2014年08月08日10時28分掲載
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検証・メディア
誠意乏しい首相の言葉 藤田博司
安倍晋三首相は弁舌なめらかである(さわやかではない)。国会演説では原稿に目を落としながら、記者会見ではプロンプター(演説草稿表示装置)にさりげなく目を配りながら、よどみなく話す。しかし聞く側の偏見のせいかもしれないが、その言葉に誠意が感じられない。上滑りの感じを拭えない。さわやかでない理由もそこにある。
われわれはそうした首相の言葉にテレビや新聞を通じて接するだけである。ニュースは建前やきれいごとを並べ立てた部分だけを伝えて終わりがちだ。結果として読者、視聴者は、首相の言葉の上澄みだけを見聞きさせられているに過ぎない。首相の本音を読み取る手がかりもない。
メディアの役割の一つは、政治と市民の間を仲立ちしてつなぐことにある。ふだん市民が直接見聞きすることの出来ない政治家の言葉や振る舞いを、それぞれの取材経験を踏まえて解釈しわかりやすく提示することだ。政治家の言葉にうそはないか、隠された意図はないか、検証してできる限りの真実を伝えることが期待されている。
▽弁舌はなめらかだが
安倍首相のなめらかな弁舌に誠意がないと感じるのには理由がある。一つは、首相の口から出る言葉と実際の行動の間に大きな隔たりがあること。もう一つは、首相が対話や討論の相手の言葉にほとんど耳を貸さず、一方的に自分の主張だけを言い募る傾きが非常に強いことだ。
まず、言行不一致、ないしは過去の発言との矛盾について。集団的自衛権行使容認に関して閣議決定をした7月1日の記者会見での首相の発言から。「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません」。「何ら変わるところがない」のであれば、なぜこの問題がこれほど大きな問題になるのか。従来の歴代政府の解釈を変更するからこそ論議を呼んでいるのではないか。
「海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません」「自衛隊が湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません」「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるようなこともあり得ない」。「全く変わらない」「決してない」「あり得ない」と断言できるなら、そもそもこれまでの議論は何のためだったのか。他の部分でも「日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」「日本が再び戦争する国になるというようなことは断じてあり得ない」と言い切っている。
首相が言葉の勢いで強調しすぎた、というのであれば不適切な誇張だし、もし本気でそれを言ったとすれば、うそに近い。
一方的な主張に終始する傾きについて。同じ1日の記者会見で、AP通信の記者が出した質問は、「閣議決定は日本の国防政策の転換点と思われる。首相は日本を将来どのような国にするのか、ビジョンを聞きたい。今回の決定で国民はどのような覚悟をもつべきか」との趣旨だった。これに対する首相の答えは「この決定で我が国の平和と安全を一層確かなものにしていくことができる」「日本の平和国家としての歩みをさらに力強いものにしていく」などという抽象的な言葉に終始した。質問にはまったく何も答えなかった。
▽はぐらかしと持論の主張
答えたくない質問をはぐらかす、ということはだれにもありがちなことだが、首相の場合は単なるはぐらかしというより、質問や相手の議論を無視するのに近い。相手の意図にはお構いなく、自分の考えを述べ立ててお茶を濁すという対応だ。
国会の質疑でも首相は同じ対応をよく見せる。野党議員から厳しい追及を受けても、平然と論点をすり替えたり無視したりする。そのうえで自分の持論を一方的に言い募る。そうした場合メディアは、首相の不適切な対応を指摘することなく、言葉なめらかに展開した一方的な主張をそのまま伝えるだけで終わる。
首相が意図的にうそをついているとは思いたくない。相手の議論をはぐらかしたり、無視したりするのも、苦し紛れの逃げかもしれない。しかし首相の発言、言葉にそれを疑わせる事例が相次ぐと、ちょっと立ち止まって考えたくなる。一国の首相の言葉であるだけに、ご近所の議論好きの御仁と同列には扱えない。
集団的自衛権について指摘されているさまざまな問題点について、「全く」「決して」「断じて」「あり得ない」と首相が本音で信じているとすれば、政治家としてあまりにナイーブだし、言葉の選び方も軽率に過ぎる。その弁えが出来ていない首相は、よほど謙虚さに欠けるか、けた外れに楽天的な考えの持ち主に違いない。第2次安倍政権以降、高い支持率を維持してきたことへの自信がそうさせるのかもしれない。とすればそれは、不幸な思い上がりというべきだろう。
首相の公的な場での発言は、その内容から表現まで事前に細かく計算され、準備されている。官邸の補佐官たちが草稿を練り、想定問答まで作成して万全を期す。一方的に話せる冒頭発言を長くし、質疑応答の時間を短くして失言や食言の機会を最小限にとどめようとする。これらは政権側の主張を最大限効果的に国民に伝えるための広報戦略の一部であり、首相の言葉もその重要な構成要素と位置付けられる。
第2次安倍政権は、歴代政権のなかでも飛び抜けて巧妙な広報戦略を展開していることが広く知られている。首相は主だったメディアのトップや政治担当記者らとひんぱんに会食を重ね、政権に好意的な新聞やテレビを選んで単独インタビューに応じている。ソーシャル・メディアを活用して「安倍ファン」を増やす。外国を頻繁に訪問し、外国首脳との会談をメディアに大きく伝えさせるのも、広報戦略の一環だ。
▽協力的なメディアの報道
いまメディアはおおむね、こうした安倍政権の広報戦略に協力的だ。首相の発言、政府の発表などはそのまま報道される。内容の真偽や背景の事情などによほど疑問でもない限り、とりあえず額面通りの事実がニュースとして報道される。
首相の言葉や政府の発表内容に常に十分な信頼を置けるのならそれでもいい。しかしもしそこに多少とも疑わしい問題点があるようなら当然、メディアは首相の発言や政府の発表を検証し、疑問や矛盾をただす必要がある。そのうえでより真実に近い情報を読者、視聴者に届けるのが、メディアとしての役割であり責任であるはずだ。
安倍政権の下でのメディアの報道はそうした責任を果たしているだろうか。集団的自衛権の行使容認をめぐる首相の主張には、すでに指摘したように明らかに疑問や矛盾がある。強弁や詭弁に近いものもある。記者会見での質問や国会討論での相手の指摘などを無視する態度も目に余る(毎日新聞はそれを「安倍語」と呼んでいる=7月11日付夕刊)。メディアには、そうした疑問や矛盾をしっかり指摘し、首相や政権の真意がどこにあるのか、うそやごまかしがないかをはっきりさせてもらいたいものだ。
最近のメディアの報道、とりわけテレビニュースは、政治家や官僚の表向きの発言をそのまま流すだけで終わっていることが多い。発言の真意をただし、建前の裏に踏み込んで本音に迫る、という報道の姿勢があまり見て取れない。こうした報道では、首相や政権側の思惑にメディアが乗せられて、無意識のうちに政権の伴走者、広報係になってしまう危険がある。
いま政治報道の現場でそうした危険が意識されているのかどうか、わからない。しかし昨年の特定秘密保護法成立にいたるまでの報道でも目立ったことだが、政治が報道をはるかに上回る速度で展開し、報道がそれに追いつけず右往左往しているように見える。メディアがこのまま市民から期待された役割、責任を果たせなければ、ジャーナリズムの将来も、日本の将来も明るくはない。報道現場にはいまあらためて、ニュース報道における検証の重要さを再認識してほしいのである。
*『メディア展望』2014年8月号からの転載記事
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