2014年11月18日21時49分掲載
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文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(9) 「北支那の父は帰らず妹と原爆症の母をみとりぬ」 山崎芳彦
歌集『廣島』を読んでいるのだが、そのさなか、九州電力の川内原発の再稼働に鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が同意したと報じられた。先に立地自治体の薩摩川内市が再稼働に同意していることから、安倍政府の原発稼働、他国への原発輸出促進政策の下、立地地域のみならず広範な周辺住民の不安と反対、さらに全国的な原子力社会からの脱却を望む人々の願いと意思を無視して、原発列島再稼働の突破口にされようとしていることに、広島、長崎への原爆投下によって殺された人びと、生き延びてもなお塗炭の苦しみを、今もなお苦しんでいる人々とともに、激しい怒りと、各地の原発再稼働を、おそらくこれから相次いで進める安倍政権とその同伴勢力を、権力の座から追放することへの決意と覚悟を新たにしなければならないと、強く思う。
あの福島原発事故の惨事、いまも被災した住民の苦難が続き、政府の掛け声だけの「福島復興」、実態は人びとの生活、故郷を奪い、将来に不安と危険を残したまま「放射線安全神話」のキャンペーンのもと避難住民の帰還促進を誘い、しかし、福島の事故原発は今も、これからも決して人々の生きる安全と安心をなにも保証していない。原発が持つ反人間、反自然の本質的「悪意」(原発を儲けの道具として利用する者たちの悪意である)は、存在する限り消えはしない。原水爆が、あらゆる核兵器が存在するかぎり、人間、自然を徹底的に破壊するために存在しているのと同じであろう。そして、核は拡散し続け、日本の原発の海外輸出はそれを促進し、このような日本である限り自らが核保有大国になろうとする黒い野望が、これまでも連綿として深い暗闇の中から時としてその本音を漏らして来た勢力が時を得れば、現実のこととしてたち現われるに違いない。
いま読んでいる歌集『廣島』が私たちに伝えていることは、虚妄のことではなく、核のもたらす「威力」がもたらす悲惨を理不尽にも体験させられた人々の真実である。そして、これまでに読んできた原発事故にかかわる短歌作品も、基本的には同じである。歌集『廣島』が編まれた1954年のあの時期、この国では原水爆禁止運動が大きな高まりを見せ始めたのだった。
私事だが、当時14歳であり、中学三年生であった筆者は、田舎町の中学校の運動会の仮装行列の企画に「原爆反対」をかかげて被爆者の姿をしたグループとして出場した。詳しくは記憶していないが、美容院をしていた母の店から髪の毛を集めたり、おそらくは何か写真で見た原爆被爆者の姿を再現して、運動場をいろいろ言いながら歩いた。教師や村の人たちが、驚いた顔をしていたことの記憶が今も残っている。「原水爆反対」は、関東の田舎町の中学生にも、このようなことをさせた時期であった。
