2014年03月03日13時51分掲載
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中南米
【再掲】揺れるベネズエラの行方をラテンアメリカ研究者石橋純氏の2007年掲載記事から占う
チャベス亡き後のベネズエラが揺れている。グローバリゼーションと米国の覇権にまっこうから対峙し、“ベネズエラ革命”を担ったチャベス大統領とベネズエラはどこへ行くのか。それを占う絶好の資料として、ベリタが2007年8月14日に掲載した「ベネズエラとウーゴ・チャベス ベネズエラ、寡占民放を閉鎖し公共放送を開局 メディア企業の情報操作に『物言い』」と題する記事を、筆者の石橋純氏(東京大学教員)のご了解を得て再掲載する。同記事は当時のベネズエラにおけるチャベス派と反チャベス派の対立とその深層を、テレビ局をめぐるメディアの情報操作状況を例に明らかにしている。いまのベネズエラの動きを解き明かす上で参考になる。(日刊ベリタ編集部)
【ベネズエラとウーゴ・チャベス】
≪ベネズエラ、寡占民放を閉鎖し公共放送を開局 メディ
ア企業の情報操作に「物言い」≫
RCTVは1953年に開局したベネズエラ最古のテレビ局である。娯楽番組を得意とし、連続ドラマ、バラエティ生放送、お笑い番組など常にラテンアメリカ民放の新スタイルを切りひらき、数多くの放送タレントがこのチャンネルから国際的舞台にデビューした。
同局は全世界のスペイン・ポルトガル語による映像コンテンツの輸出総額の90%を寡占する5社のひとつである。RCTVが所属する《1BC》は、ラテンアメリカ屈指のメディア財閥であり、ラジオテレビのほかに、日刊紙、音楽ソフト、イベント制作会社などが系列企業に名を連ねる。
▼クーデターを担った民放テレビ
2001年末以来、ベネズエラ社会はチャベス派と反チャベス派の政治対立に激動してきた。その中で、地上波民放テレビ局ならびに2大全国紙と系列企業は、中立報道の建前を捨てて、反政府活動の明確な主体として極端な偏向報道を実践してきた。とりわけRCTVならびに右派キューバ系シスネーロス財閥が所有するベネビシ
オン(チャンネル4)の地上波民放2大テレビ局は、02年4月11日のクーデター前後、大規模かつ計画的な情報操作によって騒乱を煽動する役割を果たした。
クーデター当日、財界指導者・守旧派労組幹部・石油公社元役員らは、違法なデモ行進を大統領府に誘導し、反政府派市民と政府派市民の暴力的衝突による流血事件を引き起こそうとした。民放テレビ局は、その一部始終を生中継し、事態を「民意によるチャベス退陣要求」であるかのように国内外に宣伝した。正体不明の熟練
狙撃手の銃弾により、親チャベスならびに反チャベス両派に多数の死者が出たにもかかわらず、地上波民放2大テレビ局はこれを親チャベス過激派による凶行であるかのように映像演出し、ニュースとして繰り返し国中に報道した。事前に録画された反政府派軍人の反乱声明を流血事件ののち生放送であるかのように放送したの
も、また根拠不明の「チャベス辞任」報道をいち早くオンエアーしたのも、地上波2大テレビ局であった。
さらに、クーデター政権の2日間、地上波民放2大テレビ局はキューバ大使館への破壊行為を英雄的市民行動であるかのように生中継し、チャベス派の閣僚を「追悼」する悪ふざけを、全国のお茶の間に放送した。チャベス派民衆の抗議運動が引き金となって、臨時政府が倒れ、チャベスが劇的に政権復帰した4月14日朝、2大テレビ局はこの歴史的大事件を黙殺し、「トムとジェリー」など古い米国製アニメやハリウッド映画を放送して、国民を情報から遮断しようとした。(註1)
地上波テレビを使った反政府メディアの暴力は、02年末から翌年にかけての「石油公社サボタージュ」、そして04年の大統領罷免投票のプロセスまで続いた。通常番組枠をしりぞけて生中継した大規模反政府集会、あるいは常軌を逸した頻度で流された反政府テレビCMなどには、反チャベス運動を支援する米国の国際機関(NED
やUSAID)から資金が提供されていたことが後に明らかになっている。(註2)
