2014年06月01日11時42分掲載
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文化
【核を詠う】(153) 山本司歌集『揺れいる地軸』の原子力を詠む(3) 「地図上に“原子力村”は見当たらずストロンチウムのごとく浮遊せる」 山崎芳彦
前回から、筆者の事情で間をあけすぎてしまったことをお詫びし、今回も引き続き山本司歌集『揺れいる地軸』から原子力詠を読ませていただく。いま、この国で原子力・原発にかかわっての動きは極めて重要な局面にあると言わなければならないと思いながら、短歌作品を読んでいる。
この間に、極めて注目すべきこととして、5月21日の福井地裁における大飯原発3,4号機運転差し止め請求を認め、運転差し止めを命じる判決が示された。原発の運転差し止めを命じた司法の判断が福島第一原発事故後初めて出されたことの意義は極めて大きく、その判決理由が述べている内容は原発の存在そのものに対する根本的な異議の表明と言ってよいと思う。樋口英明裁判長が述べた判決によって指摘された原子力発電に関する見解は、大飯原発の問題にとどまらず、この国のすべての原発に対するものであり、原子力エネルギーに依存する社会の在り方に対する明快な論理、倫理と道理に適った内容だと、感動した。
判決要旨全文を読んだのだが、「大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名の原告に対する関係で大飯発電所の3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない」とする判決の理由において、注目すべきは、この判決が「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められ・・・生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である」と、司法の立つべき原則を明確にしたうえで、憲法上の権利である人格権を超える価値は他に見出せないことを明かしている。
「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。」、「この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差し止めを請求できる」として、大飯原発3,4号機の運転差し止め請求が正当な権利によるものであることを明らかにする。原発にかかわっての、人格権についてのこの言及が司法の場で改めて明快に示されたことの意味は大きいと思う。今、安倍政権が強行しようとしている諸政策が、人格権を無視し、侵す内容に満ちていることを考えると、この人格権を支えている憲法そのものを破壊しようとしている安倍政権とその共同勢力の危険な本質について考えないではいられない。
さらに、「福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名が命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数をはるかに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。」、(チェルノブイリ原発事故により20年以上を経ても、ウクライナ、ベラルーシ両共和国が今も広範囲にわたる避難区域を定めていること)からも「放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問」が投げかけられるとして、原発から250キロメートル圏内に居住する住民に大飯原発運転差し止め請求の原告としての権利を認める根拠としていることに共感させられた。
また、「原子力発電所に求められるべき安全性」について、「原子力発電所の稼働は法的には・・・経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分より劣位におかれるべきものである。」「大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利(人格権)が極めて広範に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。」、「かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然である。」とする司法の判断が示されていることは、まことに貴重で倫理性に富んだ判決の基調をなすものだと思う。
そして、「新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質や被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差し止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。」としながらも、「原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象にされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課せられた最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。」として、大飯原発の運転差し止め請求についての司法判断を行なう立場を明確にしている。
注目し、何よりも大切にしなけれはならないことは、この司法における判断において原発の安全性について「人格権のわが国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(上記の理に基づく)裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。」と、人格権に対する侵害の危険性が万が一にでもあってはならない、福島原発事故の事態が繰り返されてはならないことを基本とする姿勢である。
