2015年03月11日13時39分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(16) 「八月の広島の空すみ極まりいづこより湧くかわが悲しみは」 山崎芳彦

 「核を詠う」連載の特別篇として、歌集『廣島』を読み、その全容を記録しようとし始めたのは2014年8月6日付からなので、すでに7カ月になるが、今回で終る。読みながら夢に魘される夜もあったし、正直、神経の不安定な状態に苦しむ日もあった。歌集の作品を読むと同時に、広島、長崎の原爆被害に関わる記録文献や、さまざまなジャンルの文学作品も読むことによって、改めて原子力にかかわる人間、社会の根源的な問題について多くのことを考えさせられた。考えたことについて、改めて記す機会を持ちたいが、いまは、広島、長崎への原爆投下というあの悲劇的な事態をもたらしたのは、この国が軍国主義の国家権力を総動員して、侵略戦争を行い、「大東亜共栄圏」の美名を看板に戦争を拡大したことによることを、当然すぎるかもしれないが、考えたい。いまだからこそである。 
 
 安倍内閣は、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を行い、その具体化のための安全保障法整備の推進に精力的に取り組んでいるが、その内容は明らかに、「国民の安全と生命財産を守る自衛権の行使」、「国の存立、安全保障」、「積極的平和主義による国際貢献」などの美辞を看板に掲げて「戦争をする大国」としての国家体制ををめざすものであると言わなければならない。様々な言葉を操り、美辞麗句で飾り立てても、国家としての「存立事態」に対応する軍事力の行使といえば、これはまさにかつて日本が侵略戦争に突入していった時の「・・・は日本の生命線」の論理と本質的に同じであろう。 
 安倍内閣は、現行憲法を敵視し、非戦平和主義や基本的人権、言論・表現の自由などを含む人格権を、国家権力の支配下に置こうとする。恣意的解釈で憲法を破壊しつつある。そして憲法改悪を目指す。戦争ができる国、軍事力を行使し強大化する国、軍の指導部が権力を振るえる国、それはどういう国だろうか。核エネルギーの利用を続け、核発電にとどまらず核兵器開発にまで至ることを否定できるだろうか。武力を行使し、戦争をする大国を目指すとは、そういうことではないのか。 
 
 70数年前、米国は、原爆を開発し、その実験モデルとして戦争相手国の日本の広島、長崎を選び投下したのだが、それは戦争と覇権主義大国としての、国際法も道理も正義もない許しがたい反人間的な行為であり、その犠牲の無惨は広島・長崎の被爆者が背負わされた。そして、その責任は米国の時の大統領・戦争指導者と共に、侵略戦争を行い、敗戦必至の状況にもかかわらず国体護持を求めて戦争終結を遅らせた、天皇制日本軍国主義の政治家、戦争指導者たちが負わなければならないはずだったが、決して自らそれを認めはしなかった。 
 この悲惨に至るまでの歴史、戦争が惹き起こした底知れぬ人々の苦難と犠牲の真実から、学ばず歴史を修正し過ちを正当化し、それと同じことにならざるを得ない道を進もうとしている、安倍政権とその同調勢力による企みはすでに具体化の段階に入っている。それは、いまのことであり、歌集『廣島』の訴えは、現在と未来につながっていると思う。 
 
 広島原爆の被爆者である高橋明博・元原爆資料館長が、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号のもと機長であるポール・W・チベッツ氏と出会った時の経験を記した随筆(日本文藝家協会の「ベスト・エッセイ2003」に選定された)について、小河原正己著『ヒロシマはどう記録されたか<下>』(朝日文庫、2014年7月刊)に紹介されているが、その中の二人の会話に、次の部分が引用されている。 
 「最後に『私たち被爆者は、どんな国の上にも、どんな立場の人たちの上にも、核兵器の過ちが繰り返されてはならないとの強い思いから、核兵器廃絶を世界に訴え続けてきました。どうかあなたも平和のためにご尽力ください』と訴えた。/チベッツ氏は『あなたの気持はよくわかります。しかし、もし再び戦争が起こり、同じ命令が下れば、私は同じことをやるでしょう。それが軍人の論理であり、戦争というものです』と言い放った。/それだけで終われば悲しさや怒りが残っただろうが、チベッツ氏は続けてこう言った。/『だから戦争は絶対に起してはならないのです』と。」 
 
 「軍人の論理」、「戦争というもの」についての、なんとも言いようのないチベッツ氏の言葉の持つ暗闇の深さにに、軍人であった父(1945年に外地で戦病死)の子である筆者は暗然とした。また、この随筆のあとに、「聞くところによると、チベッツ氏の孫が、現在核弾頭搭載機のパイロットをやっているとのこと。その孫は核爆弾発射の命令が出たら、祖父と同じように、発射ボタンを押すのだろうか。宿命的な因縁である。」との記述されているのを読んで、第二次大戦後もっとも数多く、激しい戦争を行い、繰り返しているアメリカという国の人々の苦難を思わないではいられなかった。 
 