こうした地上波民放2大テレビ局の関与は、政局・政変をめぐる「報道姿勢」の問題というよりも、反チャベス派の「政党」と化したメディア企業連合が、非合法の暴力行使も含む政府転覆活動を積極的に推進する行為であったと評価できるだろう。政府・与党はこうした状況に鑑み、社会的騒乱を煽動する放送を取り締まる目的で、05年12月、刑事罰も含む新法「ラジオ・テレビ社会責任法」を成立させた。この流れのなかで、多くのメディア企業が行きすぎた偏向報道を自粛するにいたった。RCTV(ならびにケーブルTVのグロボビシオン)はその尖鋭な舌鋒をもって反政府の偏向報道を維持するメディアとして残っていたのだ。
では、RCTVは、こうした蛮行の責任を問われて閉局に追いこまれたのだろうか。そうではないところに、別の問題が横たわる。RCTVが地上波使用権を失ったのは、政府が与える許認可契約20年の満了と、その更新拒否という法的根拠による。そのため、反社会的放送活動の質や量が、司法の下で審理されることは一切なかっ
た。他方、RCTV以上に過激な反社会的放送を一時期実践していたベネビシオンや他の民放は、「お咎めなし」で地上波契約を更新できている。
「自分に都合の悪いメディアを閉鎖して、独裁者チャベスが報道の自由を奪った」とする米国経由の「歪曲ベネズエラ報道」はもとより論外である。だが、放送倫理のあり方について議論を尽くすこともないまま、政府に恭順の意を示した局は大目に見てやり、かたくなな態度を続けた局に対しては、その責任を追求することさえせずチャンネル使用契約打ちきりを告げる…。いかに合法とはいえ、この「見せしめ」的戦術に対しては、不寛容・不透明との批判が向けられてもいたしかたない。
▼画期的新局の使命
こうした物議のなかで公共放送TVesは開局した。その使命は、「新憲法の価値普及に努め、社会的弱者を尊重し、多元的社会の構築を推進し、文化と言語の多様性を擁護する、質の高い革新的公共放送」であると宣言された。
巨大メディア企業の問題点は、たんに放送事業の寡占という経済的問題のみに限られない。20世紀を通じてマスメディアは、白人、男性、異性愛者、経済的中上層出身者に代表される主流社会の文化を支配的に再生産し、社会的弱者を不可視化し、人種主義的偏見とステレオタイプを日々再生産する抑圧的機能を果たしてきた。
1990年代以降は、ワシントン合意路線に基づく新自由主義的経済再編を促進する広報媒体の役割を積極的に推進することが、全世界の巨大メディア企業並びに公共放送の、典型的運営方針である。ラテンアメリカ、そしてチャベス政権下のベネズエラにおいて起ったことは、このようなメディア企業の政治経済的主体性とこれに対抗する運動が引き起こした対立と言うことができる。
このような対抗的メディア運動のスローガンとしてベネズエラ政府は06年以降「放送事業の民主化」を宣言している。この精神に実効性を与えるため、TVesの番組枠は、国内の独立系プロダクションの企画・制作作品にあまねく開かれることが方針とされている。RCTV閉局に至る経緯には問題が残ったものの、地上波テレビ放送が20世紀を通じて引き受けてきた負の主体性を断ち切る明確な目標を定め、文化的多様性の尊重とマイノリティの社会参加促進を基本方針とするテレビ局がベネズエラに開局されたことは、世界の放送史上、画期的なことだ。
▼局長は叩きあげジャーナリスト
開局したばかりのTVesの局長に就任したのは、新聞記者・音楽評論家・放送プロデューサー兼パーソナリティのリル・ロドリゲスである。彼女自身、これまでマスメディアを活動舞台としながら、フリーランサーあるいは独立プロダクション代表として、そのキャリアを積みあげてきた人である。
1980年代の後半、リル・ロドリゲスは日刊紙の音楽コラムを担当し、ラジオ全国ネットの大人気サルサ番組のプロデューサー兼パーソナリティを毎夜つとめていた。人気の頂点にあった80年代末、ロドリゲスはそうした仕事をすべてリセットし、キューバに赴任し、ラジオ・レベルデの音楽番組と日刊紙『フベントゥ・レベルデ』の音楽コラムを3年間担当した。
キューバでは当時、サルサは「サルサ音楽(ムシカ・サルサ)」と呼ばれ、「外来音楽」とみなされていた。キューバ音楽とサルサの双方に精通したロドリゲスは、そうした特殊事情にこだわらない選曲と解説を毎夜繰り広げ、歴史・国境・思想の壁を越えたアフロカリブ音楽の精髄をキューバ人に知らしめる役割を果たした。ベネズエラ帰国後も、カリブ〜ラテンアメリカ全域の音楽・文化・社会・歴史に幅広く目配りの利いた鋭い批評を発表しつづけた。 ちなみにロドリゲスは、このころ日本のラテン音楽専門誌『月刊ラティーナ』のベネズエラ通信員を務め、連載コラムを担当したこともある。
