2014年12月25日22時50分掲載
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文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(11) 「後の世にかかる兵器は使はざれ署名運動にわが名したたむ」 山崎芳彦
井伏鱒二の小説『黒い雨』(新潮文庫、昭和53年版)を読んだ。これまでに何度か読んでいるが、歌集『廣島』を読んでいる中で読み直そうと思ったのだ。最近になって、川上郁子著『牧師の涙 あれから六十五年 老いた被爆者』(長崎文献社、2011年1月、第2刷)を読んだこともきっかけになった。また、集英社の刊行になる「コレクション戦争と文学」第19巻の『ヒロシマ・ナガサキ』(2011年6月、コレクションの第一回配本)に収録されている作品も読んでいる。歌集『廣島』を読んでいるさなかに総選挙があり、安倍政権の与党を“大勝”させる結果になり、それが有権者の52パーセントの投票率で、全有権者から見ればほぼ四分の一の得票によるものであったことを考えると、暗澹とするし、このまま安倍政権の専横を許すことになれば、かつてこの国が歩んだ「戦争の歴史」、人びとが塗炭の苦しみの中であえいだ時代への逆戻りの一里塚を踏むことになると恐れる。
『黒い雨』は1965年から1966年にかけて文学雑誌「新潮」に連載されて1966年度の野間文芸賞受賞作品で、深刻な原爆被害を描いた小説として高い評価を受け、1989年には映画化もされた小説だが、作者である井伏鱒二(1898〜1993年)が詩人の神保光太郎との対談(『井伏鱒二対談集』、新潮社文庫、平成8年刊より)で、『黒い雨』について語っている部分があり、興味深く読んだことがあった。改めて、少し拾い読みしてみたい。
神保の「僕は『黒い雨』を一読したが、その残酷さがたまらなかった。読み通すのに相当努力した」との言葉に対して、井伏は、
「あれはルポルタージュです。あんな前例のないことは、空想では書けないもの。僕の書いていることは、あの出来事のうちのほんの一部分ですね。体験者の一人一人が、あのことを、各自、別な目で見ているんだ。だから、まとまった記録をつくるなら、大勢の作家が、大勢の人から素材をもらって書いて、それを合本にするといいね。僕のは、おもに三人くらいの人が見た世界だから、あれを体験した人や、あの地元の人は、あれではもの足りないんだ。もっともっと、物凄いものだ。」と語っている。
被爆者を看護した人に話を聞いた時の経験として、「話しているうちに、すっと息を吸い込んで、ものが言えなくなる。・・・あのとき、県内の一つの村から、二十人くらいの救護隊が広島へ出たが、山の奥の高原地帯で、今でも生き残っているのは、一村に一人くらいだ。そういう人に五人ばかり集まってもらって、経験談を録音にとった。・・・こっちはノートをとるような気持ちで談話を聞いているが、向こうは思い出しながら、話しているうちに、ある場面にくると、やはり、すっと息を吸い込んで、絶句してしまう。下を向いて黙り込んでしまう。こちらも、はっとする。これは気の毒したと、ノートをとるのもやめた。」
「中途半端な質問に対しては、向こうも話さないな。それから、向こうも、感じたとおりのことを言えないらしい。」
「(「暗い感じにおそわれなかったですか。」に対して)暗いと言うより真面目になってきた。それは小説を書く真面目さとは違う真面目さです。」
