2014年07月24日23時12分掲載
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文化
【核を詠う】(159) 吉田信雄歌集『故郷喪失』から原子力詠を読む(1) 「二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく」 山崎芳彦
今回から吉田信雄さんの第一歌集である『故郷喪失』(現代短歌社刊、平成26年4月)から原子力にかかわって詠われた作品を読ませていただくのだが、歌集名が示すように原発事故によって故郷を追われた作者の歌集である。吉田さんは、福島県・大熊町に生まれ、在住していたが福島第一原発の事故で現在は会津若松市に避難して生活している。その吉田さんの避難生活の中での作品が多く収録されているのだから、その生活の中で生み出された短歌作品のどれを読んでも原発事故と結びついていて、改めて「原子力詠」と括って読み、作品を抄出することが躊躇われるというのが、筆者の率直な思いである。この歌集には、「故佐藤祐禎さんに捧ぐ」と記され、「あとがき」に吉田さんは「私を短歌の道に引き入れてくれた、そして無念にも昨年避難地いわきにおいて他界された故佐藤祐禎さんに、また歌の題材として多く登場する私の長命の両親にこの歌集を捧げたい。」と書いている。
しかし、この連載の中でこれまでもしばしば悩んできたように、この吉田さんの歌集についても、筆者の独断・偏見を作者に謝しながら原子力詠として作品の抄出をすることにご寛容をお願いする。この歌集について現代短歌新聞7月号紙上で、高木佳子氏(いわき市在住)が書かれている文章(「ある家族の生の軌跡 吉田信雄歌集『故郷喪失』」)の中から評言の一部を抽かせていただく。
「師として、また歌友として慕う間柄であった故佐藤祐禎氏へ捧げられたこの歌集は、震災詠という言葉で一括りにはできない作者の身熱を帯びた力がこもる。・針仕事のさなかの母を襲ひし地震百歳は裁ち台にしがみつきをり ・大地震に部屋に馳すればわが父は崩るる書籍に埋もれてゐたり ・避難所の窓よりのぞむ田の果てに飯豊(いいで)連峰白く並みゐる ・二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく/たとえば、このような歌において作者は避難生活のただ中であっても惨状を並べたり不遇を悲嘆したりするものではなく、一貫して家族や周囲の自然へ丁寧で温かな眼差しを注いでいる。」
「・ひむがしに望月懸かり原発の排気塔六基白く浮き立つ ・子の形見となりたる紺のジャンパーの色褪せたるを着つつ七年 ・求めたる新しき鮭の腹裂きて搾り出したり赤き卵塊/(歌集の)後半は震災前の歌を収める。大熊町の風土に生きる親と子、そして孫など家族との関わりから作者自身の生が活写される。原発は風景の一部であり、そこに家族の温かな暮らしがあった。だが、あの日から彼らは故郷を喪失したままだ。原発禍は終わっていない。」
高木さんが書かれていることに、筆者も共感する。吉田さんの作品の率直・簡明でありながら、確かな写実に支えられ、深い思いがこもった表現の力は、読みながら筆者を粛然とさせるものがあった。生を写す、そして深く訴える力を持つ作品群は読む者に原発事故が人々の生活、心情に何をもたらしたか、もたらかすを、改めて考えさせる。原発をめぐる政治、社会の現実を深く思わないではいられない。短歌作品との出会いが、人をつきうごかすことがあるに違いない。
吉田さんの作品を読んでいく。人の生活、人々のつながり、ある詠う人の現実、そしていま私たちを取りまいている政治や経済、社会の具体を思いながら読みたい。
◇避難所◇
自衛隊のトラックに乗りて板の椅子に飛び撥ねながら避難所に行く
原発のニュースを見つつ避難所を去る日はさらに遠のくを思ふ
放射能はわが家の庭に満ちゐむか姿をくらます悪魔の如く
わが町はゴーストタウンか原発の事故に無人となりて幾日
帰りたくも家なき人あり家ありて帰れぬ人あり避難民われら
空暗く雪舞ふ避難所寒しさむし原発の復旧いまだ進まず
避難所の窓よりのぞむ飯豊(いいで)連峰白く並みゐる
避難所に真夜を醒むれば行く末を思ひ思ひて眼の冴えにけり
原発の事故に追はれて来し街にしろがね色の雨の降りしく
置きて来し犬をも猫をもあますなく放射能はわが家を押しつつみゐむ
のがれ来し会津は春の野となりて原発のわがさとになき活気あり
◇余震◇
原発の町には永久に帰れぬといふ言葉は刺さる難民われらに
原発の地に置き去りにせし車廃車の手続き済ませぬけふは
◇望郷◇
わが町の天地に満つる放射能を固めて捨つる手だてはなきか
のがれ来し会津の大江戸温泉に原発の収束を待つふたつきを
原発の間近にありてわが家は見捨てられたり狐狸の住むらむ
ぬすびとは暗き眼をして被災地の無人の家をめぐりてゐむか
◇帰還困難区域◇
原発に追はれ解体せし母校甲子園にも三度ゆきしに
一時帰宅に帰ればわが家の軒下に飼犬は死せり繋がれしまま
与野党の討論番組始まれば即座に切りぬ避難も六月(むつき)
ふるさとを帰還困難区域などと軽く言ひたり原発相は
◇盆踊り◇
二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく
避難地での運転免許の更新に住所は変へぬと思はず力む
気がつけば土地のラーメン好みをり避難生活七月(ななつき)過ぎて
◇一時帰宅◇
一時帰宅に完全防護服まとひつつ共なる妻の表情固し
放射能の闇立ち籠むる野の川にニクロム線のごとき蛍火
来るたびに荒廃を見ぬ一時帰宅の庭には牛の足跡のあり
避難地にラジオ深夜便聞きてをり真夜醒むること近頃多く
避難地のスーパーにかつてのわが生徒とゆくりなく会ひ手を握り合ふ
避難地の祭りに会ひしかつての生徒仕事は除染と言葉少なに
◇二百歳夫妻◇
書を読むもテレビを見るも胸裡に残る鬱つあれから十月(とつき)
百歳の母も会津に逃れ来て淡々とひとつ歳を重ぬる
避難生活を記事にせむとぞ若き記者の意気に屈せり四時間話す
夥しき原発の本売られをりああ何事も商ひになる
原発のふるさといまだ捨て切れずここ避難地に住まひ探すも
二百歳夫婦と放映されし父母己が来し方を淡々と語る
◇春のコート◇
古稀迎へ記念にヨガを始めたり原発に農を追はれれし妻は
いく重にも春の待たるる雪国に春のコート買ふ避難者われは
わが家の農思ひ出づ避難地に代掻き田植の季巡りきて
放射能の満ちゐむわが家に向はむと一時帰宅のバスに乗りたり
避難地にはや一年(ひととせ)を迎へたりわれらが行くすゑ見えざるままに
原発に追はれて小さき住宅に押し込められぬ怒れよ怒れ
次回も吉田信雄歌集『故郷喪失』の作品を読む。 (つづく)
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