しかし、その時期には、、今思えば原爆加害国アメリカの大統領が水爆実験、核の優位戦略を進める一方で、「原子力の平和利用」を語り、原子力発電を中心に「同盟国」への米国支配下での原発の導入を働きかけ、日本でもそれに呼応する勢力がさまざまに動きを強め始めていた時期でもあった。原水爆の脅威、広島、長崎の原爆被害、ビキニ湾での日本漁船の被爆などにより、原水爆禁止運動が高まる一方で、「核エネルギーの平和利用」、原発の導入については、それを「歓迎」する雰囲気が広がっていた。1955年12月には「将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与する」とうたった原子力基本法が成立したのだった。「平和利用」、「民主・自主・公開」が書き込まれたこの法律に反対したのは共産党と労農党のみで、ほぼ全会一致での成立であった。マスコミ、学者、文化人の多くも「平和利用」に反対しなかった。原爆も、原子炉も紙一重であること、核エネルギーの「平和」で「安全」な利用などありえないことには、注目されなかった。支配者、権力者たちが、巧妙に、しかし悪辣にふるまうのは常の事だ。
いま、広島、長崎の原爆被害の悲惨、そして福島原発事故の深刻な被災の現状とを無視して、再び原発列島の復元、さらにはその陰にある核兵器開発・保持への消えることのない欲求を隠し持つ権力とその同調勢力の支配を許してはならないのだが、その意味でも川内原発再稼働を強行する政府、立地自治体・県、九州電力への抗議と、政府・与党・電力企業を含む財界に対して、あらゆる方法で対抗する力の結集をと、思う。
衆議院解散・総選挙が年内にもあるという。憲法、原子力、戦争法、国民主権・・・それぞれが問われなければならない時、沖縄の県知事選の勝利に学んで、現政権を追い詰めるために、何が必要か、深く考えたい。
歌集『廣島』はまだまだ続くが、しっかりと読んでいきたい。
◇徳永 侑 電気技術者◇
僧衣着て仏の前にかしこまる戦災孤児等の経声しづか
よみがへるあてなき民等ケロイドの頬もて三角洲(デルタ)の十字架をふむ
◇豊田清史 教育公務員◇
死にしらはいづくのはてに恋ふるなる今夜(こよひ)も青く燃えゐる織女星(ベーガ)
ぐんぐんと煙かぶさる空の下かげりし路上を人影駈けくる
掌(て)の皮のぶらさがりし子声ひとつ立てずに母の膝に竦(すく)める
沖天に巻き上げてゆく赤火焔眼に橋桁のぼろぼろ崩る
仰向けにみな並べられたる少年の陰(ほと)の黒きがかなしく消えず
自らに顔打ちつけて血を喀くを肩抱へつつせんすべもなし
ゆさぶりて死体に狂ふ母親になすなきわれらこころふるふのみ
取るわが手拒みて尿にゆきし女暁寒く土間に絶え居る
死ぬるまで痛み怺へし兵居りき東北弁に鶴岡とのみは言ひき
ひそひそと喰(くら)ひはじめし兵の影やがて苦しく闇に吐きあぐ
書きつけて父も居らずや<勇早クコイ、スミヱハ可部線八木に居ルゾ>
寝たきりの幾日なりし腹の皮さすれば腰の骨にひつつく
音たてて時雨はゆきつ屋根裏の鍋にひそけく光る夜雫
轟轟とデルタを吹きてゆきし風夜の電線にしばらくは鳴る
うなだれて灼けたる瓦礫運びくる刑囚の如生きゆく主婦ら
つぎつぎと間なく夜をゆく爆音に醒めて切なく蚊帳に悶ゆる
この街を焼きにし兵らも黙祷をささげてゆきし読むに堪へなし
エキストラ口口喚(わめ)き駈けてゆくこの幾人が知るや原爆
ケロイドの顔うつ向けて避けて居るバス過ぐるときもかなし乙女子
白血球この頃いくらになりたりし風邪を怖るる冬がまた来る
過ちは繰返しませぬと誰にいふ屍の上を軍靴踏みゆくに
◇名柄敏子 酒類商◇
幾すぢか掘られし校庭に死体焼く煙は己斐の街をおほひぬ
焼けただれうみ噴く吾子の五体のせ阿修羅の救護所に手押車引く
断末魔のあへぎの中にかすかにも万歳を唱ふ学徒よあはれ
黒き雨どしや降る路上に行き倒る学徒にそつと布団かけやる
さながらに松の丸太を積む如く硬直せる死体トラツクに積みぬ
