2015年05月22日15時44分掲載
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文化
【核を詠う】(184) 齋藤芳生歌集『湖水の南』から原子力詠を読む(2) 「咲き残る庭の小菊も根こそぎに袋に詰めて除染土と呼ぶ」 山崎芳彦
前回に続いて齋藤芳生歌集『湖水の南』から原発にかかわる作品(筆者の読み)を抄出、記録させていただく。この歌集には、作者にとっての福島が、原発事故によって放射能汚染に傷つけられた山河、除染作業によって土や樹木をはじめ自然が痛めつけられ、人々の生活のありよう、関係にも複雑な裂け目が作り出されていることを声高にではないが、自らにとってのふるさとの現状との向かい合いによって詠われた作品が多く、読者の一人である筆者の心に深く沁みいり、改めてさまざまなことを考えさせる。前回にも触れたが、作者は震災・原発事故以前に中東のアブダビで三年間暮らし、帰国後、東日本大震災の日に東京で編集プロダクションに就職するための面接を受けていて採用が決まり、約二年半を東京で過ごしたのだが、その間に作った作品の多くが、作品の制作順にではなく編集されたこの歌集の、時間・空間が交錯した構成の中にあって、やはり福島を歌った作品は重く深い。
この連載では抄出できなかったが、湖水の南(猪苗代湖の南岸の集落)に住み暮らした祖父母を読んだ作品が印象深い。彼女の福島を詠うには、その祖父母の暮らし、人生と、彼女のかかわりを詠わずには済まされなかったのであろうと思う。震災や原発事故に直接結びつくものではないのだが、しかし福島に帰り住み、現実と向かい合うために彼女の現在につながる「湖水の南」の祖父母の生活史や自然を詠うことで齋藤さんは自らの存在を改めて確かめたのではなかろうか、と筆者は思って読んだ。
歌集のうちから、順不同ながら祖父母を歌った作品の一部を抄出しておきたい。なお、「祖父」は平成元年の春に亡くなったという。
▼祖父(おおちち)の記憶は両の腕にあり月の照る猪苗代湖を泳ぐ
▼熟すことのなき我を恥ず祖父(おおちち)に「中途半端(なまはんじゃく)」を叱られしこと
▼ハイカラな祖母なりきああ、数百のハイヒール履かぬまま土蔵(くら)に積み
▼集落を逃げ出したかった祖母の靴黴ながら土蔵(くら)に積まれていたり
▼暗闇に土蔵(くら)の壁蹴り続けしや祖母の残せる数百の靴
▼祖父(おおちち)を思えば瞼震うなり猪苗代湖に雷様(らいさま)が来る
▼おおちちの竹のものさし 濃き墨の文字に書かれていたり名前は
▼おおちちのものさしをもてよれよれになりしこころをぴしりと叩く
▼頑丈なものさしなれどおおちちも私も測りきれぬもの増ゆ
▼祖父よ眼を閉じてもよいか烈風に煽られて針のように雪来る
▼祖父のつくりし幼稚園今日閉じられてペンキの剝げし遊具を運ぶ
▼大洋遠き集落を祖父は棄てられず腹あかき鮠(はや)骨ごと噛みぬ
▼どこへ行こうとしたのか祖父は 土蔵(くら)の奥に一度も履いていない革靴
▼昭和に生きて昭和に祖父は眠るなり我はおろおろ平成にいて
▼歩いても歩いても同じ集落に戻るのだった祖父の一生は
▼花まめとう呼ばるるやさしき豆を食ぶ舌につぶるるやわらかき豆
▼私は美しからず祖母の煮る花まめ食わず嫁にも行かず
▼もう逢えぬ祖父との距離に虹の輪を浮かべて湖(うみ)の水静かなり
▼湖の対岸に太き虹かかり近づけば消えてしまう祖父たち
歌集『湖水の南』から、筆者が原子力詠として読んだ作品を、前回に続いて抄出、記録する。原発事故による放射線汚染、除染などを詠んだ作品が多いが、それらの歌から何を読み取るか、福島原発の過酷事故の深刻な災厄などなかったかのごとく、原発再稼働に向かっているこの国の現実をわが事として見据え、事故原発の廃炉の見通しさえ立っていないなかで、「復興」を言い、放射線被曝を強制するがごとき事故避難者の帰還促進を進めるこの国の政府をはじめとする原子力推進勢力は、「福島という土地をつくりあげてきたたくさんの祖父たち、祖母たち」(作者)の歴史と、それを受け継いで生きている人々、福島の地に残っている人々、避難して苦しみの中で生きている人々に、何をもたらそうとしているのだろうか。作者の祖父の頑丈な「ものさし」は、厳しく測り、激しく打つであろうと思う。そして、そのような「ものさし」はこの国の多くのところにあるに違いない。
