2014年10月18日14時12分掲載  無料記事
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北朝鮮

“北朝鮮”訪問で考えさせられたこと(2) 歴史事実を事実として認め合うことから 池住義憲

 朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)の社会科学院歴史研究者の李哲浩さんから、共和国の近代史について話を聴きました。朝鮮近代史とは、1860年後半から1945年までを指します。日本近代史でいうと、脱亜入欧・富国強兵を国家目標に掲げた明治政府発足(1868年)から終戦(1945年)までに符合します。 
 
■ 日本の軍事侵略 
 
 朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)の社会科学院歴史研究者の李哲浩さんから、共和国の近代史について話を聴きました。朝鮮近代史とは、1860年後半から1945年までを指します。日本近代史でいうと、脱亜入欧・富国強兵を国家目標に掲げた明治政府発足(1868年)から終戦(1945年)までに符合します。 
 
 李さんは、資料やメモ無しに正確な年号を入れながら、流暢な日本語で語り始めます。明治政府外務省が朝鮮政策について出した「対朝鮮政策三箇条伺」(1870年)を皮切りに、江華島条約(日朝修好条規、1876年)、日清戦争(1894〜95年)、下関条約(日清講和条約、1895年)、日露戦争(1904〜05年)、そして1910年の日韓併合から1945年8月まで35年のおよんだ日本の軍事侵略についての概要とポイントを説明してくれました。 
 
 35年間におよぶ日本の軍事侵略について李さんは、日本軍の三つの罪悪/蛮行を指摘。第一は、朝鮮の主権を奪ったこと。第二は、民族独立の闘いを抑圧したこと。第三は、民族抹殺政策を取ったこと。日本は朝鮮民族のいのち、魂、精神、言葉、文化、歴史を奪い、日本国籍取得を強制し、朝鮮民族の抹殺を図った。こうした近代史を研究すればするほど、李さんは、怒り/憤りが増幅し、抑えることができなくなると言う。 
 
 今回私は、高麗(918〜1392年)を建国した王健王陵や共民王陵など、朝鮮の歴史遺跡をいくつか訪ねました。そこで私は、日本の軍事侵略下で日本軍によって墓が荒らされ、多くの歴史遺産が盗掘され、持ち去られた事実を知りました。遺品も、書物も、威厳も、遺骨も・・・。民族史、歴史の抹殺です。李さんが言った「民族抹殺」の意味と重みを理解することができました。 
 
 こうした歴史事実を事実として受け止めることなしに、関係修復、民族和解、国交正常化は始まりません。日本が今日も問われていることは、事実を事実として受け止めた後、どうすべきか、なにをすべきか、その誠実な検証と検討そして実行だと思います。これは、人間として当たり前の「道」、だと思いました。 
 
 日本が今すぐにでもできること、それは、2002年9月の日朝平壌宣言の精神に立ち返ること、この宣言に依拠すること、です。「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決」して「文化的関係を樹立する」という共通の認識を日朝双方の首脳が「確認」したのですから。文書でしめされた日朝間の公式なものは、この宣言以外には、無い。 
 
■ 被害者遺族キムさんの証言 
 
 近代史研究者李哲浩さんのレクチャ―のあと、日本軍事侵略の被害者遺族キムさん(72歳、男性)の証言を聴くことが出来ました。キムさんのお父さんは、日本軍事侵略下の1943年、朝鮮から日本へ強制連行されました。そして1945年8月の朝鮮解放後も、お父さんの行方/消息は分かりませんでした。 
 
 分かったのは強制連行から60年経った2003年。東京・目黒の祐天寺の遺骨名簿に、お父さんの名前が記されいる情報が届きました。そのときにお父さんは1944年12月にインドネシア・セルべス島で死亡したことがわかりました。その間、お母さんは1984年に死去。生前、お母さんは息子のキムさんに「必ず父を捜しなさい。亡くなってからからでも、あの世で二人で一緒になりたいから・・・」と話していたと言います(キムさん、涙流しながら語る)。 
 
 2004年、祐天寺で慰霊祭があるとの連絡を受け、キムさんは訪日を決意して申請しますが、日本政府によって実質的に入国を拒否されます。お父さんの遺骨を戻してもらい、それを母の隣りに埋めてあげたいとのキムさんの思いは、かなっていません。キムさんは、息子として母の最期の願いを今も実現できずにいることを悔いています。涙ながらに話してくれました。 
 
 キムさんは、言います。「悪いことをしたら謝るのが当たり前。何の罪もない父を・・・。60年経っても・・・。人間のやることじゃ、ない。この私の体験は、朝鮮民族全体の苦しみ・・・」。そして最後に、「父の遺骨を返して欲しい。そのための人道的、実務的対応を、一日でも早くとって欲しい。謝罪して欲しい」、と。 
 
 私はキムさんの話を、共和国による日本人拉致被害者家族の方々の悲痛な声/叫びと同じ重みで、受け止めました。1970年代から80年代に起きた共和国による日本人拉致問題も、1945年8月以前に起きた日本による軍事侵略下での強制連行問題も、国際法に違反した非人道的犯罪行為です。 
 
 歴史事実を事実として認め合い、政治的思惑や駆け引きではなく、両国が人道的視点から一日も早く「対話」によって解決しなればなりません。その原点は、やはり日朝平壌宣言の基本精神に立ち戻ること、だと私は確信しました。 
 
(以下、次号最終回 『メール通信』につづく) 
 
■ 板門店(ハンムンジョム)に佇んで 
■ 南北分断をもたらした経緯と責任 
■ おわりに 


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