壕内に妻を呼びつつ息たゆる鮮人の声しみて忘れず
「助けて」とすがる学徒の相こはく恐怖の中にしばしたじろぐ
塀下に倒れしたまゆら我が抱く吾子の生死をゆすりたしかむ
逃れ来てよその軒端に息たゆる全裸の人は女教師なりき
◇那須茂義 元教員◇
わつと泣き吾に寄り来る教へ子を吾も抱きぬ生きし歓び
軌道それ電車のあはれ焼け錆びて坐りしままの骸骨とどむ
火傷者を並べて看まもるばかりなり医薬なければ手当なかりき
荒莚しきたるのみに寝かされてよしずにわづか外気さへぎる
路の辺に水を求てうめき居り焼けし裸形の顔もわかたず
屍体にも顔をそむける心失せただ教へ子の姿のみ追ふ
住吉の橋の下なる水澄みて底に屍体の数も判らず
一望に残るはビルの数ふのみ焼野の街に夏の陽は落つ
夕せまる焼野の街にとろとろと鬼火燃えけり雨のそぼ降る
死者名簿名前のあればいまははやほつと息づく哀しさ忘れ
焼瓦一つ一つに遺骨おき名前記せる幾十のあり
夏帽のうれしと冠り行きし娘の探せど行衛未だ知れざり
収容所に横たふ患者うじ虫のはへる腕のべ水をもとむる
腰曲る老婆追ひつきかきくどき天皇われをあざむきしと言ふ
門柱に連絡場所の紙ありて一物残らず校舎焼けたり
鉄かぶと赤錆うきて転がれり運動場とおぼしき真中
奉安庫檜戸あきて夏の陽の烈しきもとに一つ残れり
朝夕にわれ親しみし大蘇鉄残るはうれし寄りて撫で見る
◇中沢愛子 無職◇
北支那の父は帰らず妹と原爆症の母をみとりぬ
ふと触れし母の髪毛が手に落ちてその生命の衰へを見る
漸くに火をまぬがれし喜びも空しく母は死の床につく
我もまた召されし母のあとゆくか髪毛のおちて死の声をきく
苦しさに死の訪れを感じつつ小さき妹の行末をおもふ
白骨となりたる母を背に負ひて妹と二人ひろしまを去る
引揚げの父はむせびて泣きませり白骨となりし母を抱きて
原子野に焼け残りたる木を集め引揚げの父とバラツクを建つ
六軒の借家のあとを掘りおこし被爆せし地に馬鈴薯を植う
焼跡に鍬を振るへば幼き日使ひし茶匙赤錆てあり
原爆に姿消されし築山の名残りもなくて葱坊主生ゆ
亡き母の愛でしばらなり火にも耐へてこの庭跡に小さく咲き出づ
十年を経て偶然に会ひし学友の握手せし手にケロイドを見る
◇中谷敏行 会社員◇
白壁にあたる九月の陽は沁みて死亡届に列なせるかも
病みこやす母に捧げん夕つ方真白き鶏の毛をむしり居り
あは雪のほどろほどろと降るなかを父兄弟の骨埋めにけり
この瓶のみたりの姿埋めんとし新しき涙せきあへにけり
唯ひとりの母の齢を思ひけれ骨埋めて帰る寺の雪みち
半分を焼きつくされてこの寺のむしろの上に七日耐へられし
◇中川雅雄 会社重役◇
阿賀利善三松浦豊らも焼け居らむか被爆に燃えて亡びゆく街
向ひよりよろめき来り生きながら焼けて手の皮垂らしたる女
共同作業地区に累累と並び居る半面焼けたる学生の死屍
しらじらと燻りあげる電柱下幼児がひとり焼けて死に伏す
余燼なほつづく焦土のみち歩むアスファルト涌きて足跡凹む
焼跡の瓦礫の端に突出でし水道管いきいきと水をこぼしぬ
一望の焦土うるほす今日の雨眼にしるきまで黒きいろあり
高野君とは見つれ変りはてたれば声呑むしばしに通りすぎたり
戦災児路傍に打たるる盗(と)りしとふリンゴ一つを胸にいだきて
垢の中に眼鼻の見ゆるごとき児よリンゴ一つを盗りて打たるる
重傷の一団の中の透るこゑいまだ幼し母とよぶこゑ
友や部下当てもなく探し夜に入り帰り来て焚く高粱(かうりやん)のめし
おのがもつ気品気附かぬ孤児がゐてわが前にいま靴の墨ぬる
隠匿物資売りて資産なせしとふ君まづ横丁に店を開きぬ