 イラク戦争で劣化ウラン弾を使用し、あるいはイラク、アフガニスタンをはじめ対立する国の各地で無差別空爆を行い、大量破壊、殺戮の戦争を繰り返すアメリカに追随し、日米同盟の強化と友好国との協力の推進を謳いつつ、日本政府が武器使用、海外への自衛隊派遣、他国軍の後方支援の恒久法制定、歯止めのない集団的自衛権の行使などに向けての「安保法制」を「整備」することが、この国を何処へ導こうとするのか、慄然とする思いを持つ。 
 
 歌集『廣島』の短歌作品とその背景にある戦争と原子力、それがもたらした被害の実態の深刻さと、今を生きている私たちが直面している事態の本質を考えながら、最後になる今回に残された作品を読みたい。 
 
 
 ◇山本康夫 新聞社員◇ 
わが意識かへりたるとき極まりし阿鼻叫喚のうつつまさに見ぬ 
崩れたるまま踏処さへなき街路死体をよけて自転車を押す 
倒れたる塀の下にも人間の首のみが見えてすでに息たゆ 
かにかくに橋は渡れどその先の道は絶へたり焼け果てし街 
余燼熱き舗装路のはるかかなたより焼けただれし裸の群列つづく 
焼けただれし裸身さらしてさまよへる人ををろがみてまた走りたり 
燃えさかる炎の熱気耐へがたくまた逃げ帰る今来し道を 
道ばたに仰向になりて叫ぶこゑ乱れ果てしはすでに狂ひし 
身は赤く焼かれてすさまじき形相の人らさまよふほてる焦土を 
水筒の水乞はるるを恐れゆく瀕死の吾子に残さむとして 
死に近き子をみとりゐて知らざりき見渡す限り街焼けてをり 
燃えさかる炎に赤き夜空ぞといふ声聞けど子をみとりつぐ 
息絶えし子に正信偈誦すひまも街が燃えゆく炎のひびき 
近まりし死期知らざれば子がいたく冗舌となるに笑ひもしたり 
子がむくろ手押し車に結びつけわれと妻とがこもごもに押す 
暮れてゆく道に倒れゐる人あれば目を寄せて見るまだ生けるかと 
二人目の子のはふり了へて帰りくる何もかも今は空しくなりて 
死体焼くる匂ひにむせて川土手の道帰るなり自転車押して 
子が命(いのち)家まで守りくれし靴持ちていとしむ半ば焼けしを 
荷車の上なる人は生きながら強き腐臭をはなちて行きぬ 
水ぶくれの死体いくつも大川の杭にかかれり昨日のままに 
焼あとの街をよぎると灰中に音たちてくづる人間の骨 
美しく彩りわたる空のもと焼けて滅びし街昏れむとす 
うち沈み手車押して来る妻よかの夕空の美しさ見よ 
盛り場のあとはここらと入りくれば道つづきたり草しげきなか 
原爆のやけど痕かと胸うづくうつむき歩む人うら若く 
巷路の埃の中に物売りて堕ちゆく乙女相つぐと聞く 
七階の窓より見呆く焼けあとにふたたびともる街のともしび 
滅びてより四とせの夏の草むらにいまだ水噴く楼廓のあと 
焼けあとの瓦礫ちらばる一ところ水噴きをりて青き草生ふ 
死に絶えし家の跡かと思ひしが四とせを経ちて材木きざむ 
幾台もトラツクが土を運びきて何か建つらしここの一劃に 
滅びたる日は遠くして澄みわたる光の中にいぶく街並 
たひらぎの祈りの中に広島のかなしみの日をまた思ひいづ 
八月の広島の空すみ極まりいづこより湧くかわが悲しみは 
爆心地のドームが雨にされをりて佇み見つつはげしきいかり 
 
 ◇横山冴子 主婦◇ 
閃光の黄なるを見たり一瞬にして亡びの巷と化すとは知らず 
血に塗れて逃れ来し人をつぎつぎに包帯し居り娘は汗垂りて 
傷つきて逃れ来し人は黙黙と差出す水を呑みてゆきたり 
間断なく夜空を揺りて爆音するに畑に臥し居てわれら脅ゆる 
四散せる家具建具などの中にありて目覚時計が時刻み居り 
迫る炎にまどへる吾をはげまして導きし人よ袋木軍曹といふ 
 
