2015年01月10日13時06分掲載
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文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(12) 「悲しい日をほんたうに悲しめないお母さんたち、ビラ読む眼がぬれてひかる」 山崎芳彦
アメリカは、1945年8月6日、9日に広島、長崎に原子爆弾を投下し、歴史上初めての核兵器による無差別大量殺戮・破壊の戦争行為を行い、その惨禍はまさに反人間の極みというべき核被害を無差別に、被爆者にもたらした。その翌年1946年夏に「クロスロード作戦」なる核実験シリーズをマーシャル群島のビキニ環礁において行い、さらに1954年には同じビキニ環礁で水爆実験を含む核実験シリーズ「キャッスル作戦」を実施した。この1954年3月1日の水爆実験によって日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被災し、乗組員23人が大量に放出された放射性物質を含む「白い灰」を浴びた。同船の無線長・久保山愛吉さんは9月23日に東京大学附属病院で死亡した。「水爆犠牲者第一号」となったのだが、アメリカはそのことを認めてはいない。他の船員の健康被害も深刻なものだった。
今年に入って、厚生労働省が、当時ビキニ環礁付近で操業していた漁船の船員について健康影響調査に乗り出すことになったことを、毎日新聞が1月5日付朝刊で明らかにした。それによると、被災船は全国で少なくとも500隻、被災者は1万人に上るという。(実際にはもっと多かったといわれる。)被災からすでに60年を経ようとしている。これまで、国はビキニ水爆実験による被災について調査した記録を、被災時に米国に提供した事実や、その記録があることを隠蔽してきたのである。市民団体「太平洋核被災支援センター」による記録開示要求(2014年7月)によって、今回の調査への道が開けたのだが、今後、第五福竜丸以外の漁船員の、すでに死去された被災者も少なくないであろうが、病歴や現状について、どこまで実態が明らかにされ、対応策が講じられるか、国の責任は重い。医療記録や医療関係者、漁業関係団体や被災者について知っている人々なども含めて、徹底した調査がなされなければならない。それにしてもこれまでの間、被爆した多くの船員について放置し、追跡調査、医療措置のために手を尽くそうとしてこなかった国の罪は大きい。
世界最初の核被害国であるこの国の核をめぐる政治,科学・医学など学術界などの歴史は、なんと理不尽で不条理でありつづけてきたのか、そして現在もそうなのであろうと、改めて思わないではいられない。
広島、長崎の原爆被災の実態と本質の徹底した研究と究明がなされず、米国の占領下には原爆の被災の過酷さについて明らかにすることもできない状態にあり、その後も国による被災者に対する人間的な救済と支援が行われないまま、被爆者は苦難の生と、そして病と死に向き合わなければならなかった。今日に至っても、原爆症認定をめぐって国は非情不当な姿勢をとり続けている。だれも責任を取らず「戦争による被害の国民の受忍義務」論がまかり通っている。
自衛権の名のもとに「海外派兵・武力行使」ともいうべき行為を正当化する法制度を企み、秘密保護法など国民の知る権利、報道・言論を抑圧することになるに違いない政策を進めている政権の下にあるこの国である。この国の歴史を、改めてしっかりと見つめ、歴史修正主義の横行を許してはならない。
ビキニ水爆実験被災については1955年初頭に「アメリカの法的責任を問わない」ことを条件としての200万ドル(当時のレートで7億2000万円)の「慰謝料」(見舞金)で日米政府間の政治決着(完全決着)し、実際の被害の十分な調査を行わないという欺瞞的な「取引、あるいは日本政府の米国政府に対する屈服」があったのである。その裏で、原発導入をめぐる闇の中の動きがすすみ、原発列島への端緒が開かれたのはこの時期であった。