記念品と名附くに瓦の破片売れ原子砂漠をわれら漁りぬ
病床の原爆症の少女が言ふA国軍用機墜ちていい気味ね
原爆に遭ひて八年行広澄子原爆症につひに死にしぞ
再軍備するとふ人よ銃とりて新戦場へは君独りゆけ
黒き鳥羽ばたき初めて平和都市広島に来る軍備讃美者
◇中原仁市 元看護夫・会社員◇
第二次の爆撃怖れて壕内にすくみて居れば火は街を呑む
大火傷うけし乙女の譫言(うはごと)を解かむとする間あはれ息絶ゆ
講堂に集りし負傷者百あまり回診せぬうち相つぎて死す
顎の根に大き傷もつ被爆者が先生助かるでせうかと聞く
爆撃を受けし刹那の衝激に月の足らざる子が生れたり
◇中邑浄人 教員◇
眼ににじむ汗拭きあへず歩みつづく焼跡の街のほとぼり踏みて
言ふことはまちまちにしてとりとめなし生残りし者ら街を急げり
赤く焼けしトタンの下にある屍体をとこをんなの見わけもつかず
黒焦げの幼児の屍体ころびをれど眼に止むるなく人らいそげり
親呼びて叫びたらむか口開けしまま黒焦げし幼児の顔
川べりに伏して水飲む姿勢せるこの兵もすでに死してゐるなり
竹棹もて屍体寄せゐる兵あれど橋ゆく人ら見返りもせず
川べりにかき寄せられし屍体の群どの兵もどの兵もふくれあがりて
屍体焼く炎明り及ぶ草土手に臥床(ふしど)作るも夜露払ひて
この土手に今宵は寝ねて出征(た)つ身なりさまざまの屍体眼も離(か)れぬかも
うからみな焼け失せたりといふ兵のなほ前線に征(ゆ)かねばならぬ
骨一つ見あたらざりきとこの兵はうからのことの多くは言はず
兵われら明日は出征(いでた)つこの街の夏の夜更けてなほし燃えつぐ
高高とひとときあがる炎(ほ)あかりに人ら屍体をかつぎゆく見ゆ
◇中村美佐 主婦◇
気がつきて四辺(あたり)の様に驚きぬ倒れし家の屋根に我居り
我がのりし電車も今は鉄骨(ほね)と化し幼児の死態あはれ胸うつ
変り果てし鏡にうつる我がすがた我と我が身を疑ひぬ
夜もすがら看護に励む母想ひ開かぬ眼に涙溢るる
◇中本十一郎 鉄道員◇
ぬばたまの黒髪日日に抜けゆけば残る生命を乙女知るらし
死化粧終へたる従娘の顔半面やけただれしは布にておほひぬ
やうやくにひろひ集めし木片さへ雨にぬれゐて屍焼き得ず
いくすぢも屍やく煙たちのぼる空に米機は低く飛びをり
荒涼たる焼野となりしひろしまの橋のたもとに屍焼きをり
◇西川若子 無職◇
待避壕とは余りにむなし穴掘りて教壇をかぶせしままにてありしか
がむしやらに這い出し見れば空暗く白き犬啼きつつ前をよぎれり
眼の前の人燃えゆけど手を借す人なし吾も逃げゆく
手足よりふきいづる血拭ひきれず泣きわめきつつ縋りつく幼子
ふみぬきの足ひきずりて意識なき叔父を肩にし仮救護所へと向ふ
消火栓の水あふれ出る廻りには火傷の人の群りて死す
莚にておほひし乳房ある君の裸体のくづれもだ深く見つ
タイよりの留学生とぞ乾パンを握りしままに息のとだえぬ
明治橋にて大豆入りのむすび一つ貰ひ炎くぐりて暑き道行く
お互にふれまいとせど人つどへば原爆時の体験おのおの口にす
原爆に逢ひし子等が綴りたる詩によする怒り誰に投ぐべき
原子症のあなには背おひきれぬ苦しみぞ病夫と弱き子を持ちて生く
汗さそふ熱風にほこり舞ひ上る広島の復興は名ばかりにして
再びはいくさあらすな癒え難き心の傷を思ひても見よ
◇西奥とし江 洋裁業◇
ながらへし余命なりせばひたすらに子ろに捧げて夜なべをつづく
つかれては痛む五体を原爆の災ひならむとおそれはつづく
(つづく)
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