2014年11月03日07時45分掲載
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コラム
陰なる主役、教育テレビ
NHKの教育テレビは最近はEテレなどと呼ばれている。EテレのEがエデュケーションのEであるとどのくらいの日本国民が知っているだろうか。長年、教育テレビは地味だと思われて来たし、テレビの主流と思われたことはなかったに違いない。
しかし、最近、僕は椎名誠の紀行「パタゴニア〜あるいは風とタンポポの物語」を読んでいてはっと目を見張る記述に出会った。それは教育テレビ賛歌だった。以下に引用したい。パタゴニアの旅行中で出会った日系人との会話である。
「・・自分は子供の頃、日本人と言うのはとても悪い人間だろうと思っていた。それはアメリカ製の戦争映画を見ると、日本人がいつもものすごく悪者で出てくるからだ。しかし大人になってくるにつれて、その考えが誤りであることに気づいた。いまは日本はアメリカよりもすごい国だと思っている。」
教師はなかなかいいことを言った。
アメリカの映画を見て日本人はすごく悪人みたいだと思ったのは自分もそうだ、とボリビア野坂が大急ぎで言った。
「だから子供の頃自分が日本人である、ということがいやだった」
「どうして日本がアメリカよりすごいと思う」
と、中島が聞いた。
「日本には教育向けだけのテレビがあるだろう。あれがすごいと思った」
(以上椎名誠著「パタゴニア〜あるいは風とタンポポの物語]」より)
椎名氏の文章によれば教育テレビの存在によって外国人の目に素晴らしい国だと映っているようである。それは教育熱心とか、公共性などの民度の高さと解釈されるのだろう。私企業の利益だけで国が動いているのではない、ということである。国が国民の教育に責任感を持っているということである。教育とは政治家が道徳を押し付けることではなく、国民が自分の頭で考える力をつけられるように導くことであり、そのための基礎となる諸技術と知識を伝授することである。だが、言うまでもなくそうした良さは過去30年の間に少しずつ浸食されてきた。
教育テレビをなぜEテレなどと呼ぶようになったのだろうか。教育をEと呼びかえることにどれだけの効率があるのだろうか。誤解されたくないのだが、教育テレビの中でも語学番組は長年の特徴であり、良き伝統だと思う。しかし、それだけに教育テレビを「Eテレ」のような半端な呼び方に変えたところに放送局員の自国語に対する感覚の鈍麻を感じないではいられない。
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