2014年03月21日12時25分掲載
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文化
【核を詠う】(147) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(4) 「覚醒せよ覚醒せよといふ声す原発事故の深き闇より」 山崎芳彦
今回も歌誌『翔』の作品を読む。同誌の第40号(平成24年7月29日発行)、第41号(平成24年12月1日発行)を読むのだが、東日本大震災・福島原発壊滅事故から満1年余が経過した時期の発行だが、地震・津波による被災、原発事故による被災が複合・加重しあって、同誌を刊行する福島の歌人たちは大きな苦難が続いているなかで短歌作品を詠い続けていた。
第40号の編集後記を読むと、波汐國芳さんは「大飯原発(福井県)が再稼働した(7月に3、4号機 筆者注)ことが既定事実となって、今停止中の原発も早晩動き出すのだろうか。ところで、東日本大震災から1年4ヶ月経過しているが、いまだに復興の兆しがみえない。しかも、大震災を境にして世の中が一変してしまったことに気づく。とにかく、復興は、己自身が活力源になることから起動する。」と記している。
また伊藤正幸さんは「大震災・原発事故があってから、1年4ヶ月が経とうとしているが、放射能の除染を含め、復旧・復興が目に見えて進んでいない。それを端的に示すのは、福島県の18歳未満の子供の数だ。避難している子供は3万人余り、震災前の1割弱に相当し、このうち約6割は県外だという。広域に散らばらざるを得なかった子供たちが、安心して戻って来られる日が一日でも早いことを願うばかりだ。」と書いている。
三瓶弘次さんは、『翔』の同人が10年前24人で、「これまでの同人は38人に達するものの創刊以来継続する同人は11人でしかない。ふと『方丈記』が脳裏を過る。」と創刊10年目を迎えての感慨を述べている。
波汐朝子さんは「東日本震災より1年余経つのにいまだに放射能におびやかされている毎日です。又、余震も度々あって心が落ち着きません。早く震災前の日常に戻りたいと思うのは私だけではないでしょう。でも、この思いを短歌に綴って置くのも、生の証しのひとつと考えており、その意味でも翔の仕事も大切と思っています。」と書いた。
それからさらに1年半以上が過ぎた。『翔』は今も続いているのだが、福島をはじめ東日本の現在はどうであろうか。上記の『翔』の編集後記を読みながら、この国の政治や経済、社会について思うことはしみじみと無慚であり、とりわけ原発の再稼働問題、そして福島の原発事故被災に対する政府や東電を中心とする原発関係企業の姿勢の反人間性である。
今月(平成26年3月18日)に、福島県議会の平出孝朗議長が、原発が立地・立地予定の14道県議会議長で組織している「原子力発電関係道県議会議長協議会」(会長は飯塚秋男茨城県議会議長)から脱退することを明らかにし、その理由として「協議会の他の県の議長らは原発再稼働を前提にしている。同じ会に入っていることに違和感がある」と説明していることが朝日新聞の短い記事になっていた。
原子力規制委員会が九州電力川内原発(鹿児島県)の規制基準への適合審査に入ることを示し、「審査に合格した原発は動かしていく」とする政府の方針から考えると今夏にも、再稼働への突破口が開くと見られている。このような状況の中、「原発再稼働を前提にしている」前記議長協議会に、福島県議会議長は居たたまれないのであろう。自民党会派に所属している平出議長だが、福島県議会の各会派の賛同を得ての脱退だと報じられている。
それにしても、他の原発立地県議会議長の姿勢には、唖然とするしかないが、さもありなんかという思いもする。福島原発の壊滅事故がどのような事態、人々の苦難をもたらしたかを知らぬわけはないだろうが、自らの県にある原発が再稼動することを前提にしているという、そこにはそれなりの背景と理由があるのだろうか。人間のまっとうな論理、倫理と決定的に乖離した醜悪な政治と経済の論理に沿うことが不思議ではない「強権・強者支配層とその追随者たち」は、福島の現実が自分たちの県や地域に起こる可能性があっても、人々に耐えがたい苦しみ、絶望的な環境をもたらすかもしれないとしても、原子力社会の維持の道から抜け出ようとしないだけでなく、その道を歩むことを人びとに強制するのである。そうさせる政権、政府があり、原子力による経済成長、利益の追及を求める勢力が、いまもこの国を「運営」している。「わが亡き後に洪水は来たれ―後は野となれ山となれ」とばかりに。
