2015年02月01日11時57分掲載  無料記事
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北朝鮮

「日本の学生は何度も訪朝してほしい」〜第3回日朝大学生交流報告会〜

 「南北コリアと日本のともだち展」という10年以上続く展示会がある。日本、在日コリアン、韓国、朝鮮の子供たちが書いた絵を1箇所に集めて展示会を開き、未来を担う子供たちが絵を通じて相互理解を深め、共に平和を願う友達同士になる場を作るという取組で、2001年に始まった展示会は既に14回を数えている。また「ともだち展」でまかれた交流の種は、2012年から日朝両国の大学生同士による交流会という形でも花開いている。 
 第14回目の展示会は、昨年の総選挙が終わって間もない12月18日から21日まで、東京・渋谷のこどもの城で開催され、期間中の20日には第3回日朝大学生交流に参加した日本人学生による報告会が催された。 
 
<第3回日朝大学生交流報告会> 
 
 報告会では、日本の大学生らとともに訪朝した「ともだち展」実行委員会代表の米田伸次さん(日本ユネスコ協会連盟理事)が、 
「平壌市大同江区域にある綾羅(ルンラ)小学校で8年ぶりに開催した展示会で、日本から持って行った絵を見た朝鮮の小学生たちが感想を書いてくれましたが、その1つに『いつか会える日に一緒に絵を描こうね。それまでお互い一生懸命勉強しようね』とありました。東北アジアの子供たちに『いつか会える』という言葉を書かせる状況に胸がぐっと来るのです」と口惜しさを滲ませつつ、日朝関係が非常に厳しい中、14回も展示会が続いていることの意義を強調した。 
 
 「ともだち展」実行委員会事務局長の筒井由紀子さんは、今回の「ともだち展」で特筆すべきこととして、朝鮮の現地メディアが初めて取材に来て、夕方のニュース番組でトップニュースに扱ってくれたことを報告するとともに、平壌で起こった1つ奇跡を紹介した。 
「私たちは、いつも『小さい頃の絵を通じた出会いが、いつか将来実を結ぶんだよ』と申し上げているのですが、今回の平壌展では私たちの気持ちを体現するような奇跡的な出来事がありました。それは、平壌外語大学日本語学科の学生2人が私たち訪朝団の通訳として同行してくれたのですが、そのうちの1人で大学4年の女子学生が綾羅小学校の卒業生で『小学生のとき、ともだち展に出展する絵を書きました』と言っていたのです。平壌外大に進学して言語を選択する際、初めて出会った外国人である日本の『ともだち展』訪朝団を思い出したそうで、『また実際に会ってお話できたら良いな』と思って日本語学科を選択したそうです。私たちはそれを聞いてびっくりするとともに感動しました。また今回訪朝した日本の大学生の1人は、小学生のときに『ともだち展』に参加して絵を書いてくれた人でした。『14年間活動していると、こういうことも起きるんだな』という感動が心に深く刻まれました」 
 また筒井さんは、平壌外大の学部長が、 
「日本語を習っているものの、実際に日本人と話する機会が無いという中で、学生たちには凄く貴重な時間であります。日本から教材をたくさん持ってきてくださったこと、そして日本人学生をたくさん連れてきてくださったことにお礼を言いたい」と発言したことを紹介し、「ここまで来るのに何年もかかりました」とこれまでの苦労が報われたことを喜んでいた。 
 
<なぜ交流に参加したのか?> 
 
 日朝大学生交流に参加した日本の大学生は、交流に参加した理由を次のとおり語った。 
 
「私の友人が、昨年の第2回日朝大学生交流に参加したというのを聞いて『ともだち展』の存在を知りました。また、私がインターンとして活動していたNGOが『ともだち展』の交流事業に携わっていたので、私も行ってみたいと思い、初訪朝しました」(中央大3年) 
 
「小学生のときに『ともだち展』に絵を出展したり、中学生のときにソウルで開催された『ともだち展』ワークショップに参加したりして、『朝鮮ってどういう国なんだろう』と思ってきました。そして大学に進学して日朝大学生交流のことを聞き、生で交流してみたいと思って昨年初めて参加しました。しかし、1回目の交流は驚いて終わった感じで、学生時代最後にもう一度違う視点で朝鮮を見聞きし、朝鮮の学生の生活を知りたいと思い、2回目の交流に参加しました」(千葉大4年) 
 
「初参加であった昨年の訪朝は、既にメディアで盛んに報じられている朝鮮を学生時代最後の機会に直接見てみたいと思って参加しました。しかし、ちょっと自主性が足りなかったかな、もっといろいろ学べることがあったのではなかったかなというやり残した感がありましたので、今年の交流にも参加しました」(明治学院大卒) 
 
「日本に入ってくる朝鮮のニュースは全てマイナス面ばかりですが、本当にマイナス面ばかりで出来ている国は無いと思うので、そこに住んでいる人たちの姿を自分の目で確かめたいという強い好奇心から、一昨年の第1回日朝大学生交流に参加しました。しかし、交流が中途半端に終わったところがあったので、もう一度交流を深めたいと思い、今回2回目の交流に参加しました」(一橋大4年) 
 
 コリアNGOセンター東京事務局長の金朋央(キム・プンアン)さんは、報告会の最後に 
「日本の学生の皆さんには是非2回、3回と何度でも訪朝してほしい。ともだち展は元々『今はなかなか会うことができないけれども、いつか出会いましょう』をコンセプトにやっていますが、今回交流に参加した学生たちのように、今でも頑張れば朝鮮の学生たちに会うことができます」と訴え、今後も「ともだち展」を通じて日朝の学生たちの直接交流の場を作っていくとの決意を語った。 
 
 日朝国交正常化連絡会共同代表兼事務局長の石坂浩一立教大学准教授は、11月30日に立教大学池袋キャンパスで開催されたシンポジウム「日韓国交50年の検討と未来への構想」の中で、自らがコーディネーターを務める第3回日朝大学生交流報告会について次のように語っていた。 
「報告会に向けて日本の大学生と打ち合わせした際、平壌に行ったのが2回目の学生と話をしました。その学生は、2回目の交流に参加した理由について『1回目の訪朝のときに出会った人たちが、その後どうしているのかが気になって、もう1回会いたいと思ったから』と語り、『機会があればまた会ってみたい、そのときに出会った朝鮮の大学生たちがその後どんな仕事をして、どういうふうに暮らしていくのか知りたい』と話していました。また、『自分たちが平壌で出会った人たちのことを、どういうふうに言ったら日本の同世代の若者たちに親しみをもって聞いてもらえるだろうか』とかなり悩んでいました。直接行けば分かることなのですが、みんなが朝鮮に行ける訳ではありませんので、訪朝した学生たちの思いをみんなで共有して議論すれば、何らかの前進が勝ち取れるのではないかと思っています」 
 
 日朝両国の関係改善は五里霧中の状況が続いているが、「ともだち展」や日朝大学生交流のような取組を続けることが、遠回りのようで、実は関係改善の近道かもしれないと思った。(坂本正義) 


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