ビキニ水爆実験についての日米間の「政治決着」の過程についても詳細に検証している高橋博子著『増補新訂版 封印されたヒロシマ・ナガサキ 米核実験と民間防衛計画』(凱風社刊、2013年5月)によると、アリソン駐日米大使と重光葵外務大臣(いづれも当時)間の書簡のやり取りが明らかにされており、その結果の決着について、
「水爆による犠牲者が出たことに対して米国政府がその責任を認めたわけでではなく、対日心理戦略の一環として拠出された見舞金によって、日本の世論を鎮静化する目的で支払われたにすぎない。さらには米国議会との議論を避ける形で実行されたので、真相究明を求める動きは日米両国とも封じ込められてしまった。/このように、米国側が拠出した二〇〇万どるは、法律上の責任問題とは関係なく見舞金(原文: exgratia)として支払われ、その配分は全面的に日本政府が行うことになった。」
「日本政府にまとまった金額を渡し、その配分をまかせることによって『我々は日本政府から解放され、その時点から彼らに責任がかかる』とアリソンが述べているように、この時点でビキニ水爆被災に対する日米間の完全決着(原文:Full settlementt)がなされた。つまり実際の被害を充分に調査した上で、的確に補償していく責任を、日米両政府とも放棄したのである。」と、高橋氏は述べている。歴史の事実であろう。
同じような日米政府間の、あるいは政府と歩を同じくする公的・私的民間団体や企業の間で、核に関する共同謀議や主従関係による闇の世界が構築されてきていることは否定できないと思う。沖縄返還をめぐっての「核密約」問題はその象徴的なことだったといえる。
また、福島原発事故による被災の実態と現状、掛け声だけの「復興推進」の下で、人びとはどのような生活を強いられ、今後どのようにされようとしているのか。いかに政府・東電による欺瞞的な対処のもとにおかれているか。そして政府や電力企業は「原発復興」を推進していることを見据えていかなければならない。
歌集『廣島』の作品を読みながら、その一首一首が伝え残した真実を、この国の歴史と現実に引き寄せて読み取りたいと思う。
◇福井綠風 鉄道職員◇
生きものが持つ本能に還り来て原子砂漠に点(とも)したる灯よ
原爆に広島が焼かれ再びを戦争なしと易く信ぜし
火傷深く顔に癒えたる人も亦闇米を負ふ群と追はれぬ
次次に一家が下痢に伏せる日を子のための飯這ひ出でて焚く
赫錆びし砲車一台埋りて草に秋立つ焼けし城跡
◇福田和子 無職◇
焼けただれ膨れあがりてどろどろと流るる屍体の一つはわが姉
黄の汁は垂(た)りつつ姉が生肌をじわりじわりと焼く火思はへ
いつ子ちやんもその母姉も眼(まな)を剥(む)き歯を剥き出して髑髏となれり
赤き手がによきによき生ふる幻覚を踏みつつゆけり大田川の辺
◇福田栄代 無職◇
人びとのにげゆく方へ我もまた夢遊病者の如く歩みぬ
子をねかし毎夜止血の練習もわが一人の手当なし得ぬ
勝つまでとお粥代食たべさせて死せし我が子の霊にあやまる
全身のやけどの痛みたへかねて水をかぶるをそこここにみる
◇福原静雄 農業◇
もみぢ葉の如き赤児の手の遺骨アルミの箱に持てる母親
手を合せ救ひもとめし人人よ遁れしあとも面影去らず
行きずりに微笑みながら近づきて吾子をあやしし乙女ありしが
朝夕にみにくき肌をいたはりて鏡の前に粧(よそほ)ふ妻は
安らけき日もありしにと涙ぐむ夜半目覚めゐて明日を思へば
◇藤井文子 看護婦◇
一夜中炎のなかにみとり終へ焼原のぼる朝日を拝む
夜の明けを冷たくなりし死かばねを焼場にはこぶ担架がつづく
焼けただれふくれあがりし屍の蠅うちはらひ食器を洗ふ
おのが名もいひぬ男の子焼けし手に焦げたる生徒手帖さし出す
人を焼く焔の明りをたよりとしこよひも看護のメモをしたたむ
◇藤岡 貢 受刑者◇
九年をひたすら平和を希ひけり原爆症の皮膚を撫でつつ
九年を経にし今なほ我が耳朶に消ゆる時なし水を乞ふ声