21世紀に入ってからは、チャベス派の日刊紙『ラ・ボス』や、数少ない中立系全国紙『ウルティマス・ノティシアス』を舞台に文化・社会一般を対象とした評論活動や占星術のコラムをを展開。また、フリー・プロデューサー兼パーソナリティとしてテレビ音楽番組を制作してきた。こうした実験が結実したのが、衛星国際放送『テレスール(南のテレビ)』で開始された音楽番組『ソネス・イ・パシオネス(ソンと情熱)』だった。『テレスール』は、チャベス政権が国際的代替メディア戦略の要として、アル・ジャジーラにヒントを得て立ち上げた衛星ケーブルテレビネットである。
こうした経歴を知る者にとっては、リル・ロドリゲスのTVes局長就任は嬉しい驚きだった。文化産業の利害とは距離を置き、一報道人の矜持を貫きとおすラテンアメリカに稀な本格的評論家。辛口だけれど懐の大きな、「頼れる姐御」的キャラクターのリル・ロドリゲス。権力や肩書きとは無縁に、文字どおりペン一本(新聞取材は録音しない主義)を頼りに、読者・視聴者・音楽家の敬意を集めてきた。その彼女がはじめて引き受けた「大組織の役職」、それが新生国営放送TVesの局長だったのだ。
▼「もうひとつのメディア」を目指して
開局記念式典の席上、リル・ロドリゲスは局長として初めて公の席に姿を現した。行く手に逆巻く荒波にむしろ力を得たベテラン航海士のように、堂々と、落ち着いて、遊び心さえのぞかせながら、《水瓶座》のアフロ系女性リル・ロドリゲスは、破天荒といえるすばらしいスピーチを披露した。
「われわれの先祖たちは何世紀もの間、多様性を糧として、みずからの代弁者となり、自分本来の表現を守り続けてきました。太鼓の響きは、先祖たちの抵抗の叫びでなくてなんであったでしょうか。その抵抗の流儀は自信に満ちなおかつ陽気なものだったのです。エレグア(アフリカ・ヨルバの通信・交通の神)が私の道を開き、オバタラ(知性の神=リル・ロドリゲスの守護神)が、明晰な思考を支えてくれるからです。もしこうした言葉が場違いな妄言と聞こえるなら、その人は、アフリカもまたわれわれの母なる祖国であるということを認識していない人でしょう。(中略)もうすぐTVesが誕生します。産婦人科医院で生まれるのではないかもしれない。でも構いません。なぜなら国民こそが助産師だからです。この子を取り上げて、お尻を叩いて、元気な産声を響かせるその流儀を国
民は心得ているはずです。(中略)クリエイティブにならなければ道を誤るということを、2002年以降のベネズエラでわれわれは思い知らされてきたのですから。(中略)私が自身が映る、あなたが自身が映る、彼自身が映る、われわれ自身が映る、あなたたち自身が映る、彼ら自身が映る、TVes。みずからの力で道を切り拓いていこうではありませんか」
少数巨大企業によるマスメディアの寡占に警鐘をならし、「もうひとつの」メディアを支える幾多の言論人・映像人・音楽家が、この日本からも、TVesの挑戦に注目している。
(註1)クーデターの経緯ならびにマスメディアの関与の詳細は、K・パートレイ/D・オブライエン監督によるドキュメンタリー映画『The Revolution will not be Televised』(2002年アイルランド、邦題『チャベス政権〜クーデターの裏側』)を参照されたい。
(註2)この問題については本誌の次の関連記事を参照。
「チャベス政権転覆計画が発覚 米国による生々しいメディア工作の実態が明らかに」
(註3)本稿は月刊『ラティーナ』2007年7月号に掲載された拙稿に加筆・修正を加えたものです。
(註4)本件については以下の評論もあわせて参照されることをお薦めします。廣瀬純「政党化するマスメディア---ベネスエラRCTV問題をめぐって」『インパクション』第159号(特集「ラテンアメリカの地殻変動」)2007年9月発売。
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