2014年08月13日14時02分掲載  無料記事
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アジア

2016年夏の参院選と冬の衆院選

  昨年暮れに起きた特定秘密保護法案への反対運動、そして安倍政権が推したNHK経営委員や会長への批判。それらに対する危機感が奇妙にも、1月の東京都知事選での野党候補の敗北を境に、無風状態に陥っているかの印象だ。しかし、その間にも、安倍政権は憲法第九条の解釈改憲や沖縄の辺野古への米軍基地移設、そのほか、着々と軍国路線を敷き詰めている。さらにこうしている今も特定秘密保護法の施行に向けて準備が進んでいるはずだ。 
 
  この無風状態は諦めなのかもしれない。2016年まで総選挙はないのだが、たとえ2016年が来ても野党には勝てない、という諦観。これこそが1月の東京都知事選で安倍政権が推した舛添候補の圧勝のインパクトだったのだ。 
 
  もう一つあるのは安倍政権の行った解釈改憲が日本人の精神に与えたダメージである。戦後70年近く固守してきた法的な原点をあっけなく、解釈で変えられてしまった心の傷である。もし、しかるべき手続きを踏んで安倍政権が国民投票まで経て改憲を行ったのであったなら、たとえその結果が何であれ、このような空虚な気持ちにはならなかっただろう。護憲勢力に敗北感こそあれ、堂々と破れたのなら、それも日本人の意志だとまだ諦めもついたろうからだ。 
 
  こうした時に読み返してみたい古典がある。シェイクスピアの「リチャード3世」だ。シェイクスピアの数々のドラマの中で政治を、熾烈な権力闘争を描き切った力作である。権謀術数にたけた政治家を前に、反対派が互いに結束できないのはなぜか。野党は何をすべきなのか。本書に答えは書かれていない。にも関わらず、刺激を受けることは可能だ。情熱、知力、経験、粘り、体力、すべてにおいて今の野党は自民党に劣っている。この諦めムードを変えることができるのは誰だろう。もはや野党の政治家だけの問題ではない。日本の政治の危機が続いているのであり、これに慣れることは政治の終焉を意味する。 
 
  もう一つ付け加えるなら、二大政党制のためにデザインされた現在の選挙制度で実質二大政党制が崩壊しているのなら、選挙の前に制度改革がなされるべきではないのか。外国なら選挙ボイコット運動くらい起きてもおかしくなかろう。 


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