2015年02月11日14時10分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(14) 「九日後の終戦の日に『原爆』の文字が始めて見ゆる我が日記帖」 山崎芳彦

 原子力規制委員会が、九州電力川内原発1・2号機に続いて、関西電力高浜原発3・4号機について新規制基準合格の審査書を正式決定する。原発の再稼働を前提とする許可を出すということである。すでに多くの原発が審査の申請を出しており、原発再稼働軌道を次々に走り出すことが必至の状況だといえよう。安倍政府の「原発回帰」国策が、さまざまな手法で促進されている。「再稼働」国策に応じる自治体に様々な優遇措置を講じ、応じなければ冷遇する。政府、原子力利権マフィアによる権力・金力がふるわれている。辺野古への基地移設に反対する県民の総意を受けて政府と対峙する沖縄県に対する対応の、まさに主権者を踏みつける安倍政権の姿である。原発についていえば、すでに再稼働を越えて、稼働年限の延長、そしてさらにリプレース(新設)許可への計画も、また核燃料サイクル事業推進方針も固められつつある。その先に自前の核兵器生産への陰謀が見えないか。 
 
 原子核の分裂により生み出される膨大なエネルギー、核分裂の連鎖反応を利用することで原爆が開発されたが、そのために原子炉が必要だった。原子炉は天然ウランを燃やしプルトニュウムを生産するために必要な装置として開発され原爆の製造に利用され、原爆が広島、長崎に投下された。そしてそれは原子力の平和利用の名のもとに発電用原子炉に転用された。詳しい原理や技術などについて筆者は知識を持たないが、いま改めて、原爆と原発はコインの裏表、切り離せないことを、現実のこととして確認しなければならないと思う。 
 この国が原爆の唯一の被爆国でありながら、原発列島化し、原子力社会となり、そして福島原発の過酷事故により想像を絶する災厄が惹き起こされ、人々が現在と将来にわたる苦しみを背負っている。原子力災害が進行中である中で原発再稼働、新設への国策と原子力利権マフィアの公然、非公然の策動がまかり通ろうとしているとき、いま安倍政権がすすめている戦争、武力行使ができる「世界の大国」へと向かおうとしている「逆流政治」、人びとの基本的人権や生活の具体に対する抑圧へと向かうさまざまな、しかし一束であるに違いない政治・社会の現実と合わせて、思わないではいられない。憲法改悪の日程があからさまに語られている。「国民の生命、財産を守る」を枕詞としながら「政策」を語り、憲法やこれまで積み重ねて来た平和や人権についての貴重な成果と真反対の閣議決定や法制度の改悪をさらに進めつつある安倍政権は、国民を死なせている。つい最近の、後藤さん、湯川さんの死についても、安倍政治・外交の責任は免れない。 
 
 先日、友人から『東京都北多摩東退職教職員の会 福島県南相馬市・浪江町を訪ねる旅』(2014年9月24日〜25日)の資料冊子を送っていただいた。福島県南相馬市から神奈川県川崎市に避難し、首都圏の人々と原発被災地との交流のための取り組みを積極的に進めている山崎健一さん(元高校教師)がまとめられた、中味ぎっしりの資料集である。全容を紹介する機会を持ちたいが、その中におさめられている山崎健一さんの2013年8月6日付毎日新聞に掲載された投稿「原爆に何も学んでいないのか」を、今回は転載させていただく。 
 「30年前の1983年に教職員仲間と、福島県相馬双葉地区に住む広島・長崎の被爆者を調査し、20人の体験談集を出版したことがある。 
 今回の福島第1原発の事故は、その被爆者にとっては2度目の『被ばく』になる。私も神奈川県に避難中だが、再調査してみた。20人中健在だったのは80歳前後の5人。原発から30キロ圏内に住んでいたので全国各地に避難を余儀なくされた。 
 津波と被ばくのため、乳牛60頭を手放したOさん。夏になると体調が悪化し原子雲の幻覚を見るというNさんは『放射能の恐怖になぜ2度も苦しめられなければならないのか』と怒りをあらわにし、Eさんは『原発の安全は裏切られた』と悔しがる。息子が原発関連会社で働いていたIさんは秋田県で入院し、震災直後に入院したKさんは意識が戻らない。2度も過酷な歴史に遭遇し翻弄されている方に、どんな言葉をかければいいのか。日本人は結局、広島や長崎から何も学んでいないような気がする。」 
 
 限られた文字数での投稿だから、山崎健一さんの言いたいことが尽くされてはいないのだろうが、このような声を挙げ、行動し続けていることの大切さについて敬意をはらわなければならない。山崎さんは、このような投稿をはじめ、さまざまな方法で発信し続けている。資料集には、貴重な内容が詰まっている。筆者は、このいただいた資料集から多くのことを学ばされている。 
 