「僕は、ルポルタージュとして、戦争反対の気持で書いた。だから事実を尊重した。」
この対談の中で井伏は、「ルポルタージュですから」と何度か繰り返し、事実が大切なので、いろいろな資料を「熊手で掻き集めるように」集めたとも述べているが、自身が戦争末期に郷里である広島市から四十里も離れた「福山の町から四里ばかり北の郷里に疎開」(井伏は広島県深安郡加茂村出身・地名は当時)していて、広島市に原爆が投下された日に福山にいて、原爆の投下については知らなかったが、汽車が止まり乗客がみな降ろされたことや、翌日に被爆者たちが福山地方に帰って来たことを語っている。
「僕の村にも、三人、五人と帰ってきた。それが二、三日物凄い苦しみをして、ことに足などに傷のある人は、よけい苦しんで、みんな死んでしまった。それから十日二十日すると、タブロイド判の中国新聞に、あるお医者が、お灸がいいと言ったと出ていた。そうすると、被爆で死んだ近所の人などは、伝染すると思っているから、お灸した、という話もあった。」
「僕は、おりから胃潰瘍で、隣村の医者にかよっていたが、原爆の落ちた翌日などは、ひききらず近村の被爆者の家族が、そのお医者を呼びにくるんだ。どうも治療法のわからない病気だと、医者は首をかしげていた。どうしようもないのです。一時的に治療として・・・注射したそうだが、そんな薬は一日でなくなったと言っていた。」
(神保の「あれには、そういう井伏さんの体験も相当入っているのですね。聞いたことだけではなくて。」という言葉に対して)
「むろんそうですが、体験者からいえば、あれに書かれているのは、ほんの一部だ。とにかく、ひどいもののようだ。目茶だ。だから体験した人には、僕のルポルタージュは、もの足りない。あれは、ベトナム戦争がさかんなころ、戦争反対の気持も含めて書いたのだが、戦争推進者にたいして全然無力です。」とも語っているが、この作品が無力である筈はない。
対談からの拾い読みで、『黒い雨』の内容は紹介できないのだが、新潮文庫の裏表紙に記されている惹記の紹介文を記しておき、未読の方にはぜひ一読されることをおすすめしたい。
「一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島―罪なき市民が負わねばならなかった未曽有の惨事を直視し、一被爆者と“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆と言う世紀の体験を日常性の中に文学として定着させた記念碑的名作。」
まとまりのない、けれども筆者としては幾度か読んだ『黒い雨』を改めて読み返しての思いと、原爆による惨事と被害者の苦難を結果した戦争の歴史を省みないばかりか、歴史の真実を改ざんする安倍政権の継続を許してしまった総選挙の結果をもたらした社会の現状への苦い思い、そして己の無為への自責の念がつながってのことである。お許しをいただきたい。
歌集『廣島』の作品を読み続ける。
◇白鳥きよ 無職◇
傷負へる兵よろめきつつ力つき背おへとをみなわれにすがり来
呼びかけられそれと知りにき焼爛れ形相変れる親しき人を
天こがす火群に焼くる魂と云はむ沈む太陽血の色なせり
吾子いづこ牛田山より夜をこめて焼つぐ街に向かひて祈る
子を抱き坐りしままの姿勢にて黒こげとなりし母も居たりき
公用の腕章つけし兵ありて焼死の妻子を火葬に附し居り
いななきも動きも得せず火傷負へる軍馬は焼けたる樹につながれて
街道の屍を越えて血みどろの人等がつづく仮病院へ
教室も廊下も足のふみ場さへなくて校庭に血みどろの群
壊れたる庇の下に這ひよりて夜露さけつつ人うめき居る
行けど行けど視界さへぎるものもなく方角もたたず瓦礫の中に
焼とたん葺ける木片の小屋中に人間の姿が生きてうごめく
命のみ生きながらへて幸ならずある時は爆死を羨(とも)しみにけり
後の世にかかる兵器は使はざれ署名運動にわが名したたむ
天井のなき仮家に四年住みすきもる風を気にせずなりぬ
われのみがとり残されし思ひにて建ちつぐ家を眺めつつ通る
ここにまた夏は来りて草しげる地に幾万のいかりはひそむ
◇橋本くに恵 事務員◇
この辺吾が家とおぼし焼跡に佇てば蜆のあまた殻あり
真夏陽に倒れて臥せば雑草の激しき匂ひ吾が火傷(きず)に触れ
吾が呼べど母の応(いら)へのなきしじま瓦礫に佇ちて涙垂りつつ
かの朝に母が濯(すす)ぎし縞木綿僅かに焼けず吾が視野を射る
看護(みと)らるることなく母は死にたらむ爆音しきる廃舎の中に
相離(さ)かる母とも知らずかの朝も抗ひて出たる吾にありしが
かくすにはあらね醜きひきつれを左手にかぶする慣ひつきたり
飢ゆゑに母と気まづくありし日をかなしみ想ひ白き飯はむ
気短かの兄丹念に吾が火傷(きず)の手当を了へて太き息つく
ひとひらの紙の袋に灰となり吾が掌(てのひら)に帰りたる母
◇橋本桃村 教員◇
ビユーンと云ふ炸裂音のたまゆらに青く黄ばめる火柱の立つ
家裂けて倒れしあとのわが町は一とき黄色な瓦斯臭のなか
ボロボロの被爆者のなかに眼が見えぬ眼が見えぬと訴へる若き女
兵隊さん鏡を見せてと云ふ女の眼から耳から蛆のはひ出づ
屍体を掘り屍体を焼けり校庭の柳しだれるほとりに今日も
日がな一日瓦を運び夜となれば星光(かげ)見ゆるあばら屋に寝る
瓦運ぶくらし一日萎(なえ)にけり米なきを訴ふ妻に答へず
秋深く生計(くらし)はいよいよつまり来ぬ風にふかれて焼跡を行く
糠団子に添へてうからが食みゐるは焼跡に摘みしアカザ鉄道草
青き火の冷く燃ゆるまぼろしは限りなく拡がる焼跡に来れば
原爆の厄にも遭はで富めるらが再軍備説くを我はかなしむ
◇花畑 進 郵便局員◇
幾万里波涛越えたるビルマ路に原爆の惨報じきたりぬ
戦ひに吾生きたれど広島の家族如何にと思ひめぐらす
ローソクのゆらぐ灯影に読み続く原爆記事に集ふつはもの
広島を遥かにしのび今宵また南十字星に祈り居るなり
罹災地の区域示せる広島の地図受け取るとさわぐ吾が胸
原爆の火災区域に吾が家あり望も絶えて吾娘の面影
到着の日時知らせし電報も無駄となりしか待つ人のなし
夜もすがら吾が家探さむ思ひをば危険と言ひて警官の止む
疲れたる人あつまれる職安に吾も坐し居り暗き片隅
追放令該当者にはあらねども雇ふ人なし軍籍のたたりて
爆心地訪へば人なく仄暗き祠に太きローソクの燃ゆ
独逸より遥か海路を越えて来し平和の鐘は今鳴り響く
◇林野 明◇
べろべろに剝れた皮膚ひきずり、焔に追はれ水を求めて逃げまどふ人の群に降りくる黒き雨
くわつと、見開いた眼、叫んでいる口唇、天日を抱くが如き 少女の裸像。
生きたまま 積み上げられ 焼かるる人間の山、山、山、崩壊の街に白暮がながい。
原子閃光に曝された皮膚、笑つても、憤つても、動かない皮膚、少女の恥らひを押かくしたまま。
◇原 時彦 商店員◇
あはれあはれいくとせへなば消えうせん華子の首のケロイドの色
はらわたの煮える思ひあり原爆に奪はれし子のすがた思へば
安らかに冥せよと念ひつつもやるかたなきわがいきどほり
◇原田節子 看護婦◇
ケロイドの軽きも頬にあるわれは意識し紅を濃くつけ来たり
光線を浴びたる側の肌黒ければ見合の朝も化粧濃くしぬ
寄宿舎の燃ゆるかたへを入り行きてカーテン裂き取りまとひ逃げたり
ムスビ三つ漬物二切が配られてひと日の痛みを校舎にて耐ふ
白血病で逝きし幼子解剖の骨髄の様は忘れ得ずして
八年を原爆の火傷腕に持つと意識は消えで生きて語りぬ
◇原田君枝 主婦◇
狂ほしく我が喚ぶ声にこたへしかひくき呻きのいづこよりか聞ゆ
うめく声は此処かと思ひ飛び降りし我が足先に夫の脚ありき
生埋めの夫掘り出すと素手で掻く瓦礫の山はなかなかに潰えず
南無やなむ潰れであれとかき抱き掘り出でし夫に息は通へり
脈をはかり背を撫でさすり呼び生けし夫の頭より血汐ほとばしる
止血帯ほどこす間にも「火事なるぞはやく逃げよ」と呼ばはる声す
夫を援け看護婦を率ゐ逃れゆく街の彼方に火焔渦巻く
動脈の切れしと覚しき我が脚はくも踏むごとく頼りなきかな
血しとどの脚ひきずりてのがれゆく街の家家みな倒れ伏す
黒焦げの脱線電車の蔭にしていろ鮮やけきトマトを拾ふ
「許させ」と掌を合せつつ救け呼ばふ人を見過し夫護(も)りてゆく
やうやくに眼の先昏く息くるし早これまでと草に横たはる
うすれゆく意識の底ゆ遊学の吾子がおもわのうかびて消えず
青葉もほのほと為して火の舌はうなりをたてて又も襲ひ来ぬ
頭打ちて脳震盪の我が夫はをさな児の如く水欲りてやまず
肩を寄せ扶け合ひつつ行く士官のあらはの背中やけただれたり
水呑めば頬より洩るといふ夫の顔を抱へて泣く若き女
屍を焼くとふ薄青き煙(むむり)流れ来ぬ居合す人等皆合掌す
草に寝て迎へし晨(あした)練兵場の広きが中に人等声なし
◇春名重信 高校学生◇
いささかの脇見するさへ隊長は走り来て乙女の面を殴る
◇檜垣干柿 元会社員・無職◇
竹垣に囲はれて咲く夾竹桃このあたりにて吾子は爆(うた)れし
原爆に倒れし家のそのままに青海苔を干す春の萠(きざ)して
◇彦坂重三 国鉄職員◇
水かむり水かむりては火の中を遁れし少女腕つりてくる
比治山のちかくきたりて田の稲は変色しゐる放射熱うけて
石にかけもの思ふごとしづかにもいのち切れたる人のありたり
◇平井 亮 農業◇
火傷(ケロイド)の翳もつ民の武器もちてたたぬをあはれ無力とするな
閃光の影焼きつきしビルひとつ虚空に浮きて夕陽あまねし
腐食して水に還りし精もあらむ川夕映えてひととき紅く
夏ひかりきらめく川の面に映えまざまざとして廃墟のすがた
焼跡のドーム見えゐる屋上に紅き金魚をかなしみにけり
◇平賀松枝 農業◇
原子爆弾とどろくさなかたちまちに夫は逝きまししか吾子もあと追ひ
まぬかれて十年経にけりひたすらに子らにひかれて日日を耐へつつ
◇平野美貴子 無職◇
大根を重ねる如くトラツクに若き学徒の屍を積む
おそひくる陣痛の痛みにうづくまる我にむすびをくれし人あり
空襲の合図と共に生れ出し吾子板の上にそのままにあり
点眼の薬さへなく生湯なくみつむる吾の胸うつろなり
赤くはれし乳首求めてみどりごはあはれ泣けども乳ひとしづく出ず
爆音に人人逃れど只一人吾子を抱きて唇をかむ
斑点の出でそめし姉と泣く吾子にうすき重湯を半半にあたふ
ボロボロと脱けそめし姉の頭髪をそつとかくして涙拭ふも
誰に訴へ誰に叫ばんこの怒りせつなきままにあてどなく行く
◇広瀬 勇 受刑者◇
原爆の投ぜられしといふ街にいま囚はれて生きのび居れり
◇深川宗俊 印刷業◇
事務室に入りゆきしとき音もなく炭素弧光の眩しき光り
爆音につづきて紅蓮の焔とも見ゆる視界は一瞬なりき
幾筋か火焔たちのぼる空を蔽ひ乱層雲西に移りゆく見ゆ
黒き雨降りくれば油なりと叫ぶ声一瞬ざわめく傷つきし群集
べろべろと剥がれし皮膚をだぶつかせ火焔のがれくる裸形の男女
へし折れし鉄骨もあり電線をくぐりては行く焦熱の街路
耳をつきはじける音よ米麦の倉庫の外壁いま崩れ落つ
真夏日の直射は焼痕にうづくらし日蔭日蔭よの声切なくて
焼け爛れし裸体は少女よ日輪を抱くがごとく天に叫ぶも
妹の事務室に入れば鉄かぶと焼けただれしままころがりてをり
死体みればみな妹に見ゆるなりこの幻影は拭ひがたくて
顔形わからねばただ見覚えのワンピースの色さがしうろつく
探しあぐねとぼとぼ行けば死体に群る幾百の蠅うるさくまとふ
虚空つかみ熱(あつ)いよ熱いよと少女のこゑ呪ひのごとく日蔭なき街
天を抱くがごとく両手をさしのべし死体の中にまだ生きるあり
今宵また人焼く焔立ちのぼり空に風なく星かがやきて
焼けただれし廃墟の街に死の静寂(しじま)寄せくれば切なき夕映えの色
夕暮れて鳴く鳥もなし腐りゆく人間の臭ひ焼跡の街
崩れ残るビルあり星空かがやけば焼原の街に記憶をたどる
腹わたのいでしままにて走りゐきといふのみにて君の死体わからず
裂けし腸ひきづりつつ遁れゐし君のこときみとわかればなほ切なかり
原爆の街遁れ来て幾日か夕近くより君血を吐きつづく
暮れ凪ぎて川ふたわかれするところ平和塔に淡くともす一つ灯
みすぼらしきわが影をおく爆心地にひかり夕澄みデルタの流れ
地区にハタをとりに行くといふ少年と終電車にて今日もであひぬ
焼跡の湧く水汲みて去りゆきぬ瓦礫つみ寒を堪ふる幾人
爆心地夕べあかるく降る雨に少年濡れて麦を蒔きをり
職のなき苦しみに経し幾月か夕べの雨の街に疲れぬ
バイブルのビラ持ちて立つ外人のこゑやさしきにうつむき歩む
広島の空みだしゆく爆音よ静かなる川の流れは暗く
そこごもる爆音さりし丘の上原爆研究所の灯が淡淡し
ひそかなる地熱よ燃えよ街上にビラ撒きて囚はれ行くひとりの少女
揚陸を終へし戦車の群よ波しぶく日本の埠頭の深き翳(かげ)りよ
このくにをあるひは障壁と呼ばしめて波荒く小さき日本列島
閃光にいのちを断ちし人影のうすれゆく日日の暗きに生きる
かたむいたひさしの暗い部屋に伏す少女の原子症は肺を侵しき
やはらかい髪にて眸をおほひゐしきみのケロイドをわれは知らざりき
むらさきの斑点がでたのと言ふきみの兆す不安の瞳とあひき
ぶらさがりし皮膚さへわからずおどおどと流れる焔の水に入りしか
少女らの祈りをこめし輸血さへいのちひびかず君逝かしめき
十字架の前に恥づべし自らを反逆の徒となりしル夫人よ
川透きて骨がみゆると言ひしときああすべてが崩れゆく日の幻にみる
列島にひそかに降りつぐ原子灰にをののきつつ生くる日日をみじめに
死の灰を降らしつづくる環礁の空の暗がり果てしなかりき
抵抗のこゑはひそめて流れゆく武器持たぬ貧しき群集の群
◇深崎道子 教員◇
顔も手も焼けただれゐて声のみがわが肉親を知るよすがなり
焼けただれ皮垂れし指をおろおろと母は一本づつ繃帯をする
蝋燭は燃えつくしたり広島の焼けゆくあかりに姉をみとれば
あかあかと街の燃えゐる夜十二時焼けふくれし顔が「さよなら」といふ
一瞬に十萬の命奪ひしかの国がMSA援助をおしつけてくる
(つづく)
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