2014年10月16日23時04分掲載
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文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(7) 「被爆せる事細細と記したる皮剥げし手帖我が秘めて持つ」 山崎芳彦
『証言は消えない 広島の記録1』(中國新聞社編、未来社、1966年6月刊)を読み返している。同書は『炎の日から20年 広島の記録2』(同前),『ヒロシマの記録 年表・資料篇』とともに刊行された、中国新聞社ならではの優れたジャーナリズムの為し得た業績の一環であると、筆者は思っている。購入して半世紀を超えて筆者の書棚にこの三冊が並んでいる。この連載を始めてからしばしば助けを借りている。中國新聞社は原爆投下の爆心地から約900メートルの位置にあって、原爆によって従業員のほぼ三分の一にあたる114人の犠牲者を出し、本社は全焼したという。しかし、8月9日には代行印刷により新聞を発行した。9月に入ってから自社印刷を始め、同月11日から13日までの紙面で原子爆弾の威力、放射能の影響などを具体的に伝える「原子爆弾の解剖」と題する座談会(広島市を訪れ調査に取り組んでいた東大医学部の都築正男博士らによる)により、原爆報道を行った。同新聞社の広島・原爆報道は、今日も核兵器廃絶、戦争のない世界実現を目指すジャーナリズム活動として、見事に一貫していると思う。
いま、歌集『廣島』を読みながら、時おり『証言は消えない』に収録されている被爆者をインタビュー取材した記事(1965年7月8日から同年8月6日まで中国新聞朝刊に30回連載)の頁を繰ってみることが多い。被爆者の声と思いを、歌集『廣島』の作品に重ねたり、短歌として表現されている作者の体験やそのように詠った現実に、読者としての想像力をめぐらせようとするためである。
「断末魔の声」と題した取材記がある。その中に、短歌二首が取り上げられている。歌集『廣島』にある歌ではないのだが、その短歌と、それを詠った人の実体験が取材記事によって明らかにされている。その内容を記してみたい。
取材対象になっているのは、宇部市に在住の被爆者の八田健一さん(当時65歳)、同じ被爆者の妻カズさん(62歳)、二女慶子さん(30歳)の一家だが、健一さんは西部第二部隊の兵隊として広島市三滝町で被爆。同市八丁堀の自宅にいたカズさんは二階にいて辛うじて助かったが、階下にいた長女美智子さん(当時9歳)、四女千鶴ちゃん(6歳)、二男隆治ちゃん(3歳)は被爆により破壊され瓦礫となった家の下敷きになり、カズさんが懸命に瓦礫を掘って救い出そうとしたもののならず、梁の下になった美智子さんの悲鳴、断末魔の声を聞きながら、「早く逃げるんだ。あんたが死んだら誰が線香を上げてやるんだ。」と血だらけの兵隊に無理やり引きずり出された。翌日、カズさんは三人分の骨を拾った。熱い灰の中の骨はひどくもろかった。焼けた紅茶の空カンに入れたその骨をだいて、カズさんはいつまでも泣いた。
そのことをいつ歌にしたのかはわからないが、
「命なき骨は悲しも/胸に抱けば/ほろと砕けて掌に満たず」