 
 歌集『廣島』の作品を読み続けたい。 
 
 ◇宮田 定 警察官◇ 
焼けただれ顔かたちなき列つづき弟よ死んで居れよとも思ふ 
よろよろとホームに斃れ水欲りし重傷者はつひに動かずなりぬ 
無傷なりし一人の青年の土色の死の直前の顔思ひ出づ 
何やらむ新型爆弾とのみ判りゐて襲ふ機音に又逃げつづく 
一切が不明のまま死の恐怖あり吾ら一途に逃げつづけゆく 
延延とつづく罹災者の中にありて無傷の者は吾唯一人 
福屋ビルの残骸のみただ眼に近く一望のもと街潰えをり 
内暗く死臭ただよふビルの中に入りゆきて弟の姿を探す 
へなへなに崩えたるビルの鉄骨が疎(まば)らに見えて街焼け果てぬ 
濁りつつ今日も流れてゆく河の廃墟となりし街をめぐらふ 
焦熱の街のがれむとこの河に飛び込みし幾万の生命をおもふ 
弟は此処に死にしか一面の瓦礫の上に父と吾が立つ 
逃げのびてただ一人遠く父母をこがれ死にしと思ひたくなし 
見の限り燃え崩えし街に汗たりて探しあぐみき今日の一日を 
赤錆びて骨ばかりいまは残りたる螺線階段がありてひそけし 
踏みて立つ瓦礫の下に幾万のはらからのうめききこゆる如し 
ふと落ちし吾の視線にケロイドの跡も生生しき少女の手あり 
戦ひのなき世を願ふ吾が夢のあはれに小さく踏みにじらるる 
一瞬の光芒を身にうけしのみに八年経しいま死にてゆくあり 
 
 ◇宮田千代子 無職◇ 
燃え残る炎の熱気煽る中を吾子を求めてゆき暮れる母 
焼けただれた鉄筋がある橋がある廃墟の中に乞食が住まふ 
親もなく兄弟もなき子らはすでに十歳にして仏門に入る 
 
 ◇みやもと・まさよし 公務員◇ 
屍を越えこえてゆく炎の街にたちまちはげし黒き雨ふる 
性別をわづかにわかつ肉塊の重なる傍に一夜を明かす 
骨を尋ね疲れて帰る落日の廃墟の視野にわれはちひさく 
死体焼く焔いくつかたつ夜の街ゆきて人に逢ふこともなく 
かぎりなくつづく焦土の果にたつ虹見る幾人かいま生きてゐて 
髪ぬけて死にゆく君を看とりつつ明日知らざれば誰も黙して 
柿の葉が特効薬と知らせ呉れし彼も亦死す原爆症にて 
つぎつぎと死にゆくことを伝へあふ夕べ塩なき粥をすすりつ 
放射能つよく残るといふ瓦礫踏みつつ今日も務めに出づる 
治療せぬA・B・C・Cをいふときに鋭きことば君は放ちぬ 
水爆のニュースを伝へくるときにまた想ひ出づる彼の朝のこと 
石階に灼き刻みたる人の影薄れて誰も過去を語らず 
M・S・A調印を告ぐる新聞の原爆後遺症記事は隅にちひさく 
つつましくわれらが黙す夏の朝に祭りのごとき行事のすすむ 
 
 ◇六十部かず緒 受刑者◇ 
電光にも脅ゆる吾子の右頬に原爆の日の傷が残れり 
靴みがく児に父母はと尋ぬればピカドンで死せりとそつけなく云ふ 
結婚は致しませぬと眼を伏せし原爆乙女を慰むすべなし 
誰一人恨みませぬと云ひ終り原爆乙女は泣いているらし 
ケロイドの残れる妹は独身で生きむと夜毎ミシン踏み居る 
激情を押へて瞼とづる時あの日の妻の声ぞきこゆる 
 
 ◇向井恵美子 主婦◇ 
壕指して蘇る思ひ語れどもこの子等は知らず戦ひの日を 
原爆慰霊碑めぐりてロケ待つ群集に又一しきり雨ふりかかる 
赤旗かかげてロケ待つ日雇労務者の中にケロイドの媼を見たり 
比治山のいまだ稚き夏木立A・B・C・Cのドームは白く 
出血を止(とど)むすべなく愛し子の肌白白と死にゆきしとふ 
原爆ドームに八年の夏を草青し悲劇は過ぎてつづくかなしみ 
 