だが、そのことを承認しない人びとの思いと願いが、現実を生きる力と希望を現実にする運動を発展させないはずはない。
今年1月の市長選挙で「脱原発」を掲げて再選された福島県の桜井勝延南相馬市長は語る。(朝日新聞3月18日付オピニオン欄「福島からの民主主義」、聞き手は吉田貴文。要旨)
「原発で被害を受けた地域の再生や住民の生活再建は、国が思うほど甘くない。原発にめちゃくちゃにされた人の心の再生がどれだけ難しいか。国の感覚でやられてはたまりません。我々自身で再生する。そのためには、『原発なんかいらねえ』。選挙で示されたのは、南相馬市の人たちの意思だと思う。」
「原発事故から3年がたちましたが、住民の不安や不満は依然、深刻です。若い世代はやはり子育て、低線量被曝がこどもの健康に与える影響を専門家がいくら説明しても、不安は払拭されない。働き盛りの人は仕事。特に農家の皆さんは生業ができないことに苦しんでいる。高齢者はいち早く戻りたいも気持ちを募らせています。」
「国はまたしても原発を維持、再稼働しようとしている。それは違う。原発事故によって、日本のエネルギー政策を変える絶好のチャンスだったはずです。国の政策決定者は閣僚であれ官僚であれ、ここで起きている現実をしっかりと見てほしい。今でも福島では、大気中の放射線量のデータを毎日気にしながら生活をしているんです。そんな地方を補助金や交付金といったアメ玉で国の言いなりにさせようとしていいのか。それがこれまでどれだけ地方の自立を妨げてきたのか。『カネで人のこころを縛るなよ!』と言いたい。」
「人々は自分が困難なときほど政治に関心を向けます。現実を変えるには政治しかない。千年に一度の異常な状況にある福島は政治にあらゆるチャレンジが可能です。現場に根ざした福島型の民主主義? それも夢じゃないと思いますよ。」
南相馬市は南端が福島第一原発から約十キロ北で、市域の4割は避難指示区域。2万人以上が避難生活をしている中での1月の選挙で桜井市長は「脱原発」を掲げ、脱原発に慎重姿勢だった候補者2人の合計得票を上回る得票で当選した。福島県内で昨年行なわれた6市町の首長選挙で現職が相次いで落選したが、「脱原発」を明確に掲げた桜井氏は再選された。それを踏まえての主張、構想には聞くべき内容が多いし、原子力維持勢力に屈しない地方自治の陣地を確かなものに構築して行かれること、住民との共同を強固に、柔軟で強靭な地方の自立を目指して欲しいと願う。
福島県の歌人による歌誌『翔』の作品から原子力詠を、今回が4回目になるが読み継いでいく。
◇『翔』第40号(平成24年7月29日発行)抄◇
▼薗部 晃
田を起こし暮らしなかなか起きざるを彼岸はいかにと父に問ふなり
畑一面に咲き群れてゐるマーガレット百姓なれど抜くをためらふ
▼波汐國芳
放射能汚染の福島脱けたきを脱けても脱けても祖霊ら付き来
原発に追はるる牛が暮れ際をふと振り向きしその眼の氷
原発の福島逃ぐる牛の背のずんずん沈む放射能負ひ
原発へ怒り募るを磐梯のマグマ移して爆ぜたきわれぞ
夕づきて風が揺するを菜の花のきらとセシウムの笑みこぼれたり
裏畑の菜の花の笑み奢るがにセシウムが立ってゐるこの夕べ
原発の作業員とぞ夜の街にふと振り向きし貌の燃ゆるを
▼三瓶弘次
古里のひそかな絆思ひつつ口づさむなり啄木の歌
ベツレヘムの星を探さむフクシマの金環食の夕べなりせば
▼橋本はつ代
東南海地震に関心移れども被災地フクシマ風化はさせじ
なかなかに復興進まぬ故里を見守り呉るるや墓の父母
被曝地の富岡に一とき帰宅せし妹なりしが見納めならむ
▼児玉正敏
もういいよもう出ておいでと声をかく除染終へたる桃に向かひて
健診の結果通知を斜め読み妻に熱燗追加してみる
▼紺野 敬
この冬の雪まだ残る果樹園に除染のためと皮剥がれをり
河原辺に踊子草が招けるも遊べる児らの見えぬ「フクシマ」
除染後の運動場を走る児のマスクの中より覗く笑顔が
▼古山信子
耕作を休みしままの汚染田に羽を休むる白鳥の群れ
避難より戻りし孫は雪国の強さ賢さ身につきてをり
雛壇に男雛女雛のその傍へ避難の孫の写真も添へぬ
新学期始まる前に学校の除染に向かふ子は雪の中
▼岡田 稔
セシウムの色かと思ふ空を裂きヘリコプターが飛び立ちゆけり