とカズさんは詠った。この一首に込められているカズさんの実体験と、その耐え難い思い、悲しみを、筆者はこの歌を読むだけではとらえきれないが、「原爆への怒りや悲しみは、被爆者の心に刻み込まれているだけですねえ。火中に子供を置いて逃げた家内は、長女の断末魔の声が忘れられん言うて、いまにあの話をすると寝込むんです。死ぬまでのがれられん心のカセですよ。」という夫の健一さんの話を聞き、カズさんのその時の様子を書いた記事によって、この一首をわかることが出来た思いがするし、被爆者の短歌作品を読むときの糧にする。
この記事の中にカズさんのもう一つの短歌が記されている。
「限りなく憤れど悲しめど/原子症の癒ゆる日はあらず/ツメしきり噛む」
「被爆直後、脱毛などの急性原爆症があったカズさんは、いまも貧血と鼻血がとまらない。ひどいときは目や口からも出血する。」 また被爆時に市内の親類に泊まっていた当時7歳の二女慶子さん(取材時30歳)はかるいケガですんだのだったが、「昨年夏から急に頭痛がひどくなり、十カ月入院したのち会社をやめた。脳波も骨髄液検査も、みんな異常はないという。だが気が狂いそうな激痛は、周期的に慶子さんを襲う。カズさんは、自分も娘も、原爆の毒ガスを吸ったからだと信じている。そして苦しみを歌に託す。」と、記事には書かれている。
取材記事「断末魔の声」の中の、短歌にかかわる部分だけ抄出したが、全部を読むと、原爆に被爆してからの20年の八田健一さん一家の苦難に満ちた、理不尽に落ち込まされた生活の実態、思いが迫ってくる。
歌集『廣島』の作品を読みながら、同時に、被爆者が原爆、原子力放射線による苦しみと怒りとたたかいについて、短歌以外の「証言」をも読むことによって、短歌作品についての読者としての受け止めを深めることが出来ると考えている。筆者としては、短歌以外の様々なジャンルの作品もできるだけ読んでいこうと思う。
歌集『廣島』の作品を読み続ける。
◇正田篠江 旅館業◇
急救箱のあり処(ど)求めて歩まんとすれどおのれの足立たざりき
手当の薬つきて初めて気づきたり肩の傷より吹き出づる血潮
天上で悪鬼どもが毒槽をくつがへせしか黒き雨降る
炎なかくぐりぬけきて川に浮く死骸に乗つかり夜の明けを待つ
子をひとり焔の中にとりのこし我ればかり得たる命と女泣き狂ふ
傷口を縫ふ糸もこれでもう無いと医師つぶやけり手あてなしつつ
ズロースもつけず黒焦げの人は女か乳房たらして泣きわめき行く
石炭にあらず黒焦げの人間なりうづとつみあげトラツク過ぎぬ
道ばたの防火水槽に片足かけし男の死骸ゲートル巻きて
子と母が繋ぐ手の指離れざる二つの死骸水槽より出づ
一日中死骸をあつめ火に焼きて処理せし男酒酒とうめく
可憐なる学徒はいとし瀕死のきはに名前を呼べばハイツと答へぬ
大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり
焦土にうもれゐし教師の鞄より一冊の学童成績表いでくる
眼玉飛びでて盲目となりし学童はかさなり死にぬ橋のたもとに
人見れば声泣きあげて女訴ふ首席の吾子をもどしてくれと
焼けへこみし弁当箱に入れし骨これのみがただ現実のもの
焼死せし児が写真の前にトマト置き食べよ食べよと母泣きくどく
◇莊内 伍 商業◇
山一つ距てて雲の湧き立つを通勤電車より下りたちて見る
被爆地は己斐と言ひ天満町と言ひ午過ぎて帰り来し村人は全市と報ず
死傷者は幾万と思ひ十幾万とも思ふ一日は昏れて暗き灯の下
息既にひきとりし子をゆさぶりて泣き叫ぶは母か瓦礫の上に
焼け崩れし穀倉の米を担ひ去る鮮人をとがむる一人だになし