 ◇村上 弘 公務員◇ 
汗しみて火傷のいたみ耐へ難し友を励まし野の道を帰る 
よろよろと吾に寄り来し少年の焼け爛れたる腕を止血しやりぬ 
焼け爛れ恥部も露はに乱れたる女も居りき火傷の群に 
街燃ゆる上空にしてきらめきし機影は東の空に消えゆく 
駅近く街は焼けはて日照りする午後を死臭の漂ひ来る 
赤錆びし貨車に運び込まれゆく火傷せし兵ら声あげてゐつ 
海際の防空壕に人焼かれ見ゆる炎は夕べに赤し 
黄昏れし海凪ぎ渡りたる宇品港罹災者を乗せし船出でてゆく 
虫食ひの干薯なるに火傷せし人らはむさぼり泣きて食ひをり 
原爆雲と新聞に知りし頃よりぞ吾の火傷は膿もちてきつ 
原爆の炸裂を宇品にみたる母とき経て赤痢の如く血下る 
その子らの死したるを問はず語りして老婆は吾に茶を汲みくれぬ 
彼のときに壁にもたれし人の血か光とどかぬ廊下にありぬ 
朝の河は盛り上がる如く水湛ふ惨劇のありし日は遠くして 
公園となりてひそけき爆心地昼近くして児らの声する 
 
 ◇毛利美津子 主婦◇ 
空耳か母を呼ぶなる声ききて走りよれどもそは風の音 
姿なく骨さへ無残砕かれてその死をさへも母はみとらず 
川といふ川は惨たり死骸もて水の流れは面見えずして 
我のみにあらずと理性は解すれど子の愛しさにかくも狂ひき 
天もこげ地も焼け果つる広野原汝の御魂よ何処にかあらむ 
忠ちやん大きな声で汝を呼ぶ呼べど帰らぬ汝と知りつつ 
 
 ◇本谷正輝 教員◇ 
じりじりと真夏の太陽照りつけて忽ち孵化する傷口の蛆 
乳房もあらはになりてたけ狂ふ焔の中に消えゆきにける 
水を求む全裸婦人の視線さけ特急公用の我走り去る 
軍刀を杖の血まみれの将官にも止まる車なし見向く者なし 
水を欲る断末魔の声も聞えぬがに憑かれし如く人人歩む 
十四銭の大学ノートにぎつしりと書きつけて居り原爆当時を 
九日後の終戦の日に「原爆」の文字が始めて見ゆる我が日記帖 
その当時動員学徒たりし我が日記の歴史的価値を思ひつつ読む 
我が後の子にも読ませたきこの日記帖のしわを伸ばしぬ 
 
 ◇森 チヱ子 無職◇ 
呻きつつひしめく群れは裸にて殺してくれよと叫び狂ふも 
赤チンをぬりたる負傷者列なして魚ならべし如く横たふ 
今の今苦しみうめきゐし青年の静かになりて息引取りぬ 
麦飯のおにぎり持ちて遊び居る無心の少女よ母は逝きしに 
黒き蠅一団となり飛び立てり軍馬の死体埋没の箇所に 
今日も亦南瓜のにほひ一しきり貧しき夕げ母子にて摂る 
漸くにたどりつきたる山寺に亡きがらの如く父横たへる 
始め二三日親切にせし村人も臭しといひて近寄らずなりぬ 
連れて来られし時は満員なりし寺も次次と死に絶え少くなりぬ 
死に残りは早く帰れと悪しざまにののしられ身の置き所なし 
着たきりの簡単服をすすぎたり乾くまでしばし裸にて居り 
罹災者に米や野菜を売りつけるは白き塀めぐらせし富裕なる家 
なべ釜と骨を背負ひて山下りぬ帰るに家なき足どり重く 
死にたくなしといひつつ父は息絶えぬ秋風肌に寒きあしたに 
 
 ◇森下 弘 学生◇ 
くつきりと帽子のあとを火傷せる河童がわれの目の前あゆむ 
つり革にぶら下がりたるまま熱線に焦げ死にたるとおぼしき姿態 
もうだめと口走りつづく血をかぶりし女駅員かつがれてくる 
負傷者の群れを押しわけ子を探すたはけはてたり医師といふのに 
火に追はれ水ぎはにきてそのままに浮かべる屍体となりてただよふ 
火傷せる手で川の洲をほりかへす機銃掃射の臆測しきり 
ガード下にみみずのごとく横たはる黒こげの少年苦痛をいはず 
かまきりのごとく手首をもたげたり火傷せる手はまともに振れず 
髪の毛をふりみだしつつ炎ぬち夫の屍体を抱きさけぶ妻 
化けもののごときわが顔気づかひて女は鏡を貸さうとはせぬ 
余熱強き街はゆかれずくすぶれる枕木を気にしつつ鉄橋わたる 
看護所ときき至りしが銀行の柱のかげより屍体のみ見つ 
なにひとつ焼けのこるなき今朝出でしわが家の前に茫然とたつ 
火傷せるわれを見舞ひて日もあらず黒き泡吐き叔母死にしと聞く 
川原にて屍体を焼かぬ日のなければ自嘲自棄ただ近き死をまつ 
 
 ◇森田利男 建具工◇ 
かくなりて輸血受けると知り乍ら持ちくる注射器あまりにも太き 
日一日と輸血の効果あらはれて血色見えし手をじつと見る 
街をはふ夜霧は寒きにほひして血の少き手しびれゆきつつ 
面会の吾子(あこ)いだきつつこれからをいかに生くべきああ貧血病 
                          (つづく) 


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