2015年04月14日14時47分掲載
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国際
ガレアーノの死
ジャーナリストで作家のエドゥアルド・ガレアーノが亡くなりました。ラテンアメリカや欧米では大きくその死が追悼されています。しかし、自分も含めて、日本の人はガレアーノについてはあまり、というよりほとんど知らないのではないでしょうか。日本人の知らない世界がそこに垣間見える気がします。日本の書店でガレア-ノを置いている店はきっと1%もないでしょう。
その著書『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』の中でガレアーノはこう綴っていました。
「ラテンアメリカは、いわば血管が切り開かれている地域である。その発見以来今日にいたるまで、すべてが常にヨーロッパの資本に、あるいは後には合衆国の資本に変わり、資本として遠方の権力中枢部に蓄積されてきたし、いまも蓄積されている。」(藤原書店刊、大久保光夫訳)
この本の独自性はラテンアメリカの500年の歴史を精密な教科書的な記述ではなく、大胆に編纂して丸ごと描こうとしたところです。
「歴史を競争と考える人々にとってラテンアメリカの後進性と貧困は、競争における敗北の結果以外のなにものでもない。われわれは敗北し、他の者たちは勝利したのである。しかし、勝利した者たちはたまたま、われわれの敗北のおかげで勝利しただけである。われわれの敗北は常に他の者たちの勝利に包摂されてきた。われわれの富は常に、他の者たち、すなわち諸帝国とそれぞれの帝国の支配層の繁栄を築くことによってわれわれの貧困を生んできた。」(同上)
ガレアーノの視点はこのように明快です。そうした明快な視点を持ちながら、ラテンアメリカの人々や近現代史を批判的に見る欧米の人々はガレアーノを追悼しているのでしょう。ラテンアメリカの人々のそんな明快さが日本の私達には欠けているもののように思えます。
■エドゥアルド・ガレアーノ(Eduardo Galeano:1940 - 2015)
ウルグアイのジャーナリスト・作家。
ラテンアメリカの歴史を抑圧・搾取される側の視点から描いた『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』で知られる。
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