2014年03月04日05時31分掲載
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コラム
パリの散歩道 生演奏の町
パリは欧州一二を争う観光地である。観光地ということは観光客に対するサービスが重要な要素だが美しい街並みだけが魅力ではないことは言うまでもない。ファッションや美食に加えて、意外と忘れられているのが音楽なのである。音楽と言うと隣国ドイツのベルリンがすぐに思い浮かぶのだが、パリの強みはあちこちで生演奏が行われていることだ。
このことは日本にいると、いかに複製音楽に朝から晩まで囲まれているか、ということが逆に思い返されるのである。灯油売りもクラシック音楽の名曲を鳴らしているし、商店街のバーゲンでも、喫茶店でも、運動会でも、テレビ番組の中でもあちこちで音楽が響き渡る。それらは第一級の名曲なのだが、同時にほとんどすべて複製音楽なのである。
ところがパリの町で流れている音楽はたいてい生演奏なのだ。別に五つ星のグレートな演奏家ではない。普通に聞くに堪えるプロの演奏ができる人々がたくさん町で演奏している、ということなのである。
個的に部屋でCDやラジオを楽しむということはあるにしても、パリでは普通の人間付き合いの中で音楽家と出会うことはあるし、何かイベントをするにしても音楽家がすぐそこにいる。また、地下鉄の構内に入るとロシア人たちがロシア民謡を演奏したり歌ったりしているし(なんとスターリングラードという名前の駅まであるのだ)、もちろんそれ以外にも様々な音楽家があちこちの駅にいて、しばしば電車に乗り込んでくる。中でもジプシーの演奏家の中には本当に見事な演奏を聞かせてくれるグループがいるものだ。バイオリンやトランペット、ギターなどを抱えて、車両から車両へチップをせびりながら移動していく。
パリにおいては音楽に出会う、ということはすなわち演奏家という人間に出会うこととほとんどイコールなのである。町で演奏することは音楽家にとって幸福かどうか、そこはわからない。しかし、少なくとも町を訪れた人間の観点からすると、生演奏は複製音楽より多くの場合耳に心地よいものだ。
僕が個人的に知り合った音楽家はチャランゴという楽器を演奏していた。チャランゴは南米の楽器らしく、弦楽器なのだがギターよりちょっと明るい音色を持っている。昔はある動物の皮から作っていたと言うのだが、絵を描きながら尋ねてみるとアルマジロのようだ。彼女はチャランゴだけでなく、さまざまな民族楽器やオリジナルの楽器を演奏していた。もちろんそこで耳にする音楽には耳新しい独特の味わいがあった。
日本の町に氾濫する複製音楽はそれがほとんど無料であることと関係しているに違いない。そこには人間同士の生のコミュニケーションは必要ではないのだ。そして、無料であればできるだけたくさん使おうということにもなる。繰り返し楽しめるという意味でCDなどの複製音楽はモノとしての価値を持つものだが、町で出会う生演奏は一回性のもので、一期一会の体験として思い出の中に保管される性質のものである。
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