丹念に罹災者名簿繰りてゆく遂に逢ひ難きかちちのみの父
冷凍の蜜柑食ひつつ憩ふ間も壕内の熱気は直かに迫り来
全身焼傷の裸像川土堤に並み伏して水を求むる声つづくなり
焼跡の裂けし鉄管より吹き出づる水飲みて又父を捜しゆく
遠近に葬火赤く燃えたちて焼野の果に日は沈みたり
二日前泉邸に難を逃れしと聞けども父のその後を知らず
罹災証明書貰ひてふるさとに帰りゆく父の手がかりは今日も空しく
黒こげとなりて車内に死にし人さながらにしてミイラの如し
いちはやくその焼跡に小屋建てて住みつく人かトタン囲へり
背のいたみ訴ふる父をはげまして夜すがら荷車をひきてかへりぬ
ふるさとの古びし納屋をつくろひて父癒ゆる迄の雨露しのぐべし
死期近くなりたる父をいましめてその欲る水も与へざりしか
欲しきもの与へと言ひて医師ゆきぬ我が父の死を予知する如く
◇新迫重義 農業◇
傾ける家にそのまま人のゐて夕は淡く煙のぼりぬ
国の備へと吾ら励みし兵舎なく西部第二部隊の跡どころかこれは
平和のための原子弾投下といふ輩いろ変りしこの土をみつめよ
◇新出寿奈枝 主婦◇
春の陽光に水ぬるみたる川の面原爆ドーム鮮やかにうつしをり
◇末田清子 無職◇
出血の多くて記憶うすれゆく吾に頭上の爆音轟く
幾日も火葬の煙りたえざれば帰らぬ従姉の安否うれふる
◇杉 鮫太郎 公務員◇
花崗岩焔にさけしこの道を行き行くや思ひは怒りとなりて
この土に生きたるものの生活(たつき)あり煙を擧ぐる低き板の家
石の下もゆる雑草(あらくさ)この土に萌ゆるものあれば再び待たむ
◇杉田はつよ 無職◇
生きながら体に顔にウジが這ひ中学生は七日目に死す
化膿して口もつむげぬ中学生かすかに舌で「アカータン」とつぶやく
べとべとに化膿した顔に耳寄せばこの子もあの子もただ「アカータン」と呼ぶ
昨夕にリバガーゼ換へしこの人もうは言をいひつつ今朝はつめたし
「音楽が聞えるやうだ」といふ人の頭はウジが穴を開けをり
焼けふくれ皮のめくれた肉塊の頭につけし名札いたまし
五歳の子焼いた小さな藷畑のくぼみで今日はその妹を焼く
死の街の瓦礫の中の救援所むすびの列に我もつらなる
芝萌ゆる百米道路は延びたれどこの地に沁みたる苦しみの声
ケロイドに乙女の夢を奪はれし級友の名を詐欺罪で知る
九年を経し今も尚ガラス片が母の額(ひたひ)でぎちぎちと鳴る
夏は痒み冬は痛むといふケロイドを二足の足袋で包む老母よ
吾がいのち燃ゆる限りは原爆の罪の深さを叫び告げたし
◇杉原美春 農業◇
家屋疎開に召集されし我が部隊四十歳越ゆ老兵のみにて
両手も太きロープを握りしまま梁に圧されて死せる戦友
梁下に命断たれたる戦友の軍帽脱りぬせめて遺品に
立ち上る熱気にむせびつつ卒吾は指揮刀掘りつづく隊長の前に
被爆せる事細細と記したる皮剥げし手帖我が秘めて持つ
◇角谷良一 会社員◇
原子弾の雲たちわきしあたりかと街空仰ぐ朝より暑し
原子弾に妻も果てしと思ひ決めて命一つをかへりきにけり
ちちのみの父みづからに手触れしもの老眼鏡がただ一つ残る
戦火にて顔壊れたる妹が夜夜おそくミシン踏む音
顔の傷を今はあらはに買物に出で行くうしろひそかに目守る
◇関本幸太郎 無職◇
何事ぞ原爆の罪詫びもせでわれに平和を人道を説く
◇瀬戸原行信 公務員◇
幾屋根を越え襲ひ来し爆風に峡田の稲葉は諸伏しなびく
高空に静かなる三つの落下傘風に流れて山に入りたり