◇ぼたん雪(抄)◇
凍み豆腐しみじみ軒に凍みゆかん星の夜祖母の仁丹におう
新幹線の窓にちらちらぶつかれる小雪大雪 故郷近づく
土手の上に放射線量を測る影阿武隈川に雪降りはじむ
放射線量日々生真面目に計測す さすけねえ、とはかなしきことば
さすけねえ=差し支えない、大したことはない、大丈夫だ
大杉の根元の祠放射線など知らぬ小さき白蛇祀る
黒く重く阿武隈川は流れゆく吹雪にしびれいる福島を
生きてゆく蛇のぬけがら枯草に隠れてうねる福島に雪
◇花のかたち(抄) 2013年、3月◇
もう二年、まだ二年、海に風渡る明るさに生きたかった二年
Tシャツのよれよれを干す平成の我になき会津木綿のかたさ
◇天体観測(抄)◇
福島に帰ろう、と思う 夕に差す目薬の青き一滴沁みて
◇陽の傾ぐとき(抄)◇
もうやめっぺ、で済むことの何もなきことをおぼえて雨に伸びる向日葵
苛立ちはやがて哀しみ 避難者との言い合いに草は露をこぼせり
杜鵑啼いているなり除染土のしんしんとかたまりゆく夜半に
避難者の苦情、避難者への苦情 ハナカンナ遂に大きく傾ぎ
ふくしまはスズメガのあおき幼虫の身を反り返し食むやわらかさ
猛暑日の空より青く途方もなし除染土をブルーシートは覆い
ブルーシートの中蒸れている除染土の中蒸れている種子もあらんよ
かなしみのように糖度は増してゆく桃の畠に陽の傾ぐとき
河川敷の除染作業はざわざわのわさわさの、まず穂薄を刈る
粛々と掘ることもまた祈りなれ除染土深く埋めるための
除染土を埋めし庭より木犀のためらいもなく香りくるかな
除染作業の大きマスクに熱はこもり刈られて黄金(きん)に乾く秋草
巨きく古きビル次々と壊されて平たく暮れてゆく福島よ
◇籾殻を焼く(抄)◇
つくづくと山もわれらも吐く息の沐雨の夜を晩秋は来る
視界内降水 実りの盛んなる柿の樹と国見峠に佇てば
晩秋を働く人の背はまるく祈りのように籾殻を焼く
◇蔦紅葉(抄)◇
除染とて高圧洗浄する壁を避難する菊、厚物管物
除染、昼、霜のとけたる石塀の蔦紅葉すべからく剝ぐべし
◇降りてくる冬(抄) 2013年、冬◇
阿武隈川県庁裏を滔々とすすげば降りてくる、冬
咲き残る庭の小菊も根こそぎに袋に詰めて除染土と呼ぶ
「加工再開モデル地区」にて、三年ぶりに
指先も頬も柿色あんぽ柿つぎつぎ吊るすひとに日は差す
阿武隈川に堆積しゆくかなしみの深ければ鷺もながく佇む
伐られたる上半分より雪は降る大杉の幹抱こうとすれば
残りいし凍田の二枚売られたり杭打ち込めば土のかおるを
蚕祖神社遷移の後の空白に雪降らしめて低き空かな
◇鍋底寒波(抄) 2014年、2月◇
駅前の街路樹に集い来て眠る鴉 福島の山はさみしえ
あの雲の向こうは吹雪「鍋底寒波」のさらに底なる福島盆地
放射性物質、はたPM2.5 はた
目にみえぬものに諍い目に見ゆるものに戦く まずは雪を掻け
雪解けし週末に増ゆ文字太き除染作業員募集広告
川光る福島を我ら歩むのみ冷ゆる手足を互(かたみ)に護り
◇あづまおろし(抄) 2014年、3月◇
ビル消えて冬陽すみずみまで届き更地に戦ぐ冬枯れの草
ピラカンサしか喰うものなくて雪の日の窓を光らす鵯の声
ブルーシートの青は食欲失くす色 三年を褪せることのなき色
齋藤芳生歌集『湖水の南』の作品の抄出、記録は今回で終るが、次回も原子力に関わる短歌作品を読み続ける。
(つづく)
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