2014年09月26日15時17分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(164) 小島恒久歌集『晩禱』の原子力詠を読む(1) 「己れのみか子らのうけつぐ遺伝子にも怯えて生くる被爆者われらか」 山崎芳彦

 今回から福岡市在住の小島恒久氏の歌集『晩禱(ばんとう)』(現代短歌社、2014年1月20日刊)から原子力詠を読ませていただく。著者の小島氏は、九州大学名誉教授であり、経済学者、社会運動家としての活躍によって著名だが、アララギ派の歌人として、自らの長崎での原爆被爆体験をはじめ、鋭い視点から社会・歴史・国際問題・平和などにかかわる短歌作品を詠みつづけている。歌集『晩禱』は、2005年に刊行した第一歌集『原子野』(短歌新聞社刊)に続く第二歌集であるが、筆者が8月の毎日新聞で同歌集を知った時には、出版社にも在庫がなく、未知の小島さんに直接電話をし「ぜひ読ませていただきたい」とお願いをしたところ、快諾いただき、励ましの言葉までいただいた。さっそくご恵送いただいて、作品を読みながら幅広く多彩なテーマを短歌表現された、88歳の現在に至る生き方を映している603首に感銘を受けている。 
 
 著者は1926年佐賀県生まれ、1945年に長崎経済専門学校(現長崎大学経済学部)在学中に原爆に被曝、多くの友人を喪うとともに、自らも原爆症に苦しんだ。歌集『晩禱』の「あとがき」に、「この十九歳の時の被爆体験は強烈であり、その後の私の生き方の原点をなした。」と記している。九州大学に在職中に、向坂逸郎氏に師事して、研究・社会活動に力を注ぎ、三井三池炭鉱の争議に関わり労働者教育、労働者の立場に立った活動に精力的に取り組んだ小島さんの短歌作品は、その真摯な生き方の中での短歌文学の実りが生彩をみせていると思いながら、筆者は読んでいる。 
 
 歌集の「あとがき」から著者が『晩禱』と題する一冊を編んだ思いの一端を抽いておきたい。前記の被爆体験についての述懐に続けて、 
「原爆は、その時の衝撃が大きいだけでなく、その後も長く後遺症を残し、社会的にも差別などの問題をともなった。現に私のばあいも、半世紀を経て癌を発症し、原爆症と認定された。だから、こうしたその後の問題を含めて、本歌集でも原爆を詠んだ。次第に被爆者が減ってきている今日、生き残ったものの義務として、原爆について詠み継いでいくべきだと思う。」 
と記すとともに、 
 「被爆体験を持つ私にとって、近年の大きなショックは、大震災にともなう福島の原発事故であった。しかも原爆のばあいは、戦時下のアメリカによる爆撃という外的な要因であったのに対し、原発事故のばあいは、平時における国内の人災という内発的なものとしておこり、事態はなお収束できないままである。そして原発のばあいも、ヒバクシャを生み、放射能による深刻で長い被害を与えているし、差別、風評などの社会問題を惹起している。だから、この原発事故についても、私は被爆者という視点から歌を詠み、本書に収録した。」ことを述べてもいる。 
 
 「若い日の被爆体験は、私に反戦・平和の思いを強くうえつけた。したがって、そうした思いをもって、戦争にゆかりの深い地を折にふれて訪ねた。・・・たとえば沖縄がそうである。・・・行くたびに戦争の悲惨さを強く訴えてくるところであり、基地の多さという点でも胸の痛むところである。」 
 そして、特攻基地知覧、特攻「回天」基地大津島、戦艦「大和」の基地呉、毒ガスの島・大久野島を訪ねての作品、「また現代社会が生んだ罪業というべき公害問題に関しても、その典型である水俣病の水俣を再三訪ねて、歌を詠んだ」ことも記す。さらに、高野長英、渡辺崋山、秩父困民党、管野須賀子、徳富蘆花など「その思想は区々だが、それぞれの志をもち、信念をもって生きた人びと」「その多くは志を遂げえず、悲劇的な最後に終ったが、その生き方に惹かれて」、先人の跡を訪ねた歌があることも述べている。また、正岡子規、長塚節、伊藤佐千夫など短歌関係の先人のゆかりの地を訪ねての作品もあることを記す。「国内外の歴史的、社会的な現象にも触れている」と言い、 
 「様々なテーマを通じて、私は現に生きつつある『今』を歌い、現代の種々相に迫ってみたいと考えた。そしてそこに生きる私の思いを伝えたいと思った。・・・短歌という形式をもってする、ひとりの人間の生きた軌跡といってよい。」と歌集に込めた思いを記す。 
「歌集名は『晩禱』とした。みずからも晩年にある私の、先だった人びとに捧げるささやかなレクイエム(鎮魂歌)という思いが本歌集にはあるからである。また、これからの世があやまりのないものであってほしいという禱りも含意されている。」と、その思いについて書かれた重さを、筆者は電話での小島さんの声を思い浮かべながら、感じている。 
 
