2014年10月11日11時31分掲載
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文化
【核を詠う】(165) 小島恒久歌集『晩禱』の原子力詠を読む(2) 「かの夏浴びし放射能がわが身内にひそみ癌となり出づ六十年経て」 山崎芳彦
今回も小島恒久歌集『晩祷(ばんとう)』(文中で歌集名の「とう」の表記を「祷」とさせていただくこと、お詫びしてお許しをお願いします。前回の文中で「文字化け」によりご迷惑をおかけしました。筆者)の原子力詠を読むが、同歌集に収録されている作品から、筆者としてどうしても抄出しておきたい作品に「水俣」、「原田正純氏逝く」と題する一連がある。言うまでもなく、この国の「公害」(大企業と国家権力、さらにその御用学者らによる犯罪というべきだろう)の歴史に深く刻印され、被害者とその家族を言葉に言い表しがたい様々な苦難と悲惨に陥れ、いまなお苦しめている水俣病にかかわって詠われた作品である。筆者が水俣病について関心を深めたのは、石牟礼道子さんの『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年刊)によってで、激しい衝撃を受けて、当時関係していたある雑誌に短い書評を書いたことを記憶している。
その後、石牟礼さんの著書をはじめ水俣病に関する書物を読んだ。しかし、厚生省(当時)前の座り込みに少し参加したことがあるのみで、長く続くたたかい、運動に直接かかわることはなかった。いま、福島原発事故にかかわる短歌作品を読み、原発問題について少しは勉強し、できる行動や活動に参加する中で、水俣問題について改めて思うこともある。小島さんの短歌作品を読みながら、この国に根深い反人間的権力構造の病根について考えている。小島さんの短歌作品に教えられることが多い。
原子力詠を読む本稿なのだが、今回は、その前に小島さんの「水俣」一連、「原田正純氏逝く」一連を記させていただくことをお許し願いたい。
◇水 俣◇
遺影抱く漁民とチッソがこの門扉はさみて対峙せし日も遠し
「怨」と書く幟旗立て漁民らがチッソの幹部に迫りしかの日々
毒吐きしチッソの排水口に向き死者を弔ふ野仏が立つ
廃液説唱へし博士のデータ秘しチッソは実験すらも禁じき
「奇病」の因と知りつつチッソは廃液流し国はまたそれを黙認し来ぬ
水銀説否むチッソの意をうけて曲論説きし「権威」らありき
幇間のごとき学者がつねにをり資本の利に添ひ説をなしゆく
仮病とも伝染病とも謗られて患者に由なき差別つづきぬ
些細なる見舞金にて爾後の請求漁民に封じしチッソあざとし
悶え苦しみモルタルの壁引っ掻きし患者の爪痕まざまざと見る
胎盤は毒を通さずとの通説破り胎児も侵しぬチッソの毒は
胎内より患者となりて逝きし子の見開く眼見つつ切なし
胎児性患者しのぶもはや五十歳(ごじふ)なづむ言葉にチッソの非を問ふ
最高益あげしチッソが老いし患者の賠償訴訟を時効と拒む
慰霊祭も市と患者とで別にもつ水俣に残る亀裂は深く
慰霊碑への刻名拒む遺族多し後の代までの差別を憂ひて
水俣病に逝きし患者の位牌と並べ「猫族霊位」の位牌もまつる
老いて消ゆるを待つがに認定引きのばす水俣病も原爆症も
企業が隠し国が擁護する公害の構図は明治も昭和も変はらず
水俣病確認されしより五十年訪い来し首相は一人だになし
棄民の上に産業栄え国富みぬ足尾然りき水俣もまた
◇原田正純氏逝く◇
若く診し初志を貫き水俣の患者に一生寄り添ひにけり
水俣病は病気にあらず殺人なりとチッソの罪を問ひやまざりき
胎盤は毒を通さずとの定説破り胎児性患者初めて明かしぬ
傍観者的物言ひ嫌ひ現場にあり患者に添ふを信条としき
カルテの裏にあるものを診よと若き医に世の不条理を諭しやまずき
以上、小島さんの水俣にかかわる短歌作品を読んできたが、氏は九州大学を定年になった1989年から8年間、熊本商科大学(のち熊本学園大学と改名)で経済学を講じた経歴を持つ。経済学者であるとともに反戦・平和や社会運動の実践者でもある小島さんは現代社会の罪業である公害問題の典型である水俣病について、水俣の地を再三訪ね、その体験を歌に詠んだのであった。小島さんの歌集には、そのようにして自らの信念と実践を短歌表現した、魅力ある作品が盛られている。歌は人であるし、生き方を映すものと改めて痛感している。
しかし、いまは原子力にかかわる作品を読んでいく。
◇機長ティベッツ逝く◇
二十万人一瞬に灼きしかの機長は投下をつひに詫ぶるなく逝けり
アーリントンへの埋葬拒み遺灰は海へと遺言し逝けり機長ティベッツは
エノラ・ゲイと機に母の名をつけし機長の無恥を許さず被爆者われは
国体の護持に固執し宣言受諾拒みゐし間にうけし原爆
降伏必至のあの時期に原爆投じしは人体実験にありしと言ふああ
被爆者われらをモルモットのごと検査はすれど治療はせざりしABCC
(原爆傷害調査委員会)
◇草木も生えず◇
原爆症癒え戻り来し原子野に芽吹くものあり涙あふれき
七十五年草木も生えずと言はれし土に蟻這ふを見しよろこび忘れず
警察に残るかの夏の検屍簿見れば被爆者をああ「変死者」と書く
原爆症はうつると忌まれこの踏切に命を絶ちし少女ありにき
「ラッキー・ガール」と「ライフ」誌に読むこの被爆少女も十五年後逝けり白血病なりき
子の結婚に障ると被爆を秘して生き五十年後を癌病み逝けり
被爆者の娘と知れて破談となるかかる差別もなほ有るを知れ
ヒロシマはドームを残すに天主堂の廃墟を毀ちしナガサキ悔しむ
わが名載る日も間近きか祈念館の地下にしづもるこの死没者名簿
われら被爆者やがて絶ゆべしこの身ある限り詠まむ原爆の惨
戦知らぬ議員増えゆき改憲のみかああ核保有すら今や言ひ出づ
◇残留放射能◇
友探し焼野さすらひ暮れし日よ残留放射能など知るよしもなく
かの夏浴びし放射能がわが身内にひそみ癌となり出づ六十年経て
進行おそき癌種なればわが残年を思料し療法決めむと医は言ふ
老病死詠まずと言ひしは恙無き日の驕心と今にし思ふ
われの着る和服のほつれをかがる妻よこのひそやかな幸もいつまで
◇永らへて◇
結核病み被爆せし身が永らへて八十二となる癌をもちつつ
原爆症認定申請出して二年未だに沙汰なし逝くを待つがに
かたみに鬼となりて豆撒く妻とわれかかるすさびもいつまでなりや
夜更(ふか)しの吾と朝起きの妻との時差老いたる今も縮まることなし
被爆者われらの願ひむなしくも核もつ国増えゆきてああ北朝鮮も
原爆忌に集ふ人らを左翼と誣(し)ひ核武装説くかの田母神が (旧幕僚長)
核を誇り核にて滅びし愚かなる生物ありきと後の代嗤ふか
◇引き算の人生(抄)◇
若く被爆し結核を病み老いては癌よくぞもちこし八十五までを
原爆症と認定されし癌もちて猶いくばくを生きゆくわれか
次回も歌集『晩祷』の原子力詠を読む。 (つづく)
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