▼御代テル子
被災して枯れし丹精の庭木なり抜きつつ吾に痛み走るも
菜の花の芥子和へ好む吾なれば安房産もの選びて帰る
一日一日寒深まれば雪国の仮設の人らに想ひ馳するも
▼鈴木紀男
ふたたびの春めぐり来る三月を受け入れられぬ我がゐるなり
震災ゴミ受け入れられぬといふ都会わが心にも漂ふ瓦礫
覚醒せよ覚醒せよといふ声す原発事故の深き闇より
▼上妻ヒデ
セシウムに大根の皮剥きてをり剥きつついつしか芯まで届く
▼波汐朝子
わが庭の牡丹の花セシウムの溢れて咲けば窓越しに愛づ
つくしさん陽を浴び風うけ幸せね外で遊べぬ児らと比べて
わが庭の柿の実れど食べられぬ悔しさあまり枝伐り落とす
セシウムをたつぷり吸ひし蘭の花凍死させじと家に入れたり
花好きのわれが廊下に入れたるをセシウム迄もと夫は苦笑す
◇『翔』第41号(平成24年12月1日発行)抄◇
▼伊藤正幸
日本の忌日のひとつ震災と原発事故の起こりしその日
今もなほ原発傘下 放射性セシウムの雨降り降るなかに
「死の灰」と言ひて恐れし核なるをわが身ぬちにも及びてをりや
安全と安心の間埋めがたしフクシマ遠く離る人らに
放射能汚染なき野をおお雲雀高き空より探してをりや
原子力村の議事録揺さぶるな「そつとそのままそつとそのまま」
原発の再稼動決めし宰相に見えてをらずや被曝地の闇
再びをチェレンコフ光点さむか被曝地の闇にわれらののく
ありありとメルトダウンのその後のフクシマ原発残照のなか
廃炉処理四十年とや遥かなり吾は死後にも眼を開けてゐむ
▼児玉正敏
放射能の内部被曝を洗はむと晩酌の量増やしてみたり
寒空に家庭果樹園除染をす食む人の当ておぼろなるまま
福島を応援しますと言ひつつもかごの中には他県の野菜
物言はずかごに入るるは福島産真の支援に言葉は要らず
わがむらの奉納演芸熱が入り放射能など近づき難し
われつひに自然発火の寸前ぞ復興政策空焚きのまま
原発の事故は心の制御棒熱し続けて臨界近し
いつまでも作付けの可否決められぬ復興軍団戦を知らず
▼波汐國芳
おお、津波 原発攫ひ町攫ひ他県流出六万人超すとふ
おお、津波 原発攫ひ古里の木の末碧き空も攫へり
放射能降り降る夜半に吐く息の炎立ちつつ誰を討てとや
▼橋本はつ代
吾のみの命にあらじ被災地の旧知の友らを迎え入れむか
老い先の穏しさ奪はれたる人か炎天のもと表土剥がすも
セシウムにまみれし表土はがす老い国の除染を待つ術なしに
検査用とふ魚貝の水揚げぞされど漁夫らの活きいきとして
放射能に手入れなしえず雑草の勢ふ力に気圧されてをり
▼紺野 敬
草引きしあとの吾が手のごしごしと見えぬセシウム洗ひ落とすも
あぢさゐの花のごとくに寄りそひて原発零を叫ぶ人びと
わが里の田圃へ水の張られずに撒かれてゐるはゼオライトなり
▼古山信子
福島の友より送り来たる桃恐れて食めば蜜の味なり
避難せし子達も戻りてさやさやと若葉の風もささやく日なり
除染して水撒きをして運動会小学校に歓声あがる
▼渡辺浩子
原発の事故境目にわが家の夕べの明かりも削り取られぬ
原発の安全神話作りしは誰ぞやそれの跡形もなし
故郷を「福島です」と声を上げひたむきに吾生きてゆきたし
どしやぶりの屋根を打つ雨わが中のセシウム汚染も流して下さい
いわき沖に風力発電の塔建つとふ息子の話に耳傾けぬ
怯えつつ生活するも早や一年いまだセシウム降り止まぬなり
被曝地に那須産トマト贈られぬ山の涼気も入れたるままに
▼御代テル子
残生はなるやうにしかならないと納得してゐる今日の海鳴り
とどまらぬ風評被害のただなかを高波分けて出でゆく船か
▼桑原三代松
生垣の木苺の実を手の平にのせてみちのく福島を恋ふ
▼鈴木紀男
被曝の歌歌はねばならぬ町にゐて子供等の声今日も聞こえず
ハーメルンの笛吹きが攫て行ったのか子供の姿見えぬ真昼間
▼上妻ヒデ
ベクレルもシーベルトも共に流したい温泉宿の浴槽に居て
慈雨なれど放射能含みをりたればわが菜園も汚染増すらし
▼波汐朝子
夕顔の白き大輪の花々よわが庭中のセシウムを吸へ
セシウム値高きわが庭の柿と枇杷、柚子さへ熟れて落つるが哀れ
子も孫も曾孫も近づかぬこの夏を夕顔の花よ呼んでくれぬか
朝々の目覚めを呼びにきし鳥らセシウム故か今年も寄らず
放射能検出されぬ桃、ぶだう未だ子等へは送るをためらふ
次回も『翔』の作品を読み続ける。 (つづく)
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