◇藤田勝三 呉服商◇
爆風に柱傾き破れたる家毎に人住み入りて居り
広島の北をめぐりて走りゐる汽車あらはなり焼跡の涯を
骨片のちらけてもゐむ原爆の未整理地なりつつしみて踏む
◇藤田辰馬 公務員◇
己斐山に逃れては来つはるかなる土橋のあたり火焔は迫る
助け合ひはげましあひてましぐらに逃れし己斐の山は血にしむ
一度は生きて語りし君なるに血を吐きあへぎ遂に逝きけり
牛田町工兵隊の営庭のあの日の土に夏草茂る
◇文野 勇◇
大理石この下に兄は埋もるるか吾が手はふるひ心とどまる
◇古川春子 教員◇
失ひし友の面輪の顕つゆふべ眼にしみて赤し庭の百日紅
葉を垂れてゆふべはねむる街路樹も焼けただれたる痕を残せり
耐火煉瓦も燃え落ちて鉄の柱のみ網の目のごと残りたりビルは
石油かけて人の山を焼く惨酷もたたかひなれば省りみるなし
かの日わがいのちを生きし記憶さへまざまざと暗し八月六日
白血球が幾万を数へるといはれつつ今日のつとめとミシン踏むわれは
疲れやすきからだひつそりと生きてゐつとほき世よりの負ひ目のごとくに
青白きわがいのちひとつ生きてあれば眼にいたいたし空の茜も
われと同じ症状の人知りしより何か親しきこの病院も
うすく小さき胸乳の上に手を重ねひそかに眠るひと日の果てに
原爆乙女と宣伝されつその深き胸のかなしみにふるることなく
◇堀江経子 主婦◇
髪は抜け斑点うくと伝へきく我朝毎に肌をみつめる
久久に会へば互ひに知り人の生き死にのみを語り合ひたり
ピカドンと誰いふとなく伝へたり此のひとことを忘れ得ずして
◇間賀田道子 教員◇
焼け拡ぐ火焔をくぐり生きの身の命愛しみて父のがれ来し
素足にて額の傷もいたましき父の命を故郷に迎へつ
◇槇野弘吉 鍼灸医◇
父母(ちちはは)の逝きてさみしく八年の思ひ出悲し広島の空
◇増岡敏和 工員◇
一ヶ月も二ヶ月後も人間の束が積んでは焼かれお化けの束が積んでは焼かれ
父が逝き妹が欠けたる食卓に買出しの母を夕べ気遣ふ
悲しい日をほんたうに悲しめないお母さんたち、ビラを読む眼がぬれてひかる
街を歩いて逢ふ友がみんな失業、病んで眼だけひからせてゐる
原爆を落としたから平和がきたんだといふ詭辯にまどはされぬ涙がある
「平和」の花咲かさうとて咲かぬビキニの灰だ、アメリカの孤立いよいよ深まる
「安らかに、過ちはくりかへしません」といふ墓碑銘はウオール街にでんと建てよ
◇増田敏雄 養豚業◇
降り立てる己斐の駅より一望は赤き焦土にて比治山ちかし
焼け枯れし比治山目あてに戦友と互(かたみ)に励まし瓦礫を越えゆく
焼瓦散りしく敷地をもとほれど父母の行先問はむ人もなし
牛田なる一休庵先生いましたり泣けて来るなり師も泣き給ふ
市役所に将た警察と尋ね歩き町会事務所にて父母の死を知る
出勤の途にて受けし原爆とて屍もわかぬ父の死といふ
生き残るたつた一人の肉身ぞ疎開地飯室に弟と抱き合ふ
原爆を作る国と原爆を落された国一つ地球の上に
◇益田美佐子 教員◇
臨終の水を求めて呼ぶさへも数多ければかかはりきれず
少年の屍と見れば顔よせて吾子ならじかと覗きては行く
焼け爛れ見分けもつかずなり果てど穿てる靴はまさに吾子の靴
やうやくに見出し吾子よと伏し抱けば已に呼吸なき亡骸答へず
大豆混りの配給むすびが枕辺に一つころがりをりて吾子已になし
今一時間早かりせばと手に触ればかすかに残る肌のぬくもり
焼けただれむくみし吾子は両腕の膚も剥げて肉あらはなり
グロテスクにむくみし吾子の亡き頬にめり込める大豆をねんごろに除く
かたへなる患者に吾子の臨終を聞かんと顔上げ涙をのごふ
原爆に身は焼かれつつ離れ会へぬ父母を案じて語りしといふ
愛し子の屍を焼くと野に積みし薪に火をつく音にも泣きつつ
命とも吾が愛しむ独子を奪ひてなどか吾をのこせし
生きてあらば大学終へて世に出でん吾子思ひつつ雪の道ふむ
独子に吾が傾けしこの生命今は幾百の教へ子に注がむ
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