 「あとがき」から長く引用させていただいたのは、これからこの稿に抄出する作品を原子力詠に限らざるを得ないからである。今回に限らないが、これまで読ませていただいた歌集の場合にも、やむを得ないこととはいえ作者の歌集にかけた思いを考えると、抄出は申し訳ないし、辛いのである。 
 しかし、この連載の原爆・原発、原子力にかかわっての短歌作品を読み、記録するという意図のゆえに、ご寛容をいただき小島恒久歌集『晩禱』の作品を読んでいく。 
 
 ◇かの夏◇ 
原爆と飢ゑの青春こもごも語り傘寿のわれらが卓袱(しつぽく)つつく 
 
被爆死の友らは永久に若くして傘寿の宴の壇上に笑む 
 
征きて永らへ残りて被爆死あざなへる定めを生きしわれらの青春 
 
山に遁れ街々なめて燃ゆる火を目守りし十九のかの夜忘れず 
 
被爆の死屍日夜焼きたる校庭に戦を知らぬ子らが球蹴る 
 
水やれば死ぬと乞ふ水与へずに逝かせし友が今も吾を責む 
 
被爆の傷癒えをりと故郷(くに)より便りくれ十日後に逝きし南里好彦 
 
被爆死の友らは語らず生き残りしわれは詠みつがむかの夏の惨を 
 
 ◇浦 上◇ 
浦上の家並見さくる耶蘇の墓地「原爆死」と彫る碑銘の多し 
 
「原爆死」と名は刻めども浦上の墓地には骨なきみ墓が多し 
 
被爆死の子を埋め石に釘もて彫りし「ヨコカハノエ」の字かすかに残る 
 
千五百の児童被爆し生き残りしは四十七と彫る城山校の碑 
 
「人、われをお化けと呼ぶ」と被爆の惨を詠みて貧苦に逝きし須磨子よ 
                        (福田須磨子詩碑) 
 
水を求めかの日被爆者折り重なりし川を万灯連なり流る 
 
なまぐさく人燃すにほひ立つ焼野に友を探して暮れしかの日よ 
 
屍を積みし大八車の行くにも会ひき友を探してさまよふ焼野に 
 
赤チン塗り傷にわく蛆箸もて取るほかにすべなき救護所なりき 
 
電車焼け馬斃れゐしこの駅前にあてなく待ちき救援列車を 
 
 ◇救援列車◇ 
弊衣垂れ救援列車にて還り来し吾を抱き母は泣きやまざりき 
 
長崎より遁れ帰りて原爆症に臥しつつ聞きし玉音放送 
 
長崎にゐし者なべて死すと聞き怯えて臥ししかの夏忘れず 
 
どくだみの花咲けば思ふ被爆後の脱毛に効くと摘み来し母を 
 
わが被爆のせゐかとひそかに怖れにき初子を妻が流産せしとき 
 
妻もわれも口には出さね被爆二世の子の身ひそかに恐れ暮らしぬ 
 
己れのみか子らのうけつぐ遺伝子にも怯えて生くる被爆者われらか 
 
 ◇被爆マリア◇ 
被爆マリアの像先頭に信徒千余のたいまつが行く原爆忌の夜を 
 
この波止にかの日浮きゐし死屍思ひ万灯流しの連なる灯を見る 
 
うからの骨バケツに拾ふ母子も見き友を探してさまよふ焼野に 
 
被爆より一か月経てなほ遺骸燃す炎(ひ)立ちゐき焼野のをちこち 
 
われと共に被爆し左眼無くしし友が原爆忌に読む平和の誓ひを 
 
核の傘に守られつつ核の廃絶言ふジレンマ深き総理の式辞 
 
廃絶はおろか核もつ国増えて闇の市場もひろがる密かに 
 
ゴーギャンの楽園タヒチも核実験の場となり被爆者がゐると言ふああ 
 
闇市場に流れし核がテロの手に渡る日思へば世紀は昏し 
 
原爆こそ史上最悪のテロと知れテロ討つ正義を説く大統領よ 
 
新型核の開発己れは急ぎつつ核保有の禁他には強ひゆく 
 
核廃絶はまず隗(くわい)よりと核大国に迫る勇あれ被爆国総理よ 
 
 ◇きのこ雲◇ 
二発目は不要なりきと老兵言ふその二発目に友らは死にき 
 
長崎に原爆投じしボクス・カー機首に憎くもきのこ雲描く 
 
Fatman(でぶつちよ)と戯れ名も憎きこの原爆がかの日吾を灼き友らを灼きしか 
 
燃料乏しく荷を捨つるごと長崎に原爆投じきとああ老兵が言ふ 
 
天に立つ原子雲などわれらは見ずただその下の阿鼻叫喚を知る 
 
防火用水に子を抱き絶えゐるあはれも見き友を探してさまよふ焼野に 
 
焼け残る腕を銜(くは)ふる犬も見き死屍燃す焼野を友探しゆき 
 
空に湧く雲におびえて消してと言ひし被爆の子も逝けりこの救護所に 
 
長崎に原爆投じし老兵言ふ「戦は勝ちし者にも空し」と 
 
 次回も歌集『晩禱』の作品を読み続ける。       (つづく) 


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