2014年11月24日20時03分掲載
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文化
中国人の作家が習近平・国家主席の文学談話をニューヨークタイムズで批判 習国家主席の文芸活動座談会の影響力について警告
中国人の作家、慕容雪村(ムーロン・シュエツン)氏がニューヨークタイムズ紙上で習近平・国家主席の文学に対する見解を批判した。このコラム’The Art of Xi Jinping ’は習近平・国家主席が北京で招集した「文芸活動座談会」における談話に対する批判である。
シュエツン氏によれば習近平・国家主席は市場主義経済のもとで出版されている俗悪な文学を批判し、社会主義に奉仕する文学が求められていると語ったとされる。作家は中国国家=中国共産党の目的に従って表現活動を行うことが要請される。
シュエツン氏によればこれは談話に過ぎず、法的効力がただちにあるわけではないが、いずれは出版界の基準となり、文学賞の基準となり、また検閲を受け入れることになるであろうと警告する。国家が文学や芸術を統制する危険性を訴えたのである。そのモデルは1942年に毛沢東が行った文学と芸術の談話であり、その結果、文学も芸術も中国共産党のプロパガンダに奉仕するものとなってしまったと指摘した。
人民日報はこの時の習国家主席の談話を紹介しているが、一部は以下のような文章である。
<習総書記は「文学芸術は時代の前進ラッパであり、最もその時代の姿を代表し、気風を先導することができる。奮闘目標『2つの百年』を実現し、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現する。文学芸術従事者はこのような高みから文学芸術の地位と役割を認識し、自らの担う歴史的な使命と責任を認識し、人民中心の創作指向を堅持し、時代に恥じない優れた作品をより多く創作すべく努力し、中国精神を発揚し、中国の力を凝集する必要がある」と強調。>
これはかなり激しい国家のための文学という文学観である。仮に日本の小説家が〜たとえば高橋源一郎氏のような人が〜自民党政権から、日本民族の偉大な復興という日本の夢を実現するために時代の前進ラッパとなるべきだ、と説かれたらどうか。国家の栄光のための文学、国家の栄光のためのスポーツ。習国家主席のこの言葉の中国を日本と言う言葉にもし置き換えたら、極右思想家に思えるかもしれない。
さらに、文芸講話で習国家主席は市場主義のもとでの文学の実情を批判する。
<「文学芸術は市場経済の大潮の中で方向を見失ってはならず、さもなくば生命力を失う。低俗は通俗ではなく、欲望は希望を代表せず、単純な官能的な娯楽は精神的充足とイコールではない。文学芸術活動家は志を高く持ち、時代に伴い革新を行い、自らの芸術的個性によって革新を行う必要がある。良い作品とは、社会的有益性を最重要視すると同時に、社会的有益性と経済的有益性の統一された作品であるべきだ。文学芸術は市場の奴隷となってはならず、拝金主義に満ちてはならない。優れた文学芸術作品とは、思想上、芸術上成功すると同時に、市場においても歓迎されるものであるのが一番だ」と強調した。>
習国家主席がどのような文学観を持とうと習氏の自由だが、中国と言う国ではそれが一国全体の文学の基準になると、シュエツン氏は警告している。
■NYT ’The Art of Xi Jinping’
http://www.nytimes.com/2014/11/22/opinion/murong-xuecun-china-the-art-of-xi-jinping.html?_r=0
■ソ連と自民党
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