2014年08月16日13時11分掲載
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文化
【核を詠う】(161) 本田信道『歌ノート 筑紫から』の原子力詠を読む(1) 「壊れたる原発そこに在りつづく 爆発完了継続被曝進行形」 山崎芳彦
今回から福岡県に在住の歌人、本田信道氏の『歌ノート 筑紫から』(いりの舎刊、平成26年6月14日)から原子力詠を読ませていただく。約40頁の冊子には、作者が平成23年3月から26年3月の間に作歌した短歌253首と長歌8首が収録されていて、その多くが東日本大震災、福島第一原発事故をテーマにした作品である。九州・福岡の地に在ってこれ程の作品を東日本大震災・福島原発事故にかかわって詠われた歌人の存在を知って、そしてその作品群を読んで筆者は感動と作者への敬意の念を、深い共感の思いとともに覚えている。お願いをして、この連載の中で、筆者が原発・原子力詠として読んだ作品に限らざるを得ないが、記録し、少しでも多くの人に伝えさせていただく。
作者は短歌結社「歌と観照」に所属し、作品を結社誌などに発表しながら、ご自身の「歌ノート 筑紫から」(わたしの短歌ノート)をまとめられていると伝え聞く。この一冊はその第8巻という。作品を読めば明らかだが、作者の原発事故に被災した福島の人々に寄せる思いは、抽象的にではなく作者の思いがこもって深い。
本田さんの作品を読み、またこれまでに読んできた福島原発事故にかかわって詠われた多くの短歌作品を思いながら、筆者は福島原発事故によって引き起こされ、今も続いている様々な被災の状況について、さらには各地の再稼働原発が今後あたかも福島の原発事故がなかったとは言わないまでも、政府・電力企業とその同調勢力、利害共同勢力によって推進されていこうとしている現情勢について考えないではいられない。
すでに、原発事故によって排出される核放射線を過度に恐れる必要はないなどという科学者、さまざまな分野の学者、研究者を大動員しての「放射線リスクコミュニケーション」の体制が構築され、さまざまな手法によって展開されている。「福島の復興、住民の帰還を促進するためには、1ミリシーベルトを目指すというのは非現実的で、もっと高い基準を考えることが必要だ」、「福島原発事故による放射能被曝によって健康被害がないことは各種の調査結果で明らかだし、今後についても心配するようなことはあり得ない」などの言説が、意図的に原発事故による放射線被曝被害を覆い隠す「科学的、実証的な研究と調査」のデータや理論を振りまきながら、公的な文書や、研究者の著書、各種の住民学習会、説明会で広められつつある。政府・原子力関連機関、団体・「専門家・有識者」などが、政府、電力企業をはじめ関係企業の資金と組織を動員して展開している戦略的な「放射線安全神話」、「新規制基準合格の原発は安全」、「経済や社会的な電力需要をまかなうには原発は不可欠」、「原発立地地域にとって原発がなければ地方自治体財政、地域住民の雇用や地域経済は破綻する」などの宣伝作業、ついには「結局は金目でしょ。」の暴言に象徴されるような、原発事故被災者の苦難、苦悩、現実に直面している困難を無視する動きがすすんでいる。今年2月に政府関係省庁が共同して発表した「帰還に向けた放射線リスクコミュニケーションに関する施策パッケージ」、「放射線リスクに関する基礎的情報」などに基づいての、さまざまに工夫を凝らした作業の進行は軽視できない。
そこには、福島の原発事故によってひとびとの生活の実態がどうなっているのか、人々の過去から現在、そして将来にわたって生きることの真実を受け止め、大切に思い、ともに何が出来るのか、今何が大切なのかということからかけ離れて流される情報やデータ、「専門家」の言説、政府の対策方針、行政的な措置が巧妙な方法、表現で示されている。
人間の生活の実際、日々の営み、そこから湧き出る心情、ひとびとのつながり、そして求める希望を支えるものではありえない。隠ぺいや、情報操作、反人間的な行為が、これほど蔓延している政治、経済、社会状況の先に何がなされようとしているのか、空恐ろしいと言っていては済まされないところに生きているとき、短歌文学は何が出来るのか、すべきなのか、しっかりと考えなければならない。福島原発の事故が起こるかなり前から、福島の歌人や詩人たちの中に原発事故を危惧し、実際に起きている様々な予兆をとらえ、警告する作品を発表していた人々がいたことを改めて思わなければならないと思う。