午近く村に伝はる広島の被爆の様は只事ならず
己斐の山江波山目近しことごとく破壊の町に遮る物無く
人すべて焼け傷つける街を行き吾の無傷をつひに恥ぢつつ
かの老舗蓄へて財をなせりけむ焼け焦げて金庫二つ並べる
人探し入らんとしたる防空壕に少年の屍踏みて驚く
原爆の恐怖を絶えだえに語る娘の唇ににじむ血の黒きを拭きやる
夏空に打上げ花火の爆ぜるたび原爆ドームの残骸あらはる
◇田坂末子 無職◇
幾万のかばねうつせしこの川面(かはも)今ぞしづかに七つの大川
◇田中幸市 診療技師◇
暴君ネロもかくなさざりし原爆の史上に残すあの惨虐は
ノー・モア・ヒロシマスを口に叫びしも日を経ぬに再軍備論日日に高まる
うら若き乙女の顔の瘢痕は原爆の恐怖を永遠に刻めり
人道を唱へる国が比類なき原爆をもて人を殺せり
◇田中つゆ子 無職◇
傷つきし人の求めにこたへても水はこぶ手はふるへとまらず
己が身の傷の深さを知りつつも手当の礼をのべる人あり
◇田中春江 無職◇
怪我人が助けを求めわめくのも見知らぬ顔で我子さがしぬ
◇田邊重美 無職◇
膿汁のしたたる顔を無意識に諸手をのべてかきむしる人
男女の見さかひもつかぬ焼布を纏ふ人らはホームに満ちたり
焼けただれ半裸の人ら手を上げて倒れんばかりにホームに降り来る
飛機すでになき草原に人を焼く煙は今日も雨にけむれる
◇高須賀 治 教員◇
焼けほつれ死臭を放つ被爆者を積みしトラツク我が村に来る
ケロイドがうすくなつたと告げられし乙女はじつと鏡に見入れる
◇高野 鼎 教員◇
一瞬に市街の家並の飛び散るか濛濛として天日くらし
倒れきし工場に敷かるる児のうめき燃え初む炎消しつついらだつ
ドラム場にうめく声あり児一人を太き丸太は腰おしつぶす
教へ子を救ひ出しつつうかららの運命(さだめ)思へば吾が呼吸苦し
意識なく母を呼ぶ児をみとりつつうちのめされし惨めさにをり
血吹くもの火傷せしもの逃れきて生命保たず斃る道の辺
遂にして防空壕に吾子二人ふぬけの如く坐せるにあへり
父吾れを見れども何のいらへせず狂へる如き瞳をすゑてをり
親を子を尋ね求めて壕をのぞき名を呼ぶ声の狂ふに似たり
迫りくる炎に妻は吾子たちへはや逃げゆけと叱りしときく
妻思へば吾が胸苦し生きながら炎の中に生命断つとふ
吾子尋ね尋ね来れば絶えだえに母を呼び居り年似たる娘の
熱高き吾子に疫痢の診断下す原爆症を知らぬ薬師は
日を重ね苦しみ狂ふ吾子の生命みつつ術なく吾の狂ほし
ただ一人の吾子と恃みし英明(ひであき)も脱毛を数多吾に示すか
生きる術なきを知りてか英明は死して行くべき世のことをきく
夢うつつに現れくるか英明は極楽のさまを意識なく言ふ
「今晩は僕は死ぬよ」と死期を告げ父われの身を案じ語るも
かくすれば死して恥じなき姿かとそのさまくづさず逝けり英明
菩提寺へ六つの遺骨と旅立ちぬ今は愛憎の心しびれて
うかららの生命奪ひし戦ひを憎しむ骨にしみいる
思ひ出ては胸しめつける悲しみに起ちて歩みつわめきたてたく
働かむ気力も失せし放心の窓辺に伸びし柿若葉萌ゆ
時にして夢にかよひく妻や子のただ笑まひゐて語ることなく
父ちやんてふおのもおのもの呼び声は耳の奥どになほ残りをり
たひらぎを祈り給へるすめろぎのみことおそかりき吾におそかりき
戦ひのむごさ惨さ身にしめば無条件降伏を吾うべなへり (つづく)
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