詠に関わる動向について、いくつかの作品を取り上げながら紹介し、原発詠の現状について記述している。「震災詠」について、原発詠に視点を向けながらの論評は「揺れ動く震災詠は、詠みつがれることで、さらに新たなるものを喚起するのではないだろうか。」と閉じられているが、原発詠と原発問題をめぐる社会の現状と未来との関わり、いま短歌人が原子力問題と向かい合うことの意味などまでの考察と言及を求めるのは、無理があるだろうか。
『角川短歌年鑑平成26年版』の「平成25年度自選作品集」から、原子力詠を読み、記録していきたい。
◇自選作品(四)から◇(作者の生年年代昭和20年〜29年)
▼購いて読めざる中に震災と原発関係幾冊のあり (大下一真)
▼<東日本大震災は日本への天罰である>といふ主旨の論
二年後もその二年後も東日本大震災を思はむ確(しか)と (狩野一男)
▼ふりそそぐ八月九日の陽にゆらぐ亡き人もうつつの人もカンナも
原爆死没者名簿百六十冊のうち白紙一冊は身元不明者
長崎の八月九日の空を見し父逝き母逝き伯母も逝きたり
被爆時の記憶なけれど身に巣くうものありてわたくし六十八歳
水を、水をと欲りつつ逝きし被爆者を思えば尊しこれの一滴
(管野多美子)
▼フルーツでも売れたるごとく爽やかに原発売り込みの成功を言ふ
売る阿呆に買ふ阿呆ゐることわりのあはれ春本、麻薬、原発
連休のさなかも防護服を着て働きてゐるいくたり思ふ
国特別管理区域甲・乙・丙、百年前の双葉・浪江・大熊町にて
飼猫をうしなひてより三年が経ちぬしきりに掌(て)が恋しがる
(桑原正紀)
▼さざ波はやがて大波(どんぶらこ)思いもよらぬ結末がくる
この道を行けば消失点の中いずれはすべて無くすうつしよ (近田順子)
▼天と地の間(あわい)のわれら、ひもすがら霧の吐息を交わしてばかり
草原に霧たちこめよ日が射(さ)せば天地(あめつち)汚す人の世が来る
さっきから隣の女(ひと)が泣いているわけは聞くなとただ泣いている
(佐久間章孔)
▼阿武隈川くねり流るる流域の中通りとぞ苦しむ大地
峰のひとつは一切経山いただきの祠に朝の光まず差す
降り立ちし福島駅の土白く除染ののちを神域とあり
公園にぽつねんと立つ線量計五歳の臍の高さ測らる
安全と言ひくるめくる国側に東北の鬼、老爺声挙ぐ (三枝むつみ)
▼微量なるセシウムふくむ冬茹(どんこ)かも銀のうつはにふつくり潤(ほと)
ぶ
現世(うつしよ)はもとより五濁(ごぢょく)しろく透く蓮根(はすね)をうす
く切りつつおもふ
浄き土ひろく汚せる放射性物質見えず人の罪過も
劇毒を撒くかもしれぬ原発を内につくらず首都東京は (田宮朋子)
▼原発のけがれ飛び散る春の野のあかるき草の花を摘むなり
汚れたる淵に沈みしかもしかの角をみがけば赤月のぼる (立花正人)
▼半島の原発三基遠く見え男根崇拝のイコンのごとし (西王 燦)
▼団塊の世代を徴兵すればすむ年金破綻も原発処理も
国防軍老人部隊の放射能防護服真白きまぼろしうかぶ
老人部隊の出征兵士を見送らむ隣組の子らは日の丸振りて
むりしなくてもいいよだなんていふ台詞言はれたくなし保育園児に
原爆詩の朗読続ける人が好き いまだ変はらぬサユリストにて
(真鍋正男)
▼再(ま)たの春 地震(なゐ)の記憶も年輪に秘めてみちのくの樹々芽吹かむ
か
星々の零れむばかりと震災の酷寒の闇語りしのみに
春よこい いわきの友の絵手紙に大きく赤く苺が笑ふ (結城千賀子)
◇自選作品(五)から◇(作者の生年昭和30年〜39年)
▼仕方ない、しかたないがこの国を動かすらしい原子炉もまた
石棺を覆うシェルター、シェルターおおうシェルター限りもあらず
がらんどうのわれの部屋にも入(はい)り来む或る日氾濫する汚染水
(飯沼鮎子)
▼きつかけがありて知りたる地名あり浪江・閖上・大槌町小鑓
報道の見聞きに成れる我が歌はがれきの山の瓦礫の一つ
(小笠原和幸)
▼(さようなら原発集会)に代々木まで行きし日父はまだ生きていた
(大崎瀬都)
▼「廃」(はい)と言えぬ唇乾く冬の夜にビラは舞いたり季語「炉」を載せて
溶けし花の花粉降る夜包むよう子を抱き西へ逃げし母(とも)はも
(大野道夫)
▼いづこにも揺るる水あるはつなつの人間のみの住めざる区域
唯一の大切のやうに核廃棄物地下深く遺しわれら消ゆるか
(川野里子)
▼放射能に灼かれてをれば不死身なる人造人間(アンドロイド)になるやも
しれず (藤室苑子)
▼原発を軍を未来に託しつつつまりは生きてゐるだけで恥
美しくありし世界を思ふ時この上もなく疲れてしまふ (森本 平)
▼あらはれてすべての人間(ひと)を愚者となすくろく焦げたるちひさき毛
もの
焦げて死んでをればねずみが浴びたりし総線量をいふこともなし
ああ今夜もぺたぺたしゆるしゆるかりかりと触れられをらむ原子力発電
所 (米川千嘉子)
◇自選作品(六)から◇(作者生年昭和40年以降)
▼みそ汁のよどみにしずみゆくわかめ除染は済んだと母は笑えど
うがい手洗いちゃんとすませてマスクせり怒りの言葉は感染させず
(大井 学)
▼福島で生きる母親に強さありその強さに国は凭れかかるな
マスクしてわれを見る人の目がすこし遠くなりたり朝をかなしむ
ベアテ・シロタ・ゴードン死して旧仮名の憲法はかろうじて残りをり
(大口玲子)
▼メルトダウンに最も近いパチンコ屋で浜崎あゆみを2千円打つ
(斉藤齋藤)
▼長きトンネルくぐりて来れば海のむこう茶筒のような原発が見ゆ
安全の説明をする声がまた流れるだろう白きボタンを押せば
(吉川宏志)
『角川短歌年鑑平成26年版』の「年代別 平成25年度 自選作品集」に収載の原子力詠を読んできたが、今回で終る。次回も原子力詠を探索したい。 (つづく)
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