 ◇横山 靖 農協役員◇ 
閃光の瞬時をまなこ眩み立つものみな黄に冴えし意識に 
忽ちに視界を覆ひし煙の中傷つきうめく諸声聞ゆ 
頬下る血も拭きあへず逃れゆく知覚も失せてひたすら我は 
頭の傷を間断もなく打ち叩く雨は耐へ難き腐臭を持てり 
黒き雨止むともあらず降りつぐに又死ぬらしく人はのたうつ 
頭より背すじを伝ふ血の温み感じつつ我は歩まむとする 
背の傷に冷たく触るる雨滴われの心をたしかならしむ 
うつ伏せの背に切れ込みし裂傷に赤にごりたる雨あふれゐつ 
しらじらと雨に洗はれし死体あり剥げたる皮膚の長く垂れゐて 
水を飲む姿勢のままに死にし童よ焼けたる背に蠅は群れつつ 
総身を焼かれうめきてをりし一人声なく不意によろめき立てり 
爛れたる乳房抱きて嘔吐する少女をりしが程なき生命か 
あふ向きに死にし童女よしづかなる双のまなこを見開きゐたり 
横ざまに倒れ死にたる馬をりぬ人間よりも何か惨めに 
青くあおく稲葉そよぎてありしこと彼の日の記憶の一端を占む 
 
 ◇吉井清雄 無職◇ 
余燼なほ大きくけぶる町角に戦意をそそる一言を聞く 
焼跡のわづかに残る門柱に家族の無事を記(しる)して帰る 
原子爆弾の威力のまへに夜毎われ竹槍振りしおろかさを恨む 
傷つきし妻を残してわれは一人今日も淋しく焼跡を掘る 
今日もまた焼野めぐりて家の跡訪ひて帰りぬなすこともなく 
戦災の悲惨をここの駅に見る孤児等つどひて食を争ふ 
焼けのこる大講堂の鉄骨をめぐりて児等は写生して居り 
原爆一号吉川君は強く生きドームに近くものあきなへる 
 
 ◇吉田邦治 農業◇ 
ひろしまの駅はむくろになり果てて寒風(かぜ)防がねば地下道にうづくまる 
 
 ◇吉田幸雄 学生◇ 
下敷になりたる友の上半身掘り出せしに火が迫り来る 
あきらめて逃げよと頼む友の身をどうしようもなき幼き吾れ 
火の海にのまれし友が吾れの名を呼び叫びゐる振返りつつ逃ぐ 
共共に恐怖の一夜明かせしが吾が身にまつはる屍に驚く 
吾が側に共にいねたる人人に触りて見ればすでに冷たし 
消火ポンプ握りしままに黒焦げとなりたる人は枯枝のごと 
群りて屍となりし十字路に息ある人が水を欲しがる 
天満川浮ぶ死体は水ぶくれ子供背負ひし女もありて 
焼亜鉛(とたん)敷きたる上に骸(むくろ)のせ道路の隅に積み重ねたり 
うづ高く積まれし屍にうごめける子供を見れば眼鼻だになき 
黒焦げの電車の中に種種の姿態で逝ける人間の骸これ 
 
 ◇吉田良平 炭坑員◇ 
土に刻む亡びの相よそのなかば潰えしビルに入陽はさして 
顔半ば火傷のあとのあらはなる少女の一人焼跡を掘る 
灯影なき巷を縫ひて川七つ夜を白白と横たはるなり 
 
 ◇故 好富周満◇ 
板壁の隙をおほへる紙幕をはたはたゆりて凩吹くも 
 
 ◇米田淳雄 住職・教員◇ 
灼熱の光を浴びて現身の声もあげ得ず地に叩かれつ 
生きながら身の焼けてあり軍服の背中燃えつつ甦りしか 
こはれたる鏡に写るは我の顔なり時の間に修羅の如く変りて 
つぶれたる兵舎の中にうごめきてわが戦友ら焼かれんとする 
長長と続く廊下に横たはり人あかく太り皆焼死せり 
髪はぬけ歯ぐきより血の吹き止まぬ幾十の療友死にせむとする 
 
 ◇両徳玉穂 会社員◇ 
水桶にもたれて母はすでに死す背の幼子泣き叫びをり 
 
 ◇失 名◇ 
逃れ行く陰のなければ屍の間に伏して爆音を聞く 
母のことたづねる吾をみつめゐしが弟は黙って握飯をくれぬ 
特徴のありし糸切歯をめじるしにかたちなき人中に姉を探し行く 
水求め叫び居る声を聞き過ごし姉探す吾を許し給へよ 
 
 「核を詠う」の特別篇として読み、記録して来た「歌集『廣島』を読む」は今回で終るが、本連載は続けさせていただく。 


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