福島から遠く福岡の地で、わがこととして福島の現実を思い、そのような事態を招きながら許しがたい態度をとっている者たちへの厳しい批判的視点をもって短歌表現している本田信道さんの作品を筆者は読んでいる。共感し、詠う者の一人として、学んでいる。作品を記していく。
なお、作品の中に、長歌があるがこの連載の中で記録するのは初めてである。五・七を三回以上繰り返し最後に七音を加えて一首を完成する作品の形式である。
◇第一章(抄)
(長歌)
ヒトなるが 火をもて生きる 知恵を得て 豊かなりしと いふことも 或るは驕りの 一つかと 乏しきものを かきよせて 惟(おも)ひみるなり 原発の 制御原理に 瑕疵なくば 未熟さや 制御思想の 拙さや うつつを夢と 思ふまじ Fail-Safeの 想定を 避けたる作為か 不作為か つねに恩恵 リスクに揺らぐ
(短歌、冒頭から5首は長歌の反歌)
ただちには影響あらぬ答弁は歯切れよからぬ詭弁にも劣る
いまはしき大本営の仕儀に似てうつつなること救はれ難し
福島をフクシマと書くやるせなさ悲憤憤怒のやるせなき儘
フクシマの名状し難き混沌に君は決意の「日常」を為す
両の手に生ける魂にぎりしめすすむ姿や 天地泣けり
(長歌)
開け放ち あしたのかぜの 清しとて 吸ふことすらも 憚ると 君の折りふし 歌に読み 見えざる被曝に 歯噛みして 思ひ祈れる この時も なゐの惨禍 手付かずや またもの余震 をののくに 山野の萌えも
うつうつと 人智をたのみ 堅忍の 決意をしぼり 詠まずには をれぬ衝動 吐きいだす 無念凝りたる フクシマの歌
(反歌5首)
深く吐く息にますます深くなる真闇なりとふ 君のフクシマ
君が住む町の数値の二桁の放射線量 日々に重たし
安全の語れぬ大地 口惜しさに若者多く去れるフクシマ
二分といふ時の密度に測らるる君やるせなき内部被曝や
適切に公表されぬ線量に不安煽られ奔る風評
眼に見えぬものの行方の見えざれば励ますことば誰ぞ言ひ得る
如何ともしがたき深み如何ともしがたく生きるにちにち思ふ
牛舎より出でたる幾頭生きなんと汚染の草を食みては走る
みちのくに根を張りきたる生活を根こそぎにすなよ見えざる汚染
なゐに揺れ人心に揺れふくしまの桃の「ゆふぞら」想ふに赤し
新たなる位牌祀らす盂蘭盆会 放射線量下がらぬ暑さに
片仮名に書けばいらだつ哀しみよさればフクシマ思ひつづけむ
おほはれて見えざることもことさらに崩壊原発建屋居坐る
みちのくの瓦礫受け入れ焼却に反対するかや避難者君が(北九州訴訟)
塵芥の焼却こばむこゑの底なにをまもりて誰を見棄つや
ふくしまに生けるうたあり決意あり何ぞ芯なきわれのこしをれ
◇第二章(抄 1)◇
なゐ、津波、メルトダウンにシーベルト始末に負へぬこれのひととせ
ゆゆしかるフクシマ徐々にあばかれて滾つ一首は定型を超ゆ
放射線量を書きとどめたる月歴 君の行手のさらなる歳月
ことひとつ為さむとしては派生する安全対策おもひあぐむも
みちのくのあの方あのひと御歌を誌上に読みつ けふも哀しや
なゐならず津波にあらず列島の背骨むしばむ病根、汚染
放射線ほたるのひかりにたとへられ何にぞわれは騙されゐたる
調査値の基準満たせば再稼働 原発容器の劣化は言はで
放射線量の下がらぬにちにち福島に非日常のつづくを語れ
大方は未然形にして置きさらる 仮設・仮置き・冷温状態
壊れたる原発そこに在りつづく 爆発完了継続被曝進行形
不作為を想定外とふこれぞこそ故意といふべき作為なるべき
桃の樹の一樹一枝をことごとく高圧洗浄除染したると
除染済み表示リボンに書かれたる12・1・1の作業日
福島の桃が届きぬ 果樹園のあるじの声に似たる大玉
未検出とふ断りなんぞ読まずとも一途なりける心根信ず
福島の桃の「あかつき」届きたり その味きはむ八月初旬
寒(かん)さなか樹皮の除染に汗を搔き一途に福島、育てし桃ぞ
核種検査、ヨウ素セシウム未検出、あしき風評を払ひて仕舞へ
北へゆく東北道のデコボコよ震災痕跡車体にひびく
浜街道ゆかばかなしき町あらむ原発いまだ冷温状態
とほまきに事故原発を避けてゆくツアーバスをし非難もならず
ぶよぶよの大臣さまはふはふはの国政ごつこぞ、十と十月を
無為無策いやいやきつと作為にて、復興税のあやしき使途も
フクシマの嘆きのあまた国政のとんと進まぬこれの不可思議
ふくしまにふくしまの空を、沖縄に沖縄の空を、ひとつこころに
脱と言ひ卒とかへすも原発の廃炉管理の具体を聞かず
次回も本田信道さんの短歌作品を読む。 (つづく)
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