2014年11月20日15時18分掲載  無料記事
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本谷有希子作 「生きてるだけで、愛。」  巧みな語りを通して露わになる現代日本

  本谷有希子氏の小説「生きてるだけで、愛。」を読んだ。あまりに面白かったために外国の友人にも教えたいと思い、タイトルを英語にしようとして、立ち止まってしまった。「生きてるだけで、愛」。これをどう訳したものだろう。愛して欲しい、ということか。人によって解釈は違うかもしれない。 
 
  本谷氏のこの小説の面白さは若い女性の主人公のキャラクターにあると言っても過言ではない。 
 
  「女子高生の頃、なんとなく学校生活がかったるいという理由で体中に生えてるあらゆる毛を剃ってみたことがある」 
 
  この冒頭の一行から、主人公の語りの世界に引き込まれる。彼女は豊かではない家庭に生まれ、アルバイト先では社員からつまらない因縁をつけられて排斥されてしまうし、その他の職場も長続きせず、いろいろ変わっている。そして、「過眠症」にかかっていて、同じ病を持つ仲間とインターネット空間で情報交換をしている。いわば引きこもりなのだが、この小説が面白いのはそんな彼女がちょっとしたきっかけで出版業界の男と同棲するところにある。この男は主人公がどんな挑発をしてもそっけないために、主人公は男が自分にまったく関心を持っていないと思うようになる。だが、彼にも意外な面があることが明かされる。それは同居人の男、津名木の別れた彼女が突如として登場し、男のアパートから出ていけと意地悪く主人公を追い詰め始めたことがきっかけだ。 
 
  「津奈木の元彼女はマルイの女子傘でも、ふわふわしたピンクのマフラーでもなかった。微妙に深いVネックで胸をさりげなくアピールした茶色のセーターに黒のタイトスカートで、人のことはすっぴんで捕まえておきながら、自分はぬかりなくメイクしている意外にもキャリア系の女だった。」 
 
  「「無職で二十四時間ずっと家にいるのに家のこと何もしないってどうなの。あなたってなんで景と一緒にいるの?お金?私だってこんなことあんまり言いたくないけど、あなた、女としてどうとか言う前に人間としてどうしようもないわよね。なんのために生きているんだか分からないし、景はさあ、あなたのどこがいいと思っているわけ?」」 
 
  しかし、彼女の登場によって主人公は決断を迫られ、今まで保たれてきた微妙な均衡が破れ、主人公もついに行動を始めることになる。津奈木の彼女は嫌味なキャラクターに描かれているが、世間あるいは現代社会の象徴的存在とも言える。主人公の生活を怠惰で異常だと糾弾してやまない。しかし、主人公がそんな彼女から逃げず、狼狽しながらも正面から向き合ったことで突破口も見えてくる。それは同居人の今まで知らなかった素顔も見えてきたことでもある。 
 
   荒涼とした現代人の風景が主人公の語りを通して描かれるが、この小説が感動的なのは主人公が自分自身であることを手放さなかったことだ。どんなに幸せそうに見える風景があっても、彼女はそこに一員として同化することができない。その幸せの風景はどこか、東日本大震災の直後に世の中に出回った「絆」という言葉のようである。あの時、日本人は一つ、それは絆・・・というようなスローガンが街角にあふれた。しかしあれから3年、蓋を開けてみると、福島も沖縄も生活困窮者も切り捨てられている。 
 
  主人公の彼女は周囲の幸せの風景の中に、何か虚構を感じてしまうのだろう。たとえそれが彼らにとっては本当の幸せであったとしても、彼女自身がそこに自分を置くことができず、そこに虚構を感じるなら彼女の幸せはそこにはないに違いない。こうして主人公は茨の道であっても、自分の苦しみを抱えて街角に飛び出してしまう。苦い結末だが、しかし、そこには煩悶を一歩抜け出そうとしつつある、蛹から蝶になろうとする一人の人間の姿が明確に見える。それが素晴らしいと思った。 


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