大飯原発運転差し止め請求に対する福井地裁の判決文はさらに続くのだが、この運転差し止め判決に対して、関西電力は控訴し、さらに安倍政府は原発再稼働の方針に変更はないことを表明し、原子力規制委員会もこの判決を無視して規制基準への適合審査を続ける態度を示し、実際に進めている。
考えてみれば、安倍政権は、憲法の恣意的解釈を行うことによってこの国の在り方、現在と将来を人格権、基本的人権を踏みにじろうとしているなかで、それを阻止し、人間としての生きる権利を勝ち取っていくうえで、この「大飯原発運転差し止め判決」の貴重さをしっかりと受け止めるべきは、この国の主権者であると切実に思う。
山本司歌集『揺れいる地軸』の原子力詠を読んでいきたい。
◇猛暑はなおも―2011年8月◇
沖縄ゆ来し作業員が六年前被曝死せしが今報ぜらる
被災者の弱目につけこむ派遣業生活保護以下の六七四円(むなしい)時給
原発の交付金を辞退せり南相馬市への“金(かね)の麻薬”を
三十年、否数万年も不安つづく放射性物質は風の吹くまま
トリカブトどこに植えてもトリカブト機構変えても原発止まず
除染せし高線量の泥土ぞ処分の見通しなき仮置き場
(福島市の未公表の仮置き場)
日本に核兵器配備を目的とせし「安全神話」の原発売り込み
(米政府解禁文書で判明)
茨城の洋上風力発電機 大震災時も無事稼働せり
芦浜の原発計画とどめたり脅迫電話や買収に耐え
広島の市長が訴うる核廃絶 実現したき二〇年までに
(市長挨拶で二〇二〇年までにと表明)
被爆者の悼みこめたる灯籠の核保有国に届きて拡がれ
長崎の平和宣言報ぜらる脱原発にうなずく紫陽花
京都の五山送り火に燃やす松 被災地の薪が断られしと
(放射能汚染ゆえ、二度も断られる)
献金に広告宣伝費や天下りと二兆数億円の原発マネー
二度起きし炉心溶融の三号機格納器の底に落ちしと
節電のはずの九月の全木曜日 トヨタ自動車出勤日とせり
(土・日出勤の振り替え休日を)
生涯にわたって検査の保障を 内部被曝の負をいかになす
福島の出身アーチストの発案のフェスティバルよ天地にひびく
(八月十五日、福島市郊外に延べ一万五千人参加)
黒松内低地断層帯解明さる泊原発の危険度高し
(マグニチュード7.5級の危機が)
母強し子を守らんと組織なし放射線量測定はじむる
猪の肉よりセシウム検出さる語らぬ自然の侵されており
(宮城県にて8月19日、暫定基準の4倍)
政・財界原発輸出に精出しぬ未来の地球より目先の利益
原発の二倍の再生エネルギーありしと農水省の試算は
いち早く再生エネの発電所造るべしぞ原発廃炉へ
原発促進税をそのままに更に電気料値上げをせんと
(再生エネ買取り代を電気料金に加算の法案)
震災の四日前の東電が保安院にせし津波の相談
(原発に二十六メートルの津波試算)
あくまでも仮定と放置されて来し「想定外」の外のドラマ
原発の三キロ圏の一時帰宅 さんたんたりし荒廃に佇(た)つ
(八月二十六日、初の一時帰宅)
東電の損害賠償額提示さるあまりに低くあまりに粗雑
(八月三十日発表、四人家族で四百五十万円、汚染牛等除外)
◇葉は繁るとも―2011年9月◇
放射能大丈夫ですといただきし風評被害の福島の桃
放射能で遺伝子変換おこらんともドジョウがサメへと危うき時代
最初から嘘で造られし原発ぞ事故後も虚偽の報道つづけり
懸命に除染をなせる教師らよ子らの室外二時間以内
長年の科学的根拠あらざれば被曝の基準値定まりがたき
放射能の不安がゆえの人口減 二ヶ月つづきぬ首都圏にても
(住民基本台帳より、六、七月ともに減少)
経産相「放射能つけるぞ」と脅したり被災者を見下す支配者意識
脱原発のデモやハンスト、パレードなど列島各地の意志の表明
(9月11日、霞ヶ関のパフォーマンスや新宿の約1万人デモ等々)
ほとんどが除染作業の手つかずにありし被災地 遅々たる政治
(九十八パーセント手つかず)
流出のセシウムが太平洋循環すかかる年月三十年も
黒焦げの首をたれたる向日葵の実にもなりえぬ吾が古稀のの秋
地図上に“原子力村”は見当たらずストロンチウムのごとく浮遊せる
電力の会社に頭あがらずや七憶三千万も自民・民主に
(2009年に自民七億円強、民主二千三百万円強の献金を)
原発の建設費十三億円、ゼネコン五社が独占して来し
(建屋―鹿島建設、大林組、大成建設、竹中工務店、清水建設)
明かされし癌死亡率高かりと泊原発の周辺の町
(一位泊村、二位岩内町、三位福島町、四位松前町、五位積丹町。)
風評の被害をいかにたださんと産地・線量などの詳しきラベル
原発事故広島原爆の二十発分 見えざる放射能いずこに漂う
那覇市にて脱原発と脱基地の集会なされぬ広がる声が
(九月二十四日に)
原子力空母を拒否せる集会もなされし横須賀 最大規模で
(九月二十五日、四千五百人超)
原子炉を製造せしは三社のみぼろい儲けをつづけて来たり
(三社―三菱重工、東芝、日立製作所)
原発の廃止が九十八パーセント占めたり意見募集の声は
(原子力委が実施した集計)
セシウムの汚染地帯が群馬まで届きておりぬヘリでの計測
(二百五十キロ超であるが、地上測定ではもっと広範囲と考えられる)
電気代取りすぎて来し十年間 調査で判りし東電の嘘
(高見積りで六千億円過大の利益)
北電と受注会社も「やらせ」せし暴かれたれど再稼働変わらず
スイスにて原発全廃決定すひまわり掲げし女性の笑顔
原発がなくても夏の電力の供給できしと東電資料が
(六パーセントの余裕隠しを)
次回も『揺れいる地軸』の作品を読んでいきたい。 (つづく)
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