2015年01月05日15時01分掲載
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沖縄/日米安保
赤ちゃんたちの沖縄戦 『沖縄タイムス』紙から
1月4日付の『沖縄タイムス』の記事。「沖縄少ない1945年生まれ、赤ん坊に過酷な戦禍」。糸満市の戦災調査をもとに、1945年生まれが極端に少ない事実を指摘、乳飲み子が戦火の中でいかに過酷な生を強いられたかを紹介している。(ベリタ編集部)
沖縄戦があった1945年の前後に生まれた人々は他の世代に比べて少ない。最大の激戦地となった糸満市は、沖縄戦当時に本籍があった市民を対象に戦災調査を実施している。それによると、45年1月1日から、沖縄の日本軍が降伏調印した9月7日までに県内外で生まれた赤ん坊は318人で、36年からの10年間の同期間では最少。最も多かった43年の755人と比較すると、4割余にとどまった。
このうち、県内で出産した母親は196人で、誕生したのは双子も含めて198人。戦没者は母親が28人(戦没率14・3%)に対し、赤ん坊が81人(同40・9%)で、赤ん坊の戦没率が母親の約3倍に上った。
また赤ん坊の戦没率は、母親生存の場合は33・1%なのに母親戦没では86・2%に跳ね上がり、赤ん坊の生死が母親に委ねられていた実態がうかがえる。
同市史編集委員会は、「戦争被害としてどこにも表れないが、流産した子どもや母親とともにおなかの中で絶命した胎児の存在も、出生人数が少ない要因の一つであることは明らかだろう」と分析している。
国勢調査でもはっきりと結果は出ている。1990年国勢調査を見ても、不自然に人口が少ない同様の傾向が読み取れる。例えばこの年の沖縄県内の44歳は男女合わせて約8千人だが、43歳は1万6千人余と、わずか1年の違いで